11


 どれほど眠っていただろう。寝返りを打とうと足を動かした瞬間、治りかけの足がじくりと痛んだ。
 泣き叫んだ時ほどの酷い痛みはないが、それでも夢の中から覚醒するには十分だった。
「う……」
 部屋の隅にぼんやりとした間接照明が灯っている。日光を遮断するカーテンが引かれた部屋は暗いが、その明かりのおかげですぐにここがDIOの寝室であることを思いだした。
 あの戦いで倒れた後、ギアッチョに止血され、イルーゾォが呼んだリゾットに抱え上げられながらこの屋敷を訪れたのだ。それからジョルノのスパルタ的な治療の元で夢主の傷ついた体は治った。痛み止めの薬を飲んだこともあって今はかなり楽だ。
(水、飲みたい……)
 そう思った夢主が辺りに目を向けると金色の髪が側にあった。
 床に座り込んだ彼は夢主の手を包み込み、麗しい顔を苦しげに歪ませてベッドの端に頭を凭せ掛けている。
 包まれた手を動かそうとするとDIOがハッとした様子で目を開いた。
「行くな」
 そう言ってしっかりと握りしめられてしまった。
「ど、どこにも行かないよ」
 自由に動き回りたくても、疲れ切っている体はなかなか言うことを聞いてくれそうにない。
「あ……ごめんなさい。ベッドを占領しちゃって……」
 夢主はすぐさま場所を空けようと端へ移動する。ゆっくりと動かせば痛みはそれほど感じずに済むようだ。それにいくらかホッとした。
「……私が横になることでお前に痛みを与えたくない」
 ベッドの軋みで痛みが生まれることを心配しているらしい。夢主はそんな些細なことをあのDIOが恐れていることに目を見張った。
「ジョルノのおかげで治ったから、平気だよ」
 DIOはそれでも困ったような顔をして動こうとはしなかった。
 そんな顔をしないで欲しい。いつもの自信に溢れたDIOはどこに行ったのだろう。
 そっと髪に触れれば、DIOは包み込んだ夢主の手に頬をすり寄せてくる。
「お前がまた消えるのでは、と……それだけを心配していた」
「私もそれは嫌だったから……ごめんね」
「謝るのは私の方だ……すまない。……傷はまだ痛むか? 薬ならここにある。それとも腹が減ったか?」
 DIOは手を離さずあれこれ世話を焼こうとする。
 痛みは少しある。お腹もちょっと減っている。けれどそれよりも、もう少しだけ、
「ぜんぶ後でいいから、隣に来てよ……」
 その言葉にDIOは少し驚いたような表情を浮かべてこちらを見てくる。それほど見つめられると流石に恥ずかしくなってきた。
「手だけじゃ心細くて……ダメ?」
「まさか」
 すぐさまDIOは立ち上がり、極力、振動を起こさぬよう夢主の隣へ横になった。
 ふわりと漂ってくる懐かしいDIOの香りに胸が一杯になる。
 別れてから出会い、そして今までの様々な出来事が心の中を駆けめぐって思わず目頭が熱くなってきた。
「DIO……」
 痛みなど、もはやどうでもよくなった。夢主は負傷した腕と足を動かして体ごと相手に擦り寄っていく。
 そっと背中に腕を回され、DIOの唇が額に押しつけられる。その一つ一つが愛しい思い出そのものだった。
(幸せ……)
 負傷した右腕をゆっくりとDIOの背中に伸ばして抱きしめる。
 DIOの鼓動を聞きながら眠りに落ちる瞬間、夢主の目から涙がこぼれ落ちた。


 リゾットから話を聞いて彼らをひとまずアジトへ帰したジョルノは、もう一度夢主の様子を見ておこうとDIOの寝室を訪ねてみた。
「おや、ジョルノ様」
 暗がりの中で夢主の容態を看ていた執事のテレンスが振り返る。
「彼女の様子はどうですか?」
 天蓋に覆われた無駄に豪華なベッドに近づく。ほんのりとした光に照らされた部屋は落ち着いて眠るには丁度いいだろう。眠る夢主を覗き込めば、そこにいたのは彼女だけではなかった。
 自分の父親が夢主に寄り添ってテレンスの介抱を手伝っている。彼女の前髪を大きな手で押し上げ、そこへテレンスが冷やしたタオルを置く。DIOはそのまま夢主の髪を何度も優しく撫でていた。
「……」
 ジョルノは驚きに息を詰めてその光景を見つめた。
 あの尊大で冷酷な人が、あんなにも優しい顔で隣に眠る女性を気遣っているなんて……
 本気で夢主を愛している事がジョルノにも痛いほどに伝わってくる。この部屋一杯に愛が満ちているようだった。
「夢主を見舞いに来たのか? 今は薬で眠っているし、お前が気に病むことはないぞ」
 ジョルノが治したのは傷口だけだ。痛みまで治すことは出来ない。嫌がって怯える彼女に無理から治療したことを気に掛けているのが分かったらしい。DIOの言葉に少しだけ救われた気がした。
「夢主を助けてくれた礼を言わねばな……ジョルノ、お前が居てくれて助かった。ありがとう」
 ジョルノは再び口がきけなくなった。DIOにそんな風に言われたのは初めてだったからだ。
(ありがとう、だなんて……)
 胸にズンと響いてくる。愛のない二人から生まれた自分はこの人に捨てられたのだと思っていた。いや実際そうだ。それから何十年も経ってから会いに来られて、迷惑だと思いつつもいつの間にかこうして普通に会話するまでになっている。
 それでもそんな言葉は聞いたことがなかった。感謝の言葉など、これまで一度も……
「また暇な時に会いに来てやれ」
 DIOは立ちつくすジョルノから夢主に視線を移し、再び髪を弄び始める。眠る夢主の手をDIOはしっかりと繋いだまま離さない。
「……言われなくても来ます」
 愛しさに口元を綻ばせるDIOから離れてジョルノはドアへ向かって歩き出した。
「パードレ、あまり調子に乗らないように。彼女は怪我人ですよ」
 息子から最後に釘を刺されてDIOは苦笑した。
 いつの間にかテレンスの姿もなく、ジョルノが去った部屋は寄り添う二人を残して静寂に包まれていった。



 その後、何度かテレンスが訪れて額に乗ったタオルを交換してくれたり、汗を拭いてくれたりしたことを夢主は夢うつつに覚えていた。DIOも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、気がつけば髪を撫でたり手を繋いでいてくれる。おかげで熱は下がったが、まだ本調子ではなかった。いつも二日目はだいたいそんな感じだ。
「美味しい」
 食事はDIOの寝室で取れるようにテレンスが計らってくれた。
「テレンスさん、ありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。あなたは私の命の恩人です」
 ふと、テレンスが頭を吹っ飛ばされて死に行く場面を思い出す。彼を救える能力があって今ほど感謝したことはない。
 時折、差し入れの雑誌や飲み物、それに甘いお菓子を持ってジョルノが様子を見に来てくれる事もある。ボスの身であるジョルノがこんなに頻繁に訪れて大丈夫かと聞けば、
「優秀な部下がいるのでこう見えて結構、暇なんですよ」
 と言って彼はにこっと微笑んだ。
 ……そうしてたっぷりと甘やかされて四日が経った。
 痛みやふらつきもなく、自身の足で立って歩くことが出来る程に回復した夢主はまず風呂に入って身支度を調えた。
 豪勢な風呂を堪能した後、用意された服を着て寝室に戻ると、
「まだ顔色が悪いな……朝食を取ってこい。今ならお前の好きそうな景色が見られるだろう」
 太陽が昇る時間帯なのでDIOは外へ出られない。それでも夢主に朝の景色を見せたいのか彼はそんなことを言う。
「うん。ありがとう、DIO」
 朝の挨拶を含めて彼の頬へキスをする。DIOにもたっぷりと時間をかけて返されて、夢主は照れ笑いを浮かべた。


 用意された朝食をしっかりと食べた夢主は海風でカーテンが揺らぐリビングのソファーに腰掛けた。
 夢主の前のテーブルの上には二台の携帯電話が並んでいる。承太郎が買ってくれたピンク色の携帯電話と、
「これを持っていて下さい。すでに僕とパードレの番号は登録してあります」
 そう言ってジョルノが差し出した携帯電話だった。
 二つ折りのそれは、彼らの美しい髪の毛とよく似たきらめくようなゴールド色だ。
 携帯なら承太郎からもらったものがあると言ってもジョルノは一切、譲らなかった。
「それは彼に連絡をする際に使って下さい。こちらの方がイタリア語のメールが簡単に打てますし、僕もわざわざ指令を通さずにあなたと会う約束ができますから」
「でも……」
 月々の契約料金とか一体どうなっているのだろう……夢主はイタリアの携帯市場をまるで知らない。
「僕からのプレゼントです。どうか気軽に使って下さいね。ああ、説明書はこれです」
 全ページイタリア語の分厚い説明書を手渡されてしまった。
「あ、ありがとう……」
「その携帯、防犯ブザーと居場所を知らせる機能が付いてますから。肌身離さず持っていて下さいよ」
 もしまた危険なことに巻き込まれてもこれで連絡できるということだろうか。
 確かに彼らと連絡を取り合う方法として携帯を持っていた方が便利には違いない。
 夢主はそろそろと手を出してその輝く携帯を手に取った。電話帳を開いてみればジョルノの番号が一番最初に登録されてあった。DIOは二番目だ。
「ありがとう、ジョルノ」
 心からの感謝を伝えると、ジョルノからとても素敵な笑顔を返されてしまった。今からこんなに格好良くては将来が楽しみであり、不安でもある。
 そうして二つも所持することになった携帯のうち夢主はピンク色を選んだ。切っておいた電源を入れると承太郎たちと自分が写る待ち受け画面が表示された。グローバル携帯なのでイタリアからでも承太郎の居るところに連絡は出来るだろう。夢主は怖々とボタンを押して承太郎を呼び出した。


「お前にこれ程の度胸があるとは俺も知らなかった」
 勝手なことをした上に一ヶ月以上も連絡を寄こさなかった夢主に向けて、承太郎は静かな怒りを露わにした。長いお説教を食らって夢主は電話口で何度、頭を下げて謝っただろう。
「ごめんなさい……承太郎」
 ジョルノがあれこれと手を尽くしてくれたおかげでDIOが生きていることは知られていないようだ。ギャングボスの婚約者という危険極まりない立場にいる夢主を承太郎は心配してくれているのだろう。
「DIOの息子だぞ? まさかお前ヤツの面影を……」
「ううん、DIOとジョルノは全然違うよ」
 世話になってばかりの承太郎に何故こんな大嘘をつかなければならないのか。しかし、DIOが生きていることを知ったら……彼はどんな行動に出てもおかしくない。だから欺けるだけ欺いてしまいたい。それも夢主が背負う罪の一つだろう。
「好きなのか?」
 と聞かれて夢主は電話越しに頷く。
「好きだよ」
 それだけは嘘ではなかった。婚約者ではないがジョルノのことは大好きだ。
「ギャングのボスだぞ?」
「知ってる。すごいよね」
 電話の向こうから地を這うような深い溜息が聞こえてきた。
「それで……お前は幸せなのか?」
 再び出会うことが出来たDIOの側にいられて夢主はすでにそうだ。
「……うん。すごく幸せ……」
 涙が出るほどに嬉しい。寝込んでいる間、彼はずっと横にいてくれた。髪を撫でて胸の中に抱きしめてくれた。過去がようやく現在に追いついたのだ。もう失いたくはなかった。
「そうか……それなら仕方ねぇ。お前が幸せだと言うのなら俺がごちゃごちゃ言う権利はどこにもないからな。財団側には俺から話を付けておく。だがジジイと花京院、それに徐倫もお前を心配していた。あいつらには話をつけておけよ。分かったな?」
 その言葉に迷惑ばかりかけている自分を情けなく思った。
「はい。本当にごめんなさい……後でちゃんと連絡しておくね」
「ああ。何か困ったことがあれば連絡しろ。いつでも力になる」
 承太郎の心強い言葉に夢主は涙してしまいそうだ。
「うん、ありがとう……承太郎」
「メールでも何でもいい。これからは定期的に連絡を入れろ。いいな」
「もちろん。ジョセフにも徐倫にも、花京院にもちゃんと謝って説明するから……」
「ああ」
 優しい声で返事をされて夢主はほっとソファーに沈み込んだ。
「じゃあね、承太郎。元気でね」
「ああ……夢主、お前もな」
 そう言って電話は切れた。彼が今どこにいるのか分からないが、どれほど遠く離れていても瞬時に繋がることができる。夢主はピンク色の携帯をぎゅっと握りしめた。

 その後もジョセフと花京院に同じくみっちりと叱られ、それでも最後は婚約者を得た夢主に祝いの言葉をくれた。そんな彼らに夢主はもう胸が一杯だ。
「もぉ! 夢主の馬鹿! 本当に心配したんだからね!」
 可愛い声で夢主を叱っているのは徐倫だ。久々に聞いた彼女の声に夢主は怒られているにもかかわらず、思わず笑顔になってしまう。
「ごめんね、徐倫」
「ダディと花京院は溜息ばかりつくし、おじいちゃんは甲斐性なしっておばあちゃんに殴られるし……とにかくすごかったんだから!」
「あはは……ごめんね。本当にごめんなさい……!」
「……仕方ないなぁ、夢主は……」
 子供にまで呆れられて夢主は身の置き場を無くなってしまった。
「徐倫、ごめんね……」
「もういいわ、許してあげる! それより婚約者の話よ! いつの間にそんな事になってたの? 夢主の事がどんなに好きでどれほど愛しているか、ジョルノって人から電話をもらったって。ダディが言ったことは本当? ねぇどんな告白されたの?! もうキスはした!?」
 年頃の女の子らしく彼女も恋の話には夢中になるようだ。夢主は言葉を濁しあやふやに答えておいた。
「素敵! ねぇ写真見せて! 結婚式の写真でいいから」
「え、結婚式……?」
「だって婚約者でしょう? もうすぐ結婚するって事でしょ? お願いだから写真を送ってよ!」
 ねぇねぇ、お願い! と徐倫から催促されて承太郎でも苦労するそのお願い攻撃を夢主がかわせるはずもなかった。
「あぅ……うん……わ、わかった……」
「やったぁ! 楽しみに待ってるからね。絶対よ! 約束だからね! ……あ、友達来ちゃった……じゃあまたね、夢主!」
 元気いっぱいの徐倫の声が響いて唐突に切れた。
 みんなから叱られたというのに夢主の心の中は晴れやかだ。徐倫のどこまでも明るい声に励まされたような気がする。
 夢主はしばらく携帯画面を眺めた後、ぱたりと閉じてテーブルに戻した。そのすぐ隣には金色の携帯がある。一つは承太郎、もう一つはDIOに繋がるそれらが隣同士に並んでいる光景は少し不思議な感じだ。
 長い息を吐き、背伸びをしてからソファーから立ち上がる。
 二つの大事な携帯を胸にしっかりと抱いて夢主はDIOの待つ寝室へ戻ることに決めた。


 ドアをそっと押し開くと部屋の中は夢主が出て行った時と変わらず薄暗かった。入ってすぐ横にある棚の上に電話を置いて夢主はベッドに近づいた。
 DIOは美しい寝顔を無防備にさらしながら今も眠り続けている。
 聞けばずっと夢主の看病をし続け、一睡もしなかったというのだから驚きだ。吸血鬼なので体力が衰えることはないが、それでも眠らないでいるのは疲れただろう。夢主は起こさないよう静かに近寄ってその秀麗な寝顔を眺めた。
 枕の上に散った蜂蜜色の髪に透き通るような白い肌。大きな手が与えてくれる安心感は途方もなく素晴らしい。
 夢主は金の腕輪が飾られた左手をそっと伸ばしてDIOの髪先に触れた。滑らかな手触りに心が奪われていく。この髪が恐ろしい肉の芽になると知っていても怖くはない。不意にこれを埋め込まれそうになった昔を思いだして夢主は小さく微笑んだ。
(懐かしいな)
 まだそれほどDIOの事を知らなかった頃だ。今、こんな風に身近にいて髪に触れることが出来るなど、あの頃の自分は想像すらしていなかっただろう。
「DIO……」
 小さく名を呼ぶだけで心に愛しさだけが満ちていく。その想いが溢れて全身を暖かく包み込むと、もう何も言葉にならなかった。まるで引力に引き寄せられるように近付いて夢主は静かに身を屈める。DIOの整った唇のすぐ横へ羽根が触れるような優しい口付けを落とす。
 相手の寝息を感じてすぐに身を離した後で自分の行動を振り返って真っ赤になる。
(な、何てことを……!)
 唇を奪う勇気はなかったが、それでも自らキスをしたことに変わりはないだろう。足早に部屋を出ようとする夢主の体を突然目の前に現れたザ・ワールドが押しとどめた。
「え!?」
 スタンドに力強く引っ張られてドアの前から瞬時にベッドの上へ連れ戻されてしまう。目を見開いて驚く夢主を眠っていたはずのDIOがニヤニヤと笑いながら顔を覗き込んでいた。
「寝込みを襲うとは随分と大胆ではないか」
 その言葉に熱くなる顔を覆い隠した。
「だが今のはキスとは呼べぬな……普通は唇にするものだぞ?」
 羞恥のあまり夢主はもうどこかに隠れてしまいたくなる。精一杯の行動をこうも笑われては居たたまれないではないか。
「ご……ごめんなさい……」
「謝る必要は無い」
 後悔と恥ずかしさで心を乱す相手にDIOはクスッと笑って追い打ちを掛ける。顔を隠す腕をDIOが取り上げると、感情が高ぶるあまり涙をこぼす夢主の姿があった。それを見た瞬間、DIOは笑いを引っ込めて困った顔をする。
「泣くな」
 そう言って大きな手の平で涙を拭い取る。
「嬉しかったのだ……笑ったりして悪かった」
「嬉しい……?」
 夢主は目を見開いて驚いてしまう。
「ああ。当たり前だろう? お前からキスを受けたのだ。嬉しいに決まっているだろう」
 そう言ってDIOは優しく微笑んだ。
「いくらでも待つと言った以上、お前が許可しない限り私は手が出せんからな」
 どうやらあの誓いは本気だったらしい。
 DIOは夢主の手を取ると指を絡めて握り返してくる。夢主を見つめる穏やかな赤い目の奥にちらりと炎が見えた気がした。
「私もお前にキスがしたい」
 縋るような視線を向けられて夢主は息を止めた。
「よいか?」
 以前の彼なら夢主が何を言おうともしただろう。しかし、今は夢主の言葉を待ってくれている。受け入れられるかどうか、それを心配するようなDIOの目に夢主は胸が締めつけられてしまった。
(ファーストキスがDIOだなんてすごい贅沢……)
 出来ればずっとDIOだけがいい。そう思うと幸せな気持ちになってくる。それが何よりも一番だ。
「キスしてくれる……?」
 心臓が苦しいほどに高鳴り、顔に熱が籠もって暑くなってきた。
 そっと頬に手が置かれて夢主は身を震わせた。DIOがまた困った顔をするので恐がっているとでも思ったのだろう。でもそうではなく単に緊張しているだけなのだ。
「DIOが……好きだよ」
 頬に重ねられた手が愛しそうに夢主の肌を撫でた。
「私も……私も好きだ……」
 苦しいような切ないような、それでも十分に甘い囁きを耳にする。DIOが顔を寄せて来るのを見て夢主は固く目を閉じた。
 二人が交わす口付けにエリナの唇を奪った時のような激しさはなかった。
 ただ静かに二人の唇が重なりあう。DIOとの初めてのキスは優しく軽く、柔らかで、少し湿った感触だった。
 離れていくDIOの唇を感じて夢主はそっと目を開く。DIOの美しい顔が目の前に広がり、潤んだような赤い目と視線が絡んだ瞬間、心臓が甘い痺れを訴えた。
 恥ずかしそうに、でも喜びを隠しきれない夢主をDIOは上から眺めた。
 触れ合うだけのキスなどこれまでしたことがない。相手を想い慈しむようなキスは慈愛に満ち、それでいながらひどく官能的ですべてを書き換えるほどの威力を持っていた。これにはDIOも驚いてしまって言葉が続かない。埋まらない最後のパズルピースを見つけたように、たった一度のキスで何もかもすべてが満たされていく。
「DIO……?」
「一度では……足りぬ」
 DIOは切なく微笑み、戸惑いながら見上げてくる夢主の頬を手で挟み込んだ。
 しっかりと唇の形が分かるように全体を押しつけ、唇のすべて覆い尽くす。震えるそれをそっと啄みながら角度を変えて何度も優しいキスを落とした。
「ああ……夢主、お前とのキスは心地よいな……」
 うっとりと歌うように唇の上で囁かれて夢主は得体の知れない痺れが体中に走り抜けるのを感じた。
「ん……」
 DIOに何度もキスをされて唇が溶けてしまいそうだ。夢主はあまりのことに耐えきれず意識を飛ばしそうになる。
「はぁ……」
 呼吸の合間に夢主から熱い吐息が溢れるのを知って、DIOはそれを吸い上げようとさらに唇を寄せる。キスにこれほど夢中になったのも初めてだった。
 お互いの吐息を何度も交換しあっていると、夢主の体から力は抜け落ちてクラクラと甘美な目眩を起こした。息が上がって苦しい……けれど止めて欲しくはない。
「DIO……」
 色付いた声で名を呼べばDIOは苦しそうに眉を寄せて身を離し、ベッドの上で横になっている夢主を強く抱きしめた。いきなりの抱擁に驚くが、夢主は息も絶え絶えだったので少し有り難く思ってしまった。あのまましていたらきっと倒れていただろう。
「……ごめんね、下手でしょ?」
 何十年越しにようやく触れ合えた感動で何も言えないDIOを前に、夢主は何を勘違いしたのかそんなことを言う。
「あの……初めてだから……どうやればいいのか全然分からなくて……」
 恥ずかしそうにDIOの髪の中に顔を埋めて呟く。
 夢主の純潔は本物だ。キスすらもまだという清い乙女だった。
 DIOだけを想ってDIOのためだけに存在する。一途な心に愛されていると知って彼の心は再び狂おしいほどの歓喜に満ちた。
「でもすごく幸せ……キスってこんなにいいものだったんだね……」
 夢主の暖かい手がDIOの背中をぎゅっと抱きしめ返す。
 それはこちらの台詞だとDIOは思った。
「大好き、DIO……」
 もう喋らないで欲しい。これ以上、甘く囁かれたら心臓が破裂してしまいそうだ。
 DIOは夢主の頬へ唇を寄せて柔らかなキスをする。それから今度は激しく、まだ濡れたままの唇を奪ってやった。
 流れる涙を手のひらで拭い、体を密着させて、DIOは愛しい存在を確かに抱きながらその感触を心に刻み込んでいった。




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