クリスマス


 可愛いトナカイとサンタが点滅する電飾のスイッチをオフにして、明かりを落とした店内を後にすると甘い香りが漂う通路で店長のリゾットが待ち構えていた。
「ご苦労だったな。どうだ、少しは慣れたか?」
 ケーキ職人でありスタンド使いでもある彼に雇われて早くも一ヶ月が過ぎた。最初は見たこともないスタンド能力の連発に驚き疲れたものの、今では当然の事として受け入れている。
「はい。皆さん優しくてとても助かっています」
「それはこちらも同じだ。君のおかげで奴らは気を遣わなくて済むからな」
「確かにイルーゾォさんが鏡から出て来ても、もう驚かないですからね」
「この忙しい時期を手伝ってもらえてありがたい。売り上げも伸びて嬉しい限りだ」
 去年までは混雑する店内にギアッチョの怒号が飛び交う殺伐とした雰囲気だったのに、今年は大人も子供も笑顔があふれる実に平和なクリスマスだった。ケーキと共にパネットーネもすこぶる売れて、リゾットの睡眠時間を削ってまで仕込んだかいがあるというものだ。
「今月の給料を渡そう。従業員用の特別なケーキとクッキーも持って帰ってくれ」
 リゾットの言葉に夢主は目を輝かせる。お給料がもらえて、褒められて、最後にはケーキまで頂ける。こんなに充実したクリスマスは何年ぶりだろうと笑顔を見せた。


「おや、今帰りかい?」
「あ、吉良さん!」
 イルミネーションが輝く大通りの中、大挙する恋人たちに押された先で同じ荘に暮らす吉良と出会った。二人が手にしているのは今夜の夕飯が入った袋で、夢主はそれに加えて大きな包みとリゾットから渡されたケーキの箱を抱えている。
「今日は早いですね。お疲れ様です」
「人が多くて鬱陶しいが、そこだけはありがたいよ」
 並んだ二人は話しながら荒木荘を目指す。
「この時期はみんな浮かれてますよね。吉良さんは仕事終わりの飲み会とか行かないんですか?」
「まさか。今も上司と同僚から逃げてきたって言うのに、行く訳がない」
「確かにクリスマスくらいはそっとして欲しいですよね。あ、恋人とかは……」
「この前まで彼女が居たが縁を切ったよ。どうしても長くは続かなくてね」
「そうなんですか? すごくマメそうなのに、意外だなぁ」
 これほど格好いい人ですらクリスマス前に恋人と別れてしまうのだ。世の中は理不尽で出来ている。夢主が遠い目をする横で、吉良もこれまでの恋人たちを懐かしむ。
「そう言えば、君の炊飯器だけどもうすぐ返せそうだ」
「あ、本当ですか?」
「冬のボーナスが入ったおかげさ。これで鍋とフライパンもやっと買い足すことが出来る」
「良かったですね。私もお給料もらえたので、こたつを買おうかなって思ってます」
「それはいい。時々、こちらに持ってきてくれると助かる。あそこは暖房器具もないからね」
 風呂に入ってさっさと寝付く、それだけが寒さをしのぐ唯一の方法だ。フッと哀しい表情を見せる吉良に、夢主は少し大きめのこたつにしようと心に決めた。
「せめてストーブがあれば……」
 と話す夢主の背中に勢いよく人がぶつかってきた。輝くツリーをカメラに収めようとする集団の前に突き飛ばされて、手に持っていた物がその場に散乱する。
「あーっ! ケーキ!」
 ひっくり返った箱を慌てて戻す。
「大丈夫か? 形は悪くなってもケーキはケーキさ」
 慰めつつ吉良も荷物を拾うのを手伝った。
「ん? これは?」
 大きな袋からこぼれているいくつかの包みに、吉良は見覚えのある名を見つけた。
「あっ! それは……」
 夢主が手を伸ばせば、ぶつかってきた男性にそれを遮られる。
「え? あ、すみません」
 拾うのを手伝ってくれるのかと思えば、その人は袋と夢主の鞄を抱えて通りを走り去って行くではないか。
「……は?」
「おい、なにボサッとしてる! ひったくりだ!」
 吉良の声にハッとするもすでに遅く、その場に残ったのは無残なケーキだけだった。


 その足で警察に盗難届を出した二人は、すっかり夜が更けた頃になってようやく荒木荘に帰ってきた。
「本当に……すみませんでした……吉良さんにまで迷惑掛けて……」
「いや……仕方ないことだ。気にするな」
「……それじゃあ……おやすみなさい」
 ぺこりと頭を下げて夢主は部屋の鍵を外す。彼女がドアを開ける前に吉良がそっと手を掴んだ。
「こっちでご飯を食べて行きなさい。君の炊飯器なんだ、遠慮は必要ない」
 瞬間、夢主の目にぶわりと涙が浮かんだ。ケーキを作ってくれた店長への申し訳なさと、財布と荷物を目の前で奪われた情けなさに次々とあふれてくる。
「うぅ〜……きらさん〜」
 ぼろぼろと泣き出してしまった相手に、吉良は優しく部屋の中に招き入れた。
「ひったくりだと? このマヌケが。貴様、それでもスタンド使いか? 私ならそいつを秒殺するぞ」
「俺だってとことん追いかけて、地面へ無様に這わせるくらいはするぜ」
 麗しい金髪美形たちからの罵倒に夢主のHPは1になった。
「やはりこの世はアホだらけだな。すぐに反撃しなくてどうする。甘すぎるぞ」
「その場で殺せばよかろう。ボンヤリしているからだ、愚か者め」
 ディアボロとカーズの追加攻撃で0になる。夢主は涙を拭きながらぷいっと顔を背けた。
「お前ら……容赦なさ過ぎるだろう。いいから気にせず食べなさい。今日のおかずはデパ地下の総菜だ」
「おいおい、吉良。お前が側についていながら何とも頼りないではないか。一般人のクズ一人捕まえられぬとはなァ」
 気付けば爆殺される仕返しなのか、ここぞとばかりにディアボロが吉良を責めた。
「あの場でキラークイーンを使っても良かったが、いきなり指が飛んでは大騒ぎになるだろう? 申し訳ないとは思うが、私は会社の近くで目立ちたくはないんだ」
「いいんですよ、吉良さん。大丈夫です」
 お総菜を多めに分けてくれる彼に夢主は感謝しかない。うるさい外野は無視することに決めて、無理矢理に笑顔を作った。
「お給料は痛手ですけど……まだ貯金がありますから」
 引きつった笑いを浮かべる彼女の後ろでは、役立たずと罵られたスタンドが空気を抜かれたようにしぼみ、シワシワのたくあんよりも酷い状態になっている。本体の心の傷を反映してか、焦げ付いた匂いを放つ黒い煙が燻っていた。
「あとは部屋で食べますね、ごちそうさまです」
 それに気付いた夢主はおかずを乗せた茶碗を手に慌てて自分の部屋に戻って行った。そんな彼女を見送った吉良は長い溜息を吐いて白米に箸を伸ばす。
「いいのか? 彼女は私たちのライフラインの一つなんだぞ。こうした時くらいは例え偽りであっても優しさを見せておくべきだ」
「貴様、このDIOに媚びを売れとでも言うつもりか?」
 吉良の言葉にDIOは不快そうに睨んでくる。
「別にそこまでは言っていない。ただ……彼女は私たち一人一人にクリスマスプレゼントを用意していた。まだ日の浅い近所付き合い程度だが、彼女なりに気を遣ったのだろうな」
 大きな袋の中からこぼれ落ちたのは八個の包みだ。差し込まれたカードには吉良を初めとした住人たちの名が書かれてあった。
「というか……いつも大層なことを言う割に、女性一人すら慰めることが出来ないのか?」
 鼻で笑う吉良を前にDIOはギリリと歯軋りをする。ディエゴは眉を寄せ、ディアボロも押し黙る。カーズだけが素知らぬ顔で腕を組んでいた。
「確かにちょっと言い過ぎたかもな……。仕方ない、ファンからもらったやつでも物は物だ。何かの足しにはなるだろ」
「おい、ディエゴ。お前だけずるいぞ。私も行く」
 プレゼントを見繕うディエゴにディアボロも参加する。ドッピオと入れ替わっている間、彼が買ってきたお菓子を押し入れから探し出した。
「フン! 馬鹿馬鹿しい……」
 DIOだけが顔を背ける、と思えば
「だが、そこまで言われて引き下がるのはこのDIOのプライドに反する。いいだろう、この私のすべてを用いて慰めてやろうではないかッ」
 吉良を睨み付けながら携帯でどこかに電話を掛けるようだ。何をするつもりなのかと見ていれば、どうやら彼の部下と連絡を取ったらしい。
「今すぐ料理を用意しろ! 酒とケーキとツリーもだ。女が喜ぶプレゼントを持ってこいッ!」
 クリスマスに呼びつけられるなんて最悪だが、DIOの部下はよほど訓練されているのか二つ返事で要求を呑んだらしい。フフンと腹の立つ自慢げな表情に、吉良は呆れて物も言えなかった。
「優しくする、慰める……どちらもこのカーズには理解出来ない言葉だが……とにかく、何か物をくれてやればいいわけだな?」
 誰よりも知能が高いはずなのに、他人を思いやることに関しては赤子並みのカーズが首を傾げる。
「君は何もするな」
 吉良はそれだけを言ってご飯を黙々と食べ続けた。


 賛美歌とオルガンが鳴り響いていた礼拝堂の明かりを落とし、扉を閉めて鍵を掛ける。礼拝に来ていた人々が去ったクリスマスの夜はとても静かで穏やかだ。
 プッチは神父服の上にコートを羽織り、帽子を被って夜空の下を歩き始めた。荒木荘までの道のりは短いながらも、アメリカや刑務所とはまるで違う異国情緒に周囲を眺めるだけも飽きない。
「おや、神父様。お帰りですか」
 コンビニ前のゴミ箱を片付ける年老いた店長に話しかけられて、プッチは足を止めた。
「こんばんは。ミサを終えて帰るところですよ」
「なるほど。おかげさまでクリスマスケーキは売り切れてしまいましたが、おでんでもいかがです? 今なら肉まんもセール中ですよ」
「ふふ、商売上手ですね。こうした寒い日にはそれが一番だ」
 持ち帰るには金も量も足りないので、プッチはいつも小さなイートイン席で夕飯を取る。勧められたおでんと肉まんを買った彼は小さな座席に腰掛け、短い祈りを捧げてから温められたおしぼりで手を拭いた。
 箸ではなくフォークでおでんを食べていると、広告が貼られた窓の外に見知った人影が映り込む。
「カーズ?」
「プッチか。旨そうなものを食べているな」
 そう言ってガラス窓をすり抜けて店内に入ってきた。
「私の夕飯だ。食べたいのなら買いなさい」
「今はいい。あの女に出してもらうことにする」
「……あまり迷惑を掛けないように。嫌われても私は知らないぞ」
 プッチの言葉にカーズは心外そうな顔つきになる。
「嫌われるようなことをした覚えはない」
「君はそうでも、彼女は違うかもしれないだろう?」
 あつあつの卵にふーっと息を吹きかけるプッチと、太い腕を組んで眉を寄せるカーズ……端から見れば神父に絡む露出狂という異質な組み合わせだが、従業員たちは何も言わない。むしろカーズから放たれる美貌にうっとりと魅入っていた。
「ところでそれは?」
「ああ、これか……」
 プッチに指摘された大きな袋からカーズは中身を取り出した。女物の財布と給料袋、クリスマスラッピングされた包みには“プッチさんへ”というカードが飾られてある。
「あの女からのプレゼントだ」
「? それをなぜ君が?」
「盗人から取り返してやったのだ。あいつの匂いを頼りに探すのは簡単な事だったぞ」
 そう言って懐から夢主の物と思われる可愛い下着を見せた。
「……」
 無言で目元を押さえるプッチを無視してカーズは袋からプレゼントを次々に取り出す。
 吉良、DIO、ディエゴ、ディアボロ、ドッピオ、ヴァレンタイン宛ての贈り物だ。自分たちほどではないにしても、決して裕福とは言えない彼女がこの数を用意するのは大変だったに違いない。プッチは自分宛の包みを開いて、中から出て来た物に笑みを浮かべた。
「これはありがたい」
 落ち着いた色のマフラーをすぐに巻き付けて、鏡代わりの窓で姿を確認する。柔らかなウールのおかげで首元はすぐに暖かくなってきた。
「ほう……。まさか私も同じものか?」
「よく見ろ、大きさが違う」
 カーズがバリバリと包装を破いて中身を取り出せば、袋の中にみっしりとお菓子が詰められていた。
「駄菓子の詰め合わせか。良かったな」
「私の好きな物ばかりだ。なかなか分かっているではないか」
「……そう思うなら下着は本人に返しておきなさい」
 忠告を聞いているのかいないのか、カーズは嬉々としてお菓子の袋を開け放っていく。
 そんな彼の横で溜息を吐いたプッチは、再び聖なる夜に祈りを捧げて遅い夕食を食べるのだった。

 終




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