12


 抱きしめてはキスを繰り返すDIOの胸板を夢主はどうにか押し返してみる。
「DIO……あの、」
 もう十分だから……と言いたいのに息が上がって言葉にならなかった。
 頬を染め、涙で濡れた目で見上げながら戸惑う表情でそんなことを言われても、続きを催促しているようにしか見えない。
 DIOの背中に甘い痺れが走り抜けて堪らない気持ちになった。
「キスの許しは得たのだ。もはや遠慮はしない」
「え……っ」
 身を起こそうとする夢主を再び組み敷いて耳元へ唇を寄せ、ちゅっとキスをした。それから耳たぶを優しく噛み、涙が残る目尻と目蓋に触れながら移動し、額と鼻先にキスをして再び唇を奪われてしまった。
 震える手でDIOを押し返そうとすると、今度はその手を捉えられた。
 手のひらから指先、それから手の甲へDIOはその妖しい唇を這わせていく。
(……!)
 指先から痺れるような官能が押し寄せてきて、喉を震わせながら夢主は声を飲み込んだ。
 キスは腕を伝って首筋に辿り着くと、鋭い犬歯で動脈をなぞられて身震いした。血の流れを確認するかのように何度もキスを落とすので吸血されると勘違いした夢主は強く目を瞑ってしまう。
「夢主……」
 DIOは頬を撫でながら優しく名を呼び、そろそろと目を開く夢主の心を解きほぐすように囁きかけてくる。
 言葉を無くした夢主の唇を爪先まで整った親指で押し撫で、DIOはその柔らかな感触を味わう。濡れてつやつやと輝くそこは紅を塗ったように赤かった。
「早く……俺を求めろ」
 DIOはひどく艶っぽい笑みを浮かべてそんなことを言う。
「な……」
 夢主は自分の心臓が止まってしまうかと思った。
 返答を待つ間、ひたすら見つめてくるDIOに夢主の羞恥が限界を超えた。
 耐えきれず再び目をぎゅっと瞑ってしまった夢主に相手は微笑みながら顔を近づけていく……
 と、その時。
 コンコンとドアがノックされて夢主は思わず悲鳴を上げそうになった。
「夢主様、昼食の用意が出来ました。どちらで召し上がりますか?」
 テレンスの声で夢主はベッドからもの凄い勢いで飛び起きた。這うようにしてDIOの腕をくぐり抜け、ドアへと走り寄っていく。
「た、食べます! 今すぐ食べます!」
 勢いよくドアを開くと驚いた顔のテレンスが立っていた。
「それほどお腹が空いていたんですか?」
 何度も頷く夢主を見てテレンスはくすっと笑う。不意に刺すような視線を感じて目を向ければ、ベッドの上で不自然な体勢の主がこちらを鋭く睨み付けていた。
「おや……どうやら私はお邪魔だったようで……」
 状況を察して青くなるテレンスの横を夢主は顔を隠しながらすり抜けていく。そのうちパタンとドアが閉じる音にDIOのため息が重なった。


「夕食もこの館で食べていって下さい。私のためにどうかお願いします」
 主人の不興をかった執事はそう言って必死に誘いかけてくる。夢主としてはリゾットの待つ部屋へ早く帰りたかったが、テレンスの懇願に負けてその誘いを受けることになった。
「はぁ……」
 寝室に戻る勇気はなかったので夢主はリビングでテレビを見ることに決めた。明るい太陽の光が差し込んでいるのでDIOは部屋に入ることが出来ないだろう。意地が悪いと思うが今は少し1人にして欲しかった。
 チャンネルを次々に変え適当な番組を選んでリモコンを置く。人気ドラマの映像が流れているが夢主の頭の中には一切入ってこなかった。DIOにキスをされたことで埋め尽くされているからだ。
 DIOの吐息や唇の感触を思いだすと身悶えるほどの羞恥心が襲ってくる。堪らずソファーに顔を伏せて、柔らかな革張りの肘掛け部分を無意味に叩いた。
「夢主様?」
 そんな妙な行動を取っている夢主の元へ食後のお茶とケーキを運んできたテレンスが不思議そうに見てくる。
「あ……な、何でもないです……」
 恥ずかしくてテレンスの顔すらまともに見ることが出来ない。夢主は俯いたまま運ばれてきたアイスティーを飲んだ。
「夕食までまだ時間はありますからね。どうぞごゆっくり」
「……ありがとう、テレンスさん」
 にっこりと微笑んでテレンスはリビングを去っていく。再び1人になって夢主はほっと息をついた。
 甘いケーキを食べ、香り高いアイスティーを飲んでいるとようやく落ち着きを取り戻していく。窓からは潮を含んだ風が吹き渡ってくるし、ぽかぽかと暖かい陽気が夢主の乱れた心を癒してくれるようだ。
 キスなんてそんな驚くような事ではない。そう頭では分かっていても心が全く追いついてこなかった。それにDIOが相手なら誰だって余裕なんて無くなってしまうだろう。まして夢主にとって先ほどの口付けは記念すべきファーストだったのだから。
(あぁ……どんな顔して会えばいいのか全然わからない……)
 テレンスには悪いが顔を覆ってこの屋敷から逃げ出してしまいたい。
 煩いばかりの画面が見ていられなくてテレビの電源を落とし、夢主はソファーに背中を預けて沈み込んだ。窓の向こうに見える青い空と海をぼんやりと眺めてDIOを想う。
 緊張して固まる夢主に対し、DIOは手慣れていた。焦りや動揺を見せることなく、むしろ余裕たっぷりで憎たらしいくらいだ。それでも目は真剣だったし、キスの一つ一つに想いが込められているかのように全てが柔らかで途方もなく優しかった。
 思い出すと首の辺りがちりちりする。キスをされてあんなに心地よいのは反則だ。きっともうDIOでしか満足しないのではないだろうか。
(他の人なんて絶対、嫌だけど……)
 触れたいと思うのはDIOだけ。触れて欲しいと思うのも彼だけだ。
 その望む相手に口付けられた喜びがゆっくりと全身に回って体中を甘く痺れさせていく。込み上げてくる喜びのあまり思わず涙が滲みそうになって夢主は目を閉じた。


 不意に髪を弄ばれる感覚で目が醒めた。
 あれほど青空が広がっていた窓は閉められ、光を通さないカーテンがしっかりと引かれてある。テレンスがいつの間にかやって来てそうしたのだろう。新しい紅茶とお菓子のセットがテーブルの上に置かれてあることからもきっとそうだ。
 ぼんやりとそれらを目に映していると隣から声が掛けられた。
「このようなところで寝るならなぜ寝室に戻ってこない?」
 不機嫌そうな顔のDIOだった。同じソファーに腰掛けてじっと夢主を見てくる。
「それは……」
 あまり上手く回らない頭で色々と言い訳を考えてみる。そのどれか1つに決まらないうちにDIOが顔を近づけてくるので、慌てて相手の胸を押し返した。
「ちょっと……待って!」
「もう十分に待ったはずだ」 
 夢主の手を掴んで体ごと引き寄せる。有無を言わさず唇を塞がれて夢主の悲鳴じみた声はDIOの口の中へ消えていった。
「……!」
 せっかく落ち着いていた心臓が一足飛びに跳ね上がる。
 引き結んだ口元を解きほぐすかのように舌で舐められてしまった。驚いて目を見張れば、DIOは楽しそうな表情でこちらの反応を見ているではないか。それが悔しく思えて夢主は相手から身を離そうとする。それもすぐさまDIOに絡め取られて手を繋ぐ形になってしまった。
「ちょっと……ホントに、もう……」
 まるで言葉の続きを消し去るかのようにDIOは夢主の唇の全体を覆い隠す。それから上唇を舌で舐められ、下唇を優しく啄まれてしまった。
「ん、……っ」
 為す術もなく与えられる甘いキスの連続で全身がとろけてしまいそうだ。頭の中がDIOで一杯になってもう相手のことしか見えなくなる。このまま身を任せてしまいたい……でもそれはまだ怖くて出来ない……夢主の頭の中でそんな思いがぐるぐると回った。
 揺れ動く瞳にそんな気持ちを読み取ったのか、DIOは絶え間なくキスを与えながら夢主の肩に手をかけてゆっくりと力を込めた。
 このままではソファーの上に押し倒されてしまう。そう気付いた夢主はかすんで消えてしまいそうだった意識を浮上させて、DIOの唇から顔を捩って逃げた。
「お……お腹減った!」
 甘い雰囲気をかき消そうと夢主は必死で叫ぶ。これ以上DIOからキスを受けたら夢主の抵抗力はどろどろに溶けて無くなってしまうだろう。
 あまりに色気のない言葉にDIOは仕方なさそうに顔を離し、夢主の体を引き起こした。
「泊まっていけ。この続きがしたい」
 言葉の意味を知って赤くなる夢主にDIOは微笑みかける。
 これ以上は本当に無理だ。今ですら気絶してしまいそうなほどだというのに……夢主は大きく首を横に振った。
「ご飯食べたら帰ります!」
 夢主は大慌てでテレンスの居るダイニングへ駆け去っていく。
 それをつまらなさそうに見ていたDIOはフッと笑って彼女の後をゆっくりと追いかけた。

「夢主様、大丈夫ですか?」
 テレンスが夢主の顔色を見て心配してくれる。夢主は何度も頷いて口の中へ料理を押し込んだ。
 夢主の向かい側に座ったDIOは先ほどの情熱的な気配を消して、平然とした態度で食事を取っていた。
 グラスに触れるあの唇にキスをされたのかと思うと夢主はテーブルの上に突っ伏して悲鳴を上げたくなる。そんな様子の夢主にDIOはニヤリと微笑みかけてくるのでますます堪らなくなった。
(あぁ……もうどうなるんだろう……)
 このままDIOに翻弄されて自分はどこへ行くのだろう。
 果てしない天国か、それとも地獄が待っているのだろうか。



 暗殺チームのアジト前でDIOから熱烈なお休みのキスを受けた夢主はよろよろと階段を上っていった。
「身が持たない……」
 いつか鼻血を吐いてぶっ倒れてしまいそうだ。
 とにかく色々と気持ちを落ち着かせ、整理したくて帰ってきた。あれ以上、DIOの側にいたら自分は駄目になってしまう。そんな気さえする。
 リゾットの部屋へ戻ると夜も遅いというのに明かりがついていた。
「ただいま……リゾット」
「え!? 夢主!? うわぁ、お帰り!」
 部屋に入るなりすでに入り浸っていたメローネに飛びつかれた。
「ああ、帰ったのか」
 リゾットは柔らかく微笑んで出迎えてくれる。べたりと引っ付いたメローネを引き剥がし、夢主の背をリビングに向けて押し出した。
 そこではいつもの酒盛りが行われていたらしく、テーブルの上にはつまみと酒瓶が所狭しと並べられていた。
「夢主!」
 酔っぱらっているのか赤い顔をしたイルーゾォが珍しくハグとキスを真っ先にくれた。
「もうあのままDIO様のところにいると思ったぜ」
 グラスを揺らしながらホルマジオはそう言って夢主の頭をぐりぐりと撫でた。
「ここへ戻ってくるなんて物好きな奴だな」
 プロシュートもそう言いつつもグラスを掲げて帰還を喜んでくれる。
「……お帰り」
 ギアッチョは視線をそらしつつも一番力強く抱きしめて頬へのキスを多めに与えてくれた。クールな彼にしては珍しい行動だ。あの戦いで助けてくれた夢主に対してお礼の意味も含まれているらしい。ギアッチョが死に行く姿を思いだした夢主もギュッと彼を抱きしめ返してやった。
「う、うぉ?!」
 眼鏡がずれる程に頬をくっつけたがそれでもギアッチョは怒らなかった。
 ソルベとジェラート、もちろんペッシにも歓迎されてその夜は再び宴会コースに突入した。足りなくなったおつまみや腹が減ったーという彼らに軽食を作ったりと夢主は使い慣れたキッチン内で慌ただしく働く。
 体の痛みはもはや無く、馬鹿騒ぎする彼らと過ごすことができるこの時間が無性に楽しくて愛しかった。


 ……数日後、登録番号二番目の方から電話が掛かってきた。
「今夜、空けておけ」
 起きがけにDIOの声を聞くのはなかなかにいいものだと思う。モーニングコールとしては最高ではないだろうか。
「折角だから……DIOもみんなと一緒に夕飯食べる?」
 DIOに誘われる時はいつも外食だ。それもいいが、たまには大勢と取る食事も楽しいだろう。
「お前の手作りか。ふむ……まぁいいだろう」
 声が明らかに喜んでいるようだったので夢主も電話口で笑顔になった。

「えっ、DIO様来るの?」
 お昼のパスタを頬張りながらメローネは夢主を見上げた。口の端のトマトソースをぺろりと舐めて驚いた声をあげる。
「しかもここで夕飯を食うだと? マジかよ……」
 ギアッチョは面白くなさそうに眉を寄せた。それでは夢主の旨い飯にありつけないではないか、とあからさまな態度だ。
「みんなで食べた方が楽しいでしょ?」
「DIO様と……我々もか?」
 リゾットは流石にそれは……と思った。彼はこの組織のトップだ。幹部よりもさらに上の上層部に位置する方と下っ端の暗殺チームが共に食事をするなど考えられないことだろう。三人は困惑する顔を見合わせてしまった。
「メインはお肉だね! ワインとパスタとドルチェも忘れないように書いておかないと……」
 夢主は嬉々として紙に必要な食材を次々書き込んでいく。どうやら断ることは出来ないようだ。
「でもさぁ、恋人同士の君らを俺たちが邪魔していいの?」
 未だに実感が湧かないのか、メローネが言った恋人という単語だけで夢主は頬を染めてしまう。
「え、いいよ。もちろんだよ」
「っていうか……」
 メローネは夢主を見上げニタリといやらしく笑った。
「君らどこまでいってるわけ?」
「……どこまで?」
「だからぁ、キスくらいはしてるんだろう? それともあのお泊まりで一気に最後までいっちゃった?」
 その言葉に隣でカプチーノを飲んでいたギアッチョがメローネ目掛けて口の中身を吹き出した。
「何すんだよ、ギアッチョ!」
「テメェがアホなこと聞くからだろうがッ!!」
 ドガッと思い切り脇腹を蹴られてメローネは椅子から転がり落ちる。
「イテテ……だってさぁ気になるだろー? あのカリスマモデルも真っ青になるようなDIO様と夢主の恋の行方だぜ? ま、その態度じゃあまだキス止まりってところかな?」
 メローネは床から起き上がって夢主の真っ赤に熟れた顔を見て揶揄した。
「とはいってもキスにも色々あるからなぁ」
 いつの間にかスタンドを出したメローネは一から九までの番号が振られたキスの見本表を見せてくる。
「いきなり二番だったりする? それとも四番ぐらいかな? 俺が好きなのは七番だけど」
 メローネがこういう人だとは分かっている。分かってはいるがあまりにデリカシーのない発言に夢主は真っ赤になって身を震わせた。
「テメェ、この野郎……ッ!」
 夢主が生まれて初めてビンタを食らわそうとするより先に、ギアッチョの容赦のない蹴りが再び炸裂した。
「グェ!」
 蛙が鳴くような声を上げてメローネは再び床に転がった。しかし、顔がにやけたままなので大して懲りていないのだろう。
 続けざまに蹴られるメローネをいつも可哀想だといってギアッチョを止めていた夢主も今回はその気が起きなかった。
「なぁなぁ、お願いだよ。番号を教えてくれるだけでいいんだ」
 しつこく食い下がってくるメローネを夢主は冷たく見下ろす。
「お、おぉ……その無言の怒りが込められた眼差しゾクゾクする……!」
 からかわれているだけなのは分かっていても、この手の話を冗談に出来るほど夢主はまだ経験がない。それに長年想ってきたDIOとの愛しくて切ない、それでいて幸せだったキスをメローネの面白半分な気持ちで暴かれたくなかった。
「それ以上言ったら……メローネのご飯だけ作らない」
 プイッと顔を背ける夢主の声に本気の怒りを感じたのか、メローネはにやついた顔を強張らせた。
「妙案だな」
 リゾットはくすりと笑いながらメローネの間抜けな顔を眺めている。
「それいいじゃねぇか。よし、テメェは今からリゾットの部屋に立ち入り禁止な」
 ギアッチョにまで宣言されてメローネは慌てて擦り寄ってくる。
「わぁん、ゴメンッ! それだけは! 夢主、許してくれよ! お願い!」
 謝罪に紛れて夢主に抱きつこうとするメローネにギアッチョが再び足蹴りを食らわす。
 そんな彼らを無視して夢主は最も信頼しているリゾットに顔を向けた。
「リゾット、一緒に買い出しに行ってくれる?」
「ああ。分かった……帰りにジェラートをおごろう」
 部下の無礼を詫びるようにリゾットはそんなことを言う。メローネの悲鳴を背後に夢主はぱっと笑顔を浮かべた。
 


 プロシュートがペッシを伴ってリゾットの部屋を訪れると、ドアを開ける前からいい匂いが廊下に流れていた。
「今夜は何を食わせてくれるんだ?」
 そう言いながら中に入るとそこはすでに仲間達で一杯だった。
「よぉ、プロシュート。仕事は順調だったか?」
 椅子に腰掛けたホルマジオが酒瓶を掲げてくる。プロシュートは当たり前だと言うようにニヤリとだけ笑った。
「あ、プロシュート、お帰りなさい」
 キッチンからひょいと顔を出したのは夢主だ。エプロンを汚しつつ、今日も料理に励んでいるようだ。
「おう」
「はい、これ。お疲れ様」
 ご機嫌な夢主から冷えたビールを受け取って空いていたソファーに腰掛ける。部屋にいるのはホルマジオとリゾット、ギアッチョにイルーゾォだ。メローネは珍しく料理の手伝いをしているようだ。ビールのプルタブを引きながらプロシュートはいつになく暗い様子のイルーゾォを見た。
「コイツどうした?」
 プロシュートが顎でイルーゾォを指すとホルマジオがクククと笑った。
「今夜、夢主の恋人が飯を食いに来るんだと」
「恋人って……あのDIOサマか?」
 この前、生まれて初めてスタンドバトルを繰り広げた夢主を病院ではなくやけに豪勢な館へ運んだ時のことだ。訳の分からぬまま連れてこられたプロシュートやイルーゾォは、そこの住人の素性をリゾットから聞いて度肝が抜かれそうになった。いつの間にかチームに転がり込んできた夢主と恋人同士になっているというのだから、もはや何も言えなくなるのは当然だろう。
「イルーゾォの奴、まだ傷心が癒えてねぇんだよ」
 夢主に対する淡い恋心だ。それはこの間、粉々に打ち砕かれて修復不能に陥った。
「あんなの反則だぜ……そう思うだろ、プロシュート」
 どんよりとした影を背負うイルーゾォにプロシュートは同情するように微笑みかけた。
「まぁな……あのツラは確かに反則だ」
 顔だけではない。容姿、地位、経済力、カリスマ性……あらゆる面に置いてイルーゾォを圧倒している。何もしなくても女の方からあの手この手ですり寄って来るだろう。まさに選り取り見取りだというのに、恋人に選んだのが夢主だなんて面白いではないか。
「何で夢主なんだよ……」
「グチグチ言うな。テメェはしつこいんだよッ」
 隣に座り、同じく傷心を抱えたギアッチョに頭を叩かれている。そんな妙なコンビにプロシュートは肩を竦めた。
「それであいつはあんなに張り切ってる訳か」
 キッチンの中からは夢主の明るい声が聞こえてくる。恋人のために作る料理ならかなり気合いを入れるだろう。今夜は豪勢な食事会になるに違いない。
 とはいえさすがに十一人も座れるテーブルはなく、客人が来る前に何人かは先にご飯を済ませることになった。
 失恋組のイルーゾォとギアッチョ、夢主の手伝いで疲れ切ったメローネ、それにソルベとジェラート、ホルマジオとペッシも食事をすませた。残されたのは年長組のリゾットとプロシュートだ。
「さすがに疲れた……」
 大勢が帰った後、汚れた皿やフライパンを洗い、もう一度テーブルをセッティングし直した夢主はソファーにへたり込んだ。
「飲むか?」
 見かねたリゾットが夢主の前に冷えたジュースを差し出す。プロシュートはそんな風に誰かを気遣うリーダーを見るのは初めてだった。
(甘やかしてるな……)
 と思うが自分もペッシには甘い方だ。人のことは言えなかった。
 ソファーにもたれ掛かる夢主を置いてリゾットは窓から見える路地裏を見下ろす。人影はなく、野良猫すら歩いていないそこに一台の車が走り寄って止まった。中から闇夜に輝く金髪の美青年が姿を見せる。
「夢主、来たようだぞ」
 リゾットの言葉に夢主は疲れ切っていた体をぱっと起こして玄関ドアへ走っていく。二人がその素早い動きに驚いている前で、夢主は身嗜みを整えるのに忙しいようだ。
 好きな人のために行うそんな些細な仕草すら愛嬌があって可愛らしいではないか。プロシュートは微笑ましく思う自分に苦笑した。


 四人が囲むテーブルの上にはDIOが夢主に送ったバラの花束が飾られて見事な彩りを見せている。
 しかし、夢主の向こうに見えるDIOとプロシュートが並ぶこの世の絶景には程遠かった。見目麗しい若者が二人も目の前に座っているのだ。バラは色褪せ枯れて萎み、代わりに彼らの圧倒的なまでの美貌が押し寄せてくる。
 思わぬ眼福にあずかったことに感動して言葉も思考もすべてが曖昧に溶けていく……
 だから最初、DIOが何を言ったのか夢主にはよく聞き取れなかった。
「……え? 今、何て言ったの……?」
 美しさに魅入っていた夢主は頭を振りつつもう一度尋ねた。
「パーティに参加しろ、と言っている」
「……パーティ?」
 夢主はDIOの言葉を繰り返した。
「そうだ。今週末、ローマで行われる会合に同伴付きで出席しなければならない。お前に来て欲しい」
「私が? しかもローマ?」
 DIOの言うパーティなのだから、まさか友人宅で行うようなものではないのだろう。大勢の人々が着飾る華やかな世界を想像して瞬時に青くなる。
「パッショーネと繋がりのある企業同士のパーティだ。堅苦しいことは何もない」
「どうして私なの?」
 夢主の言葉にDIOは呆れて言った。
「私の恋人だからだ。違うとは言わせんぞ」
 はっきりと言い渡されてしまい夢主は思わず赤くなる。
「今までは代わりの者を適当に見繕っていたが、もうその必要はないだろう」
「でも作法とか何も知らないし……そもそも一般人の私じゃ無理だよ……」
 夢主は必死になって首を横に振ったがDIOは気にもとめない。
「私にお前以外の女とパーティに出ろと、そう言うのか?」
 そう言われると夢主の心に暗雲が立ちこめ悲しい雨が降り注いでしまう。
 DIOの隣に美人が寄り添い立つ姿はとっても絵になるだろう。しかし、そんなものは見たくない。
「でも……」
 夢主は渋りながらDIOと出会った当時に貧相と言われた自分の体を見下ろしてしまう。
「参加せねばジョルノの印象が悪くなる」
 DIOはジョルノと夢主の仲の良さを知っていて、あえてそんなことを言ってくる。
 ジョルノのためなら夢主は何だって手助けをするつもりだ。でもそれがパーティだなんて……戸惑い、尻込みする夢主はフォークを置いて黙り込んでしまった。
「夢主、行ってこい」
 隣でそれまで沈黙していたリゾットが背中を押すように力強い声で言った。
「お前、ここまで言われて行かねぇなんて女が廃るぞ?」
 と呆れた口調でプロシュートにまで言われてしまった。
「その通りだ。お前達、いいことを言うではないか」
 DIOに褒められてプロシュートは肩を竦める。
「会場では私の側にいるだけでいい」
「でも……」
「ドレスも靴もすべてテレンスが張り切って用意している。あいつの努力を無駄にする気か?」
 家事からドレスの支度まで執事という仕事は色々と大変なようだ。嬉々として準備に励むテレンスを容易に想像できてしまった。
「出発は明後日の夜だ。ここへ迎えに来る」
 飾られたバラの向こうからDIOは艶やかな笑顔を見せてくる。夢主の意識はまた溶けてしまいそうになった。




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