06


 薄暗い廊下は静まりかえり、しばらく誰も言葉を発しなかった。
 目の前で抱き合う彼らを微笑ましく眺めていたブチャラティはジョルノに向けて小声で話しかける。
「ジョルノ……俺は車で待っていよう」
「すみません、ブチャラティ」
「感動的な再会を祝ってやれよ」
 ブチャラティは片手を上げ、玄関ホールを抜けて外へと出て行った。
「ああ……私がどれほどこの日を待ち望んでいたか」
 テレンスにとってもようやく念願が叶った瞬間だ。服の袖で涙を拭いながら静かにその場を後にする。主の心を思えば、今は二人だけにしておくのが執事の役目だろう。
「ちょっと、これはどういうこと?」
「……いいから邪魔をしないで下さい」
 何も分かっていない部下の一人である秘書に溜息をつき、テレンスは別の部屋へ押し込んだ。
 廊下には再会を喜んで抱き合う二人とその息子が取り残されてしまう。
「よかったですね、パードレ。……ですが、そろそろいいですか?」
 DIOは夢主を抱きしめたまま息子のジョルノをちらりと見た。目が邪魔するな、とでも言いたげだ。
「積もる話もあるでしょう。とにかくこんな所で話をするよりも、リビングに行きませんか」
 くすっと笑いながら肩を竦め、
「先に行ってカーテンを閉めておきますよ」
 ジョルノは先ほど夢主を案内したリビングに足を向けた。
 取り残された二人は廊下の真ん中で顔を見合わせる。
 DIOの首筋にはもはや生々しい傷痕は無かった。それでも左肩にはあの空に輝く星と同じアザがくっきりと刻まれている。DIOが思いのほか穏やかな目でひたすらに見つめてくるので、照れた夢主は溢れる涙を拭いながら視線をそらした。
「……ジョルノの言うとおりだね。DIO、リビングに行こう?」
 いつまでもこうしていたいが、夢主にもDIOにも話したいことや聞きたいことが山ほどある。
「仕方ない」
 名残惜しそうに腕の力を緩めて夢主の体を解放し、そのまま腰を抱いてDIOと夢主は並んでリビングへ向かった。
 ジョルノがカーテンを閉めたのであの素晴らしい海は見えなくなってしまった。光を通さないカーテンのおかげでリビングは夜が訪れたかのように暗く、まるでエジプトのあの館に舞い戻ったような気持ちになる。
 先にこの部屋に来ていたジョルノが壁のスイッチをパチンと押すと、壁際のテーブルランプとフロアライトに柔らかな光が灯った。夢主は促されるままにソファーへ体を預け、すぐにその隣へDIOが腰を下ろす。
「僕も聞かせてもらっていいですか?」
 バーからソフトドリンクとワインを手に、向かいのソファーへ腰掛けたジョルノが聞いてくる。
 息子としてボスとして、ジョルノには聞く権利があるはずだ。夢主は迷わず頷いた。
「ピラミッドで別れた後、お前はどこにいた? 今まで何をしていたのだ?」
 ピラミッドという単語にジョルノは不思議そうな顔をする。何の事情も知らない彼には訳が分からない。
「それが……あれからの記憶がなくて。次に目が覚めたら、なぜか十年も時間が過ぎててびっくりした」
「ほう……」
 DIOは片眉を上げて夢主を見下ろす。
「日本で少し暮らした後、スピードワゴン財団に引き取られて……」
 花京院や承太郎の名前はこの際、伏せておいた。
「イタリアにジョルノが居ることが分かったから、DIOについて何か知ってるかもしれないと思ってここにやって来たの」
 DIOは夢主をジッと見つめながら話を聞く。財団に引き取られたと言ったがDIO側の人間をそう簡単に引き入れるだろうか。となると彼女を推薦した者がいるはずで……
「ジョセフか承太郎か、二人のどちらかに出会ったな? いや両方か?」
 DIOの口から彼らの名が再び出るとは思わなかった。夢主は驚きつつも頷く。
「承太郎が……私にふらふらされると面倒だから財団でスタンド能力を生かせって。あ、DIOの事は喋ってないよ。スタンドを使って絶対バレないように隠しておいたから……」
 スタンドを使ったという話にDIOは眉を寄せる。
「それではまた寝込んだのか?」
「だってDIOのこと知られたくなかったから……」
 生きていることも彼との思い出も、誰にも知られたくなかった。だから露伴のスタンドを利用して自分に書き込んだのだ。
「DIOはまだジョースター家との因縁を断ちたいって思ってる?」
 夢主はそれが気がかりだった。承太郎とは再び戦って欲しくない。もしDIOが勝てるとしても、承太郎に死んで欲しくないからだ。大好きな徐倫を悲しませたくはない……そんなの夢主には耐えられないだろう。
「そうだな……今のところは保留だ」
「保留?」
「それどころではない、と言ったところか……私はジョルノの手伝いで忙しい」
 クスッと笑うDIOにジョルノが眉を寄せた。
「仕方ないでしょう。人員不足なんですから。一日中、ぶらぶらしているくらいなら、息子の手伝いをした方が有意義というものです」
「人使いが荒い奴だ」
「あなたは人じゃないですからね」
 ジョルノは肩を竦めて笑う。DIOもああ、そうだったと苦笑した。
 親子の関係は縮まらないまでも良好のようだ。夢主は何だかホッとする。
「さて、次は私だな……お前の血のおかげで体の機能が回復し、数日後にはあの場を後にした」
 DIOは夢主の髪を指先で弄びながら遠い過去を振り返る。
「テレンスを再び部下に迎え入れた後、お前を捜してあちこちを旅していたのだ。途中、プッチにも会いに行った。彼は私が死んだと思っていたようだが……生きている姿を見せれば奇跡だと喜んでくれた」
 フフと笑って一息ついた後、DIOの話は続いた。
「お前が見せてくれた息子たちの写真を思い出してな、アメリカにいる彼らにも会ってきた。今はプッチの所でなんとかやっているようだ。次にジョルノに会いに来た。ある日突然、ギャングになると言い出して以前のボスを倒し、今の地位に君臨したはいいが……奴が言うように人材不足なのだ。私がジョルノと組織の後見人として手の届かないところは代わりに請け負っている」
 こんなところか、とDIOは言葉を切った。
「プッチ神父に会ったの? 他の息子とも? え、DIOが組織の後見人……?」
 質問ばかりが増えていく。一度ではなかなか頭に入ってくれない内容ばかりだ。戸惑う夢主をDIOとジョルノは楽しそうに眺めた。
 何とか理解しようとする夢主の耳元で不意に金属音がする。髪を撫でてくるDIOの腕に目が止まった。
「あ、」
 別れた時の約束が蘇ってきて、それをようやく果たせる事に気付く。
「DIO、これ……あの時からずっと預かってたこの腕輪……返すね」
 今まで外したことがなかった右の腕輪を夢主はそっと取り外してDIOに手渡した。ずっと付けていたので急に軽くなった右腕に違和感を感じるほどだ。
 DIOは驚いた顔を見せつつ、それを受け取った。
 静かに笑って己の右腕に取り付ける。多少の傷はあるが、どこにも汚れやくすみはなく、黄金の輝きを放っている事からもこれまで大事に扱っていたのが手に取るように分かった。
「確かに……受け取った」
 DIOの言葉に夢主は安堵の笑顔を見せた。
 
 

 ジョルノが用意してくれたアイスティーを一口飲んで夢主は気になっていることを聞いてみる。
「DIOは……これからイタリアに住むの?」
「そうなるだろうな。組織の拠点はこの国なのだから」
 DIOはワインに手を付けず夢主をひたすらに見つめてくる。あまりそうされると穴が開いてしまいそうだ。
「ナポリのこのお屋敷で?」
「ああ。それがどうした?」
「アメリカからだと少し遠いな、って思って。年に何回か遊びに来てもいい?」
 財団で働きつつお金を貯めれば年に二回くらいはこちらに来られるだろう。承太郎たちの手伝いや徐倫の相手をして、夏と冬の休暇なら誰も困らない。夢主がそう思って言ったことにDIOとジョルノは目を剥く勢いでこちらを凝視してくる。
「え、やっぱりダメ……?」
「……駄目も何も……」
 ジョルノはそこでチラリとDIOを見た。次第に眉がつり上がり、眉間に皺を寄せ始めている。
「あなたはアメリカへ帰るつもりなんですか?」
「こうして会えたし、生きているのが確認できたし……それにジョルノも一目だけって言わなかった?」
「フフ、それは言葉のあやですよ」
 肩を震わせて笑うジョルノに夢主はぽかんとなる。
「そうなの?」
 間の抜けた顔でジョルノを見つめる夢主の両肩をDIOがいきなり力強く掴んだ。
「お前という奴は……! アメリカなどへ私が帰すと思うのか?!」
 語気を荒げるDIOの目に今まで見たことがないほどの怒りが込められていた。夢主は思わずビクリと身を竦めてしまう。
「長年探し求めてようやくこの手に出来たこの喜びを……まさかお前自身によって奪われるなど……!」
 DIOは耐え難い苦痛のように声を絞り出す。
「お前のいる場所はこのDIOの隣だ。どこの国へも行かせるつもりはないッ!」
 そうきっぱりと断言されてしまう。
「だ、だけど……」
 夢主はジョルノをちらりと見た。
「僕のことは気にしなくていいですよ。パードレと呼んでいますが、便宜上、そう呼んでいるだけであってほとんど他人ですから」
 実の息子に他人とまで呼ばれてしまうDIOを可哀想に思ったが、本人たちは気に止めた様子もない。
「僕としてはあなたがスタンド使いであるのなら、組織で働いてもらいたいと思っています。今は一人でも多く、優秀な人材を確保しておきたい」
 ジョルノはにこりと笑って、
「それに……一度入ったこの世界からそう簡単には抜け出せませんよ?」
 と笑顔で恐ろしいことを言ってのけた。リゾットの言うとおり一度でも見たらもはや引き返せないらしい。
「でも……」
 それでも尚、困った表情を浮かべる夢主にDIOは歯噛みする。
「お前が望んだのだろう? 私の側にいると!」
 確かに言った。それが夢主の望みだった。
「側にいても……いいの?」
「私の横で世界を見たいのだろう? 私もそれを望んでいるのが何故分からない?」
 DIOは苛立たしげに夢主の呆けた顔を見下ろす。その目からはまだ戸惑いが見て取れてDIOは頭を抱えたくなってくる。
「……どう言えばお前は理解する? このDIOがお前を……夢主を愛していると、そう言っているのが分からないのか?」
「え……」
 その言葉を聞くのは二度目だった。赤く燃えるような目に見つめられて夢主は自分の頭の中が焼け焦げていくようだ。
「冗談でしょ? だってDIOが……」
「私が愛を囁くのはそれほどおかしな事か?」
 苦く笑って、DIOはゆっくりと顔を近づけてきた。
「冗談でお前を何年も捜したというのか? 世界のどこかにいるはずだと、信じて歩いた私の気持ちもすべて冗談だと?」
 子供に囁くような静かな声の中に怒気が含まれていることを夢主は敏感に感じ取った。突き刺すような鋭い視線があまりに怖く、思わず身を震わせてしまう。
 それをなだめるようにDIOは髪に触れ、頬を優しく撫でた。
「夢主、お前だけだ……私にこのような感情を抱かせ、何年も苛ませるのは。お前でなければこの狂おしい感情を救うことは出来ない……私の言葉が信じられないというのならそれでもいい。信じるまで言い続けてやろう」
 DIOはそっと夢主の左手を取り、腕に付いている自分のものだった腕輪に口付けた。
「愛している……私の側で生きろ」
 大きく目を見張る夢主をDIOは真っ直ぐに見つめてくる。熱く、燃えるような情熱が込められた視線だ。ひたむきなまでのそれに夢主は一瞬で真っ赤になった。
(うそ、あのDIOが……本気で?)
 とても嘘とは思えない真剣な眼差しで見つめられて、そのまま吸い込まれていきそうになる。頭の中がぼうっと霞んでもはや何も考えられなくなった。
「ふふ、ペットじゃなくて良かったですね」
 呆然とする夢主に向けてジョルノが笑いながら言った。
「当たり前だろう。まさか……そのように思っていたのか?」
 DIOはムスッとした顔で夢主を睨んでくる。
「多くの女性に囲まれたパードレを見ていたのなら、そう思っても仕方ないのでは?」
 ジョルノの棘が含まれた言葉にDIOは嫌そうに顔を歪めた。
「女性はパードレにとって道具なのでしょう? そんな人から愛を囁かれてもすぐには……ねぇ?」
「お前は邪魔をするためにそこにいるのか? さっさと出て行け」
「まさか。僕は一般常識で物を言っているだけです。分かりませんか? 彼女は普通の女性なんですよ? スタンド使いとはいえ今まで平和に暮らしてきた、ただの女性です」
 息子から鋭くも冷たい視線を向けられてDIOは眉を寄せる。
「きちんとした誠意を見せていないからこそ彼女はパードレとの関係をすぐに答えられなかったんですよ?」
 十五歳の少年からまるで諭されるかのように説教を食らってしまった。真っ赤になって時を止めてしまっている夢主を見ればまさにその通りなのだと思い知る。
 あれほど大事にしたのに相手には露程も想いが通じていなかった事にこちらの方が愕然としてしまう。思わず溜息が出そうになった。それでも、長らく欲していたものが目の前にあるのだ。これだけは誰にも、どこにも譲れなかった。
「では、私の妻になれ」
 正直な想いを伝えた途端、夢主とジョルノが同時に吹き出すのを見てDIOは不可解そうに眉を寄せる。
「話を飛躍しすぎですよ。彼女、困ってるじゃないですか……僕の話をちゃんと聞いてました? まったくもう……」
 笑いを堪えつつ、ジョルノが言う。
「まずは恋人から始めてはいかがですか?」
 まるで小馬鹿にするように言われてDIOはますます眉を寄せた。
「……お前はそれを望むのか?」
 いきなり妻を望まれるよりはその方がいい。いや、それにしたって……
(恋人? 私とDIOが?)
 ますますあり得ない話に夢主はもうこれは夢だと思いこんでしまいそうだ。それでもDIOの温もりは確かなものだし、向かい側から面白そうに事の成り行きを眺めているジョルノも幻ではなかった。
「夢主……私の恋人になってくれ」
 ぼんやりとする夢主の手の甲へDIOは口付ける。
 それからこちらを見下ろし、そのまま動かなくなった。力強い目は返答を待っているように思えた。
 ほとんど夢心地で夢主は頬を染めて頷く。
「それは了承の意と受け取るぞ、いいな?」
「……うん」
 声に出して返事をした途端、夢主は再びDIOの腕の中に囚われてしまった。
「ああ……まったく……」
 側で聞いていたジョルノはまるで学生のような初々しい告白に肩を竦める。
「おめでとう、と言うべきなのでしょうね」
 真っ白だった二人の関係にようやく色が付いたようだ。
 友人でも客人でも、ましてやペットでもなく、この瞬間から彼らは恋人同士になった。



 今まで告げられたDIOの言葉の数々がゆっくりと頭の中に浸透してくる。
 すると心の奥底から深い喜びが体中を駆けめぐって、最後には涙として溢れてきた。
 目の前にいるDIOの心臓は鼓動し体を包み込む腕は痛いほど力強い。
「DIOが好き……大好き」
 次々に涙をこぼしながらそう告げる夢主を見て、DIOは寄せていた眉を緩め心から嬉しそうに微笑み返してくれた。
 その涙を手で拭いながらDIOが顔を近づけてくる。それをぼんやりと見上げていると横から待ったがかかった。
「付き合い始めてすぐにキスを求めるなんて、どれだけ飢えているんですか」
 まるで思春期の子供ですね、とまで言われてDIOは動きを止める。
「……え!? キスするつもりだったの……!?」
 驚いてすぐさまDIOの腕からパッと離れた。それを見たDIOが無念そうに顔を歪める。
「まずはゆっくりとお互いを知ることから始めるべきですよね? あなたもそう思うでしょう?」
 ジョルノは睨み付けてくる父親を無視し、夢主に向けて柔らかく微笑んで見せた。
「もちろん……そうですね、ハイ……」
 夢主はこくこくと頷いた。いきなりの展開で身も心も全く追いついてない状態なのだ。
「この時をどれほど待ち望んだと思っている? キスが駄目だと言うのなら、せめて……抱きしめるくらいはいいだろう」
 DIOは許しを請うような目で見てくる。
「お前に触れていたいのだ、それも駄目か?」
 返答に困る夢主を見てDIOはとうとう溜息を付いた。
「抱きしめられるのも駄目なら……せめて側にいてくれ。もはやそれだけでいい……頼む」
 縋るような目に射貫かれ、夢主は瞬きを忘れて見入ってしまった。
(本当にDIO……? こんな顔、見たことないよ……)
 ちっぽけな小娘一人にあのDIOが懇願する姿を夢主は信じられない思いで見つめ返した。彼の目には確かな情熱が炎のように揺らめいていて切ないくらいに熱かった。胸がきゅうっと締め付けられる。もとより夢主はDIOが好きなのだ。好きな相手にここまでされて喜ばないわけがない。
(……どうしよう……)
 体中がゾクゾクする。動悸が激しくて心臓が壊れてしまいそうだ。
「頼む」
 惚けてしまった夢主にDIOはもう一度頼み込んだ。
 痛いほどに相手の真剣さが伝わってきて、夢主はそれに応えるようにそろりと腕を伸ばす。
「あの……これ以上は、心の準備が出来るまで……待ってもらえる?」
 DIOの胸に顔を押しつけて真っ赤になる顔を隠した。再びDIOと会えただけで幸せなのに恋人になれるなんて奇跡のようだ。少しも実感が湧かない。それでも側にいるだけでもいいと言ってくれたDIOの想いに応えたくて、夢主は彼の体を抱きしめ返した。
「お前が側にいてくれるのなら……どれほど待たされても、もはや苦ではない。何よりもお前の意思を尊重する。それが私の見せる誠意だ」
 DIOは胸の中にいる夢主を抱きしめ返した。好きで堪らない相手に受け入れられた喜びをDIOは心の奥深いところで感じ取る。目眩がするほどに甘く切なく、愛しい気持ちが 体を包み込んで優しく満たしていく。
「二人とも僕が居ることを忘れないで下さいよ?」
 抱き合う恋人たちを前に、ジョルノは父親の言う我慢がどれほど続くだろうかと苦笑するのだった。




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