13


 そうして、逃げ道をジョルノとテレンスによって塞がれた夢主は仕方なくDIOの言うパーティに参加することになった。
 そのための身支度を調えていると部屋に朝食をたかりにメローネがやってくる。
「DIO様とお泊まりだなんて……夢主、やるじゃないか」
「え、お泊まり? そうだっけ?」
「オイオイ、気が抜けてるなぁ……パーティは普通、夜だろ? 君はそのまま徹夜で帰ってくる気? 初めてのローマ観光もせずに?」
「あ! 観光か〜忘れてた!」
 ナポリばかりで夢主はここ以外のイタリアをあまり知らない。
「お土産は別にいいよ。これは俺からのプレゼント! きっと役に立つはずさ」
「え、なに?」
 メローネがプレゼントだなんて珍しいにも程がある。
 夢主の手のひらに蛇腹状に連なった四角い物が乗せられた。丸くて淡い、ピンク色をしたゴムが透けて見える。それが十個くらい積み重なっていた。
「……これって……?」
「えっ! 君まさかコンドームも見たことないの?!」
 メローネは吹き出して大きな声でゲラゲラと笑った。一通り笑った後、涙を拭きながら夢主の両肩をポンと叩いてくる。
「でもまぁ、DIO様が使い方を知ってるから平気だと思うぜ。ただサイズがわかんないからとりあえず一番大きなやつを……」
「……メローネの馬鹿ぁ……!」
 夢主はコンドームを持った手で生まれて初めて人を平手打ちした。
「ブッ!」
 それを嬉しそうにメローネが頬で受け止めるのだから彼の嗜好は夢主の想像を超えているようだ。
「もう……っ! 信じられないッ!」
 夢主はキッチンで冷蔵庫から水を取り出していたリゾットの後ろに隠れた。
「メローネ……お前という奴は……」
 リゾットが呆れた声で、しかし目は標的を見つけた時のような冷え切ったそれに変化する。メローネが「あ、」と思った時にはすでに遅かった。
「う、うげぇえ!! リーダー酷いぃい!」
 メローネの口の中からまち針が床の上に吐瀉物として大量に溢れていった。
「お前がいらぬ気遣いをするからだ」
 リゾットは何事もなかったかのように冷蔵庫の扉を閉めた。背後で真っ赤になっている夢主の頭を子供にするように撫でた。
「いてて……だってさぁ……」
 口の中に刺さった針を手で取りながらメローネは文句を言う。
「男がキス止まりで満足すると思う? そこへお泊まりだなんて……絶対、コレが必要になるから持っていきなよ。これは親切心で言ってるんだぜ?」
「言いたいことは分かった。お前の口をその針で縫いつけてやろう」
 彼の減らず口にリゾットは最も効果的な解決策を見出したようだ。
「当分、出入り禁止だ」
 メタリカを食らって悶絶するメローネを廊下に放り出し、リゾットは怪しいプレゼントを彼の頭に叩きつけた。


 行きがけにそんな事があったが、夢主はとにかくDIOの言うパーティに着いていくことになった。ほぼ強制的なのがどうもしっくりこないが、仕方ないと諦める他ないのだろう。
 部屋にテレンスがやって来る頃には夢主も支度を終え、リゾットと共にのんびりと食後のコーヒーとデザートを楽しんでいた。
「お迎えに上がりました」
 テレンスはにこりとした笑顔を浮かべて玄関先に立っている。
「DIO様は車の中にてお待ちです。荷物は……これでしょうか?」
 小さな手荷物一つがドアの横に置かれてあるのを見てテレンスが手を伸ばす。
「あ、それです。すみません」
 わざわざ持ってもらわなくても軽い物だ。夢主が言うとテレンスはふふっと笑い返した。
 わざわざ執事に謝る夢主が面白く、またその変わらない性格が愛しくあった。
「行ってきます」
「ああ」
 リゾットと挨拶を交わす夢主を見ると少しはこの国の暮らしに慣れてきたのだろう。喜ばしい事だが、相手が暗殺者と知りながらそうできるのは彼女だけかもしれない。
「お土産買ってくるね!」
 と無邪気なことを言う相手にリゾットは苦笑して片手を上げた。



 テレンスが開けた後部座席のドアの向こうではDIOが足を組んだ姿で待っていた。
「今晩は。えっと……お邪魔します」
 乗り込んだ夢主を確認し、テレンスはドアを閉めて彼女の荷物をトランクへしまい込む。彼が運転席に座る頃には夢主はDIOから熱い挨拶を身に受けているところだった。その様子に苦笑してテレンスは車を走らせる。ローマまでは高速道路に乗れば一時間半くらいで到着できるだろう。
「わぁ」
 夜の高速道路を体験するのは初めてだ。夢主は窓に張り付いて次々と風景の変わる夜の街並みを眺めた。
「こうしていると……エジプト観光した時を思い出すね」
 あの時もテレンスが運転する車で隣にはDIOが居た。博物館やピラミッドを見学したことを思いだすと夢主は哀愁に包まれてしまう。
「そのようなこともあったな……」
 DIOは窓に張り付く夢主の髪に触れてこちらを向くように促す。
「いい思い出か?」
「もちろんだよ」
 迷いなく答える夢主にDIOはフッと微笑んだ。
「また連れ出してやろう。この国のどこに行きたい?」
「イタリアは観光地ばかりだから……」
 ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、サルディニアにシチリア、ぱっと思いつくだけでもこれだけある。その中から行きたいところを決めるなど簡単には出来そうにない。住んでいるナポリですら、まだ観光地と呼ばれるところに行った事がなかった。
「お前の好きなところでいい。決めておけ」
 真剣に考え込んでしまう夢主にDIOは笑みを浮かべて言った。
 そうして左右を行くテールランプに照らされた道を車はローマへ向かって北上した。車内には深夜ラジオが放送するジャズの軽快な音楽が流れている。テレンスは暗い道路の先を見据えつつ黙々と運転し、夢主は最近読んだ本の感想やチームでの日常などの他愛ない話を喋り、DIOはそれに耳を傾けた。
(綺麗だなぁ……)
 景色ではなく暗い車内で鈍い光を放つDIOの髪だ。時々、対向車線のライトが当たってDIOの髪がきらりと輝くのが堪らなく美しかった。ちらちらとそれを見ていると、ぐいっと肩を引き寄せられて顎を掴まれた。
「!」
 何をする気なのか予想がついた夢主は慌てた様子で相手の胸を押しやった。テレンスに見られたくない一心で身を捩れば……
『ザ・ワールド』
 DIOはスタンドを使って時を止めてしまうではないか。
「これならよいだろう。まさに二人だけの世界だな」
 同じ世界を共有できる夢主は相手の言葉に頬を染める。時を制する能力をこんな事に使うなんて信じられなかった。
「夢主」
 抵抗する夢主の手を取ってDIOは耳元で囁いてくる。息を吹き込まれてゾクゾクした。
「私が時間をどれほど止められるようになったか興味が湧くだろう? その身で体感するがいい」
「え、」
 ぐっと体を引き寄せられ、もはや有無を言わさず口付けられてしまう。驚く夢主の目の前にDIOの長いまつげが見える。暗い車内を道路に配置された明かりがうっすらと照らしているせいだ。赤くなった夢主の顔も相手からは分かるかもしれない。
 啄むように何度もキスをされて意識が半ば飛びかけた頃、世界が再び動き始めた。
「何秒だ?」
 DIOとのキスの合間にカウントなど出来るはずがない。
 ちらりと前を見ればミラー越しに微笑むテレンスと目があってしまった。彼にはバレていると思うと居たたまれず、夢主は顔を隠すようにしてDIOの上着に身を寄せた。


 高速道路を下って市内へ向かう道をひたすらに走り続けていく。夢主がライトアップされたローマの街並みに見とれているうちに車は速度を緩め、ホテルの正面玄関に停車した。
「着きました」
 テレンスが車を止めるとすぐさまボーイがドアを開けて導いてくれる。荷物を下ろしたテレンスが先立ってホテル内へ入っていく後ろ姿を夢主はぼんやりと見つめるだけだ。
「何をしている?」
 DIOに腰を引き寄せられ、夢主は目映いばかりの豪勢なホテルへ足を踏み入れることになった。
「すごく素敵なところだね……」
 五つ星ホテルのハスラーであるが夢主にはそれが分からない。腕のいい職人が作ったイタリア家具が配置されたそこは重厚なインテリアとモダンな雰囲気がこちらを圧倒してくる。夢主に分かるのはアジトとは桁違いで、DIOのいる館と同じく華々しい趣があると言うことだけだ。
「ようこそおいで下さいました」
 どこからともなくスッと人が現れてDIOと夢主の前に立った。支配人らしいスーツをビシリと決めた壮年の紳士だ。
「今度も数日滞在する予定だ。よろしく頼む」
「もちろんでございます。何なりとお申し付け下さいませ。執事殿はすでに部屋へお通ししております。どうぞこちらへ」
 紳士は二人をエレベーターホールへと招く。きらびやかな扉が開いて三人を迎え入れた。上階で止まるや、支配人は静まりかえった深夜の客室の中を歩いていき、奥に控えた大きな扉を彼は二人のために開け放った。
「わぁ……」
 内装にかなりこだわっているのだろう。夢主には見たこともない高級な調度品が並べられ、どれもこれもがつやつやと輝いていた。椅子やテーブル、ソファーまでもが歴史を感じさせるシックな色合いに包まれている。
 DIOの手を離れ夢主はいくつもある部屋を抜けて寝室へ駆けていく。二人で寝ても余りある大きさのベッドが白い部屋の中で目映いばかりの存在感を放っていた。アクセントに情熱的な赤いクッションが置かれて、まさに恋人同士のための部屋でもあるようだ。
 そしてなによりもそこから見えるローマ市内の夜景の美しさ……夢主は窓に引っ付いて明かりに照らされた古都をしみじみと眺めた。
「気に入ったか?」
「もちろん!」
 ここを気に入らないだなんて、そんなの罰が当たりそうだ。
「すごく素敵! ほら、DIO見てよ」
 まるで子供のように喜ぶ夢主にDIOと支配人が微笑んでいた。



「それではこれで失礼いたします」
 そう言って支配人は静かに去っていく。彼と入れ違いにテレンスが荷物を持って部屋を訪れた。
「クローゼットにお二人の衣装を詰め込みたいのですが、構いませんね?」
「あ、手伝います」
「いえ、そのような……ああ……」
 夢主の手に荷物が渡り、彼女はそれを押しながらそそくさとクローゼット前へ移動する。
「こちらにDIO様、そちらには夢主様のを入れておきましょう」
 テレンスは持ってきた荷物を広げて手際よく詰め込んでいく。
「わ、何これ……ドレス?」
 留め金を外したキャリーケースの中から現れたのは黒いドレスだ。星くずのような細かい金糸が織り込まれたそれはまるで夜空のようだった。
「ええ、夢主様のドレスです。ハイヒールにバッグはもちろん夜会用の下着類もすでにこの中にあります」
「これを着るの? 私が?」
「もちろんですよ」
 微笑むテレンスの手によってそれらはハンガーに掛けられクローゼット内に押し込まれていく。ようやくトランクが空っぽになると今度はその軽くなったケースを押してテレンスは部屋の外へ出て行こうとする。
「え……あれ? テレンスさんはどこに泊まるの?」
「私は向かいの部屋に一部屋取ってあります。何かご用があればいつでもどうぞ」
 にこやかに言って彼は美しい彩色が施されたドアを静かに閉じていった。残された夢主はそれをただ見つめるしかない。
 どうやらこの広いスイートルームをDIOと二人で使うらしい。
(DIOと……私だけ……?)
 そう意識した瞬間、心臓はどきどきと脈打って落ち着きを無くした。
 もう一度、夜景でも見て気を落ち着かせようと振り向けば、DIOはシャツを脱ぎ捨て上半身裸ですでにくつろぎ始めているではないか。いつもの見慣れた姿なのに今は直視する事が出来なかった。
 誰も邪魔の入らない豪華な部屋で二人きりの空間……もしそうなってもおかしくない絶好のシュチュエーションだった。
(そんな……!)
 一人、ドアの前で慌てふためいている夢主をDIOはどう思ったのだろう。
「いつまでそこにいる気だ? こちらに来い」
 呼ばれてぎくしゃくと体を動かし、寝室へ戻ってくる夢主を不思議そうに見つめた。
「どうした?」
「な、何でもない……」
 夢主はDIOを意識しすぎておかしくなりそうだ。
「腹でも減ったか? ルームサービスを取るといい」
「あ……えっと……お風呂に入りたいなぁって……!」
 言ってからすぐに後悔した。これではまるで自分から誘っているようではないか。
「それならそこだ」
 DIOに指差されて夢主が振り向けば、大理石で出来た素敵なパウダールームの向こうに広い浴槽が見えた。
「わぁ!」
 見事なバスルームに夢主は歓声を上げる。
「好きなだけゆっくりと浸かるがいい」
 DIOに苦笑されて夢主は真っ赤になった。


 夢主は湯船に浸かり、口から空気を出してお湯をぶくぶくと泡立たせている。
「困った……」
 特に何も持たずそのまま風呂に入ってしまったので、替えの服が無いことにしばらく経ってから気付いたのだ。自分の間抜けさにほとほと嫌になる。
「あ、そう言えば……バスローブがあったような」
 ようやくそのことを思い出しザバッと湯から出た。真っ白なバスタオルで体を拭いてすぐ横にあったバスローブを身に纏う。下に何も身に着けていないが、大きなバスローブなので分からないだろう。
 寝室を窺うとDIOはベッドの上に身を横たえて目を瞑っているようだ。彼を起こさないようそっと移動して夢主はクローゼットの中を覗き込んだ。すぐに自分の小さな旅行鞄を見つけて、それを手に再びバスルームに戻った。
「……あれ?」
 夢主は一瞬、鞄を間違えたのかと思った。何度見ても自分のものだ。しかし、中に入っている物すべてに見覚えがない。中身を床の上に広げて見れば買った覚えのない下着やパジャマが次々と出てきた。
「これ誰の……?」
 訳が分からず首を傾げていると最後にひらりと一枚の紙が落ちてきた。
『夢主様の物は全て交換しておきました。申し訳ありません』
 テレンスの名が入ったそれを読んだ瞬間、思わずガクリと膝をついてしまった。
「……テレンスさん……」
 夢主は掴んだショーツを見て彼の名前を呟いた。とても可愛いそれは覆い隠せる面積がかなり小さい。他の全ての下着類がそうだ。しかし、それらはまだ上に服を着れば見えなくなるからいい。そう思った夢主が揃いのそれらを身に着けた後、パジャマだと思われるものに腕を通して愕然となった。下着がうっすらと透けて見える上に胸元のリボンを引けば左右に開かれていく仕様になっている。
「テレンスさん……ッ!」
 夢主はそれらを引き裂きたい思いに駆られながらテレンスの名を再び呟いた。
 彼は何を思ってこれを選んだのだろう?
 ……いや、夢主にも理由は分かっている。
 つまりはこれを着てDIOとさらに仲良くなれと彼の無言の応援だ。主の不興を買った執事の名誉挽回とも言える策なのだろう。
(メローネといいテレンスさんといい……)
 夢主は夢主なりのペースで進めていきたい。体の準備も心の準備もまだまだ出来ていなかった。
 透けてしまうような下着だけでは心許なく、夢主はそれらの上にバスローブを着込んでようやく湯気の立ちこめるバスルームから外に出た。そのまま居ると違う意味でのぼせてしまいそうだった。
 足音を忍ばせて寝室に向かえば、DIOは少しも身動いだ後が無く、あのまま眠り続けている様子だ。
 少しホッとしながら近づいて静かにベッドへ潜り込んだ。ベッド際の様々なボタンを押してカーテンを引いて明かりを消せば、寝室は外と同じ夜が訪れる。
「お休み、DIO……」
 小声で囁いて相手の指に触れるか触れないか程度に自分の手をくっつける。
 暗い部屋の中、夢主はDIOの麗しい寝顔を見つめながら眠りに落ちた。




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