忘年会


 クリスマスのイルミネーションが消えて、お正月飾りに埋め尽くされた街は相変わらず賑やかだ。今年も残りわずかとなった年末を楽しく過ごそうと、あちこちで飲み会やイベント、買い物に精を出す人々の姿がテレビに映り込む。
 曇り空の中、北風が薄い窓を揺らす荒木荘の一室で、夢主はその映像をぼんやりと眺めながらこたつに入っていた。
 バイト先は年明けまでお休みで、帰省するにもお金がなく、またその家も資格もない。
 ひったくられた財布と給料は奇跡的にもカーズが見つけて手元に返ってきたが、寄る辺ない独り身の夢主は体こそこたつで暖かいものの、心の中は外と同じ寒々しい風が吹き抜けていた。
「お腹減ったな……」
 ゴトゴトとこたつを動かして冷蔵庫を確認してみる。なるべく外に出なくても済むようにと、スーパーやコンビニで買った総菜と飲み物が詰め込まれている。同じ理由で台所の棚にはカップ麺がぎっしりだ。
 スイッチ一つで沸くポットからお湯を出してラーメンに注ぎ、一膳しかない自分の箸を掴んで三分待つ。テレビを見ながら食べて、片付けは夜に同じ事をするついでに終わらせる。小さなユニットバスに浸かったらあとはもう寝るだけだ。
「何しよう」
 暇つぶしの読書もテレビも飽きて何もすることがない。あとはもう畳の目でも数えて時間を潰そうか、と思う夢主の耳に階段を上がってくる複数の足音が届いた。
 がちゃがちゃと物音がして隣の部屋が急に賑やかになる。ここ数日、人影も声もなかったお隣さんがどこかから帰ってきたようだ。
 だからといって退屈しのぎに顔を見せるのはどうだろうか。夢主はこたつの中で迷いながら、それでも誰かと話がしたい欲求に駆られた。
「少しだけなら……でも……」
 何を理由に訪ねたらいいのか、炊飯器も鍋も返された今、隣に行く意味がない。
 食材はあるが余っている訳ではないし、手土産になるような物といえばみかんくらいだろうか。しかしそれも、中途半端に四つあるだけで喧嘩になりかねない。ここはやはりこたつを……と思い悩む彼女の前で、大きな物音を上げながら唐突に壁が弾け飛んだ。
 バラバラと壁をぶち壊し、埃と煙が舞う中から現れたのはいつも夢主を驚かせるカーズではなく、立派な体格をした一頭のイノシシだ。素直にギャーッと声を上げた夢主に向かって突進してくる。
「!?!?」
 理解が及ばず、あまりのことに逃げることも、こたつの中に潜り込む余裕すらない。その場で硬直する夢主とイノシシが衝突する寸前、フッとその姿が消えた。
「ディエゴ!」
 DIOの呼び声のあとに、埃を切り裂く太い尻尾が宙に浮いていたイノシシを床に叩き落とす。
「あとはこのカーズに任せろ。輝彩滑刀ッ!」
 以前聞いたことのある技名が響く中、夢主の部屋におびただしい血がまき散らされることになった。


 大鍋の中でぐつぐつと煮られているのは獣肉だ。
 年末に重なった多くの出費で金欠になった彼らは、とうとう最終手段を使うに至ったらしい。山で生け捕りにしたイノシシをこっそり街中に運び込んだものの、気絶から目を覚まして暴れ狂う獣に部屋をめちゃくちゃにされた……と言う訳だ。
「今年最後の鍋は牡丹鍋か」
「いい狩りだった。少々、簡単すぎるがな」
 暢気なことを言うカーズを前に、それは密猟だし犯罪だと指摘したくても夢主の喉から出てくるのは嗚咽だけだ。
「うっ、うっ……」
 夢主の部屋は荒れ放題の血みどろで、賃貸の壁には人が通れるほどの大穴があけられている。恐ろしい目に遭わされたうえに高額の修繕費を思えば涙が出るのは当たり前だろう。
「どうするんですかッ! こんな大きな穴まで作って……私、大家さんに殺されますよ!」
 ぼろぼろと涙を流す夢主の後ろでスタンドが収縮と膨張を繰り返している。嘆いては怒って涙を流す彼女に、吉良だけが同情心を露わにした。
「申し訳ない。夏のボーナスが入るまで大家にはしばらく内緒だ」
 愕然とする夢主とは裏腹に、DIOは笑いながら壁の間を行き来する。
「そう悲観するな。部屋が少し広くなったと思えばいいのだ」
「それもそうだ。なぁ、和室を使ってないなら俺に貸してくれないか?」
 ディエゴの言葉に全員が目を見開いて夢主を見た。
「いいだろ? 掃除ぐらいはしてやるよ。血を拭き取るのは面倒だろうからな」
「おい! ちょっと待て! ディエゴに貸すぐらいなら私に貸してくれ!」
 ディアボロが手を上げて身を乗り出してきた。
「押し入れは安全だが、どうしても窮屈なんだ。足を伸ばして生活したい」
「いや待て。それなら私に貸してくれないか。夜は一人で静かに眠りたいんだ」
 とうとう吉良まで参加して誰が夢主の部屋の和室を得るか、激しい討論が始まってしまった。
「一人で寝たいのは俺だってそうだ。疲れて帰ってきたら馬鹿でかい棺が待ち構えてるんだぜ? 腰掛ければ文句を言いやがるし、ゆっくり寛ぐことも出来ないんだぞ?」
「そんなのは俺も同じだ! 布団を出す度に問答無用で開けられる気持ちが分かるか? プライバシーすら守られない!」
「それは全員がそうだろう。私だって寝る前のストレッチがしたくても我慢しているんだぞ。それより、プッチの酷い寝言に毎回起こされる身にもなってくれ」
「いいぞ。ディエゴが部屋を出るとなれば、残りすべてこのDIOの物か。ようやく広く使えそうだな」
「部屋はどうでもいいが行き来しやすいのは便利だ。とりあえず、こたつとやらを試してみたい」
 そう言ってカーズは穴をくぐり抜け、夢主の部屋にあったこたつを抱えてこちら側へと移動させる。
 呆然とする夢主を余所に、DIOがちゃぶ台を片付けたそこに設置していそいそと二人が足を突っ込んだ。それを見た残りの三人も議論を続けながら空いた席に腰を下ろす。
「ディエゴ、君はベッド派だろう。和室は布団派の物だ」
「そんな決まりがあるとは思えない。だが、それならそれで洋室と交換だな」
「俺はどっちでもいい。一人になりたい。彼女ならお前たちほど騒ぎはしないからな」
 これほど最悪な一年があるだろうか。
 家族に見放され、帰る場所もなく、やっと居場所を見つけたと思えば壁をぶち抜かれ、イノシシに襲われそうになり、こたつを奪われた上に和室まで狙われている。
「うっ、うっ……うぇ……ひぅっ」
 何もかもが度を超しすぎて、怒りより先に涙が出て来てしまった。
「おい、貴様らそれくらいにしておけ」
 DIOの声にひとまず吉良たちの声が止む。
「よく泣く奴だ。まるで赤子ではないか」
 他人事のように呟くカーズは、まさか自分が原因の一つになっているとは思いも寄らないらしい。泣き崩れる彼女を仕方なく引き寄せて、自身の膝上に座らせてやる。
「鍋の一口目をお前に譲ってやろう。だから、さっさと泣き止んでしまえ」
 その場の全員がぎょっとする中、彼はワムウとサンタナをあやしていた頃を思い出しながら頭を撫でた。
「そんなの……当たり前です……っ」
 奪われたものを少しでも取り返すように、夢主は箸を手にしてお肉をごっそりとかっさらう。叫び声が上がる前で、ふーふーしながらいい気味だと全力で食べてやった。
「クソ! こいつ、俺らの苦労も知らないで!」
「狡いぞ! おい、こっちにも箸を寄こせ!」
「これだから貧乏人は。まだたくさんあるだろう」
「さっさと追加しろ、このDIOに生肉を食わせるつもりかッ」
「フハハハッ! いいぞ、それでこそ人間よ」
 後ろで高笑いするカーズを無視して夢主は次々に食べた。ご飯もお茶もおかわりして吉良を呆れさせたくらいだ。お腹いっぱいになる頃には怒りも涙も引いて、一人で部屋に居た時の孤独感などすっかり吹き飛んでしまった。

 終




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