05


 裏切り者の粛正と財団との交渉、どちらも想像していたよりもすんなりと物事が運んで護衛チームは肩透かしを食らったような気持ちを外へ向けることにした。この際だからとフーゴはメトロポリタン美術館へ足を運び、ブチャラティとアバッキオはチャイナタウンやリトルイタリーに向かったらしい。ミスタと護衛の任を解かれたナランチャも自由の女神像を一目見ようと朝から出かけてしまったようだ。
 部屋に残っていた私物をナポリに送るため、大掃除をする夢主を二階に置いてジョルノはジョースター邸のバルコニーでのんびりとカプチーノを味わっている。時々、リビングの方から静とスージーの笑い声が響いてくるのが何とも穏やかな心地だった。
「何じゃ、一人こんなところで」
 そこへやってきのはジョセフだ。彼は近所の散歩から帰ってきて、ジョルノと同じようにここでコーヒーを楽しむのがいつもの日課だった。
「いい庭なので眺めてました」
「そうか……。ところで夢主はどこに行った? 君のお付きの者は?」
「ナランチャはニューヨーク観光に、夢主は部屋で荷物をまとめていますよ」
「おぉ……明日には帰国じゃったな……寂しくなるのぉ」
 日本の杜王町から連れて来た夢主とは短いながらも親子のように親しい付き合いだったように思う。スージーや静も話し相手が居なくなるのは寂しく感じるだろう。
「どこで暮らそうと、君とわしらはもう家族じゃよ。血よりも何よりも気持ちで繋がっておる」
 眼鏡の奥の優しい目を受けてジョルノは小さく微笑む。採血結果と左肩の星の痣でジョルノも正式にジョースター家の一員として認められた今では、家族という単語が背中をくすぐってくるようだ。
(この家の人たちは本当にいい人たちばかりだな……)
 例えば静のようにエジプトのカイロに残されたジョルノを、目の前のジョセフが拾い上げていたらどうなっていただろうか。ニューヨークのこの家で育つ自分をちらりと想像して……すぐに打ち消した。もしも、なんて想像は無駄な事だ。
「ありがとうございます。でもその言葉は僕より彼女に言った方が喜びますよ。ジョセフさん」
「生意気じゃのぉ……素直に喜べ」
 しれっとした顔で微笑むジョルノにジョセフは呆れたような声を漏らす。彼の将来が楽しみであり不安でもあるが、そこは仲間とポルナレフが支えていくだろう。かなりの大物になる予感を残しながらジョセフはコーヒーに口を付けた。
「それにしても……ニューヨーク最後の休日をこうして家で過ごすつもりか? 折角じゃから外で遊んできてはどうかね?」
「それはいいですね」
「夢主の好きなカフェとレストランはここじゃ。以前はよく博物館や歴史ある教会を見学しに行っておったの。タイムズスクエアの人混みに飽きたら公園でお喋りするのもよし、ビルの展望台からマンハッタンを見渡すのも一興じゃぞ」
 ジョセフはそう言って観光名所が書かれた手書きの紙といくつかのチケットを手渡してくる。
「ここまでして頂かなくとも……」
「これはささやかな祝いと夜のサプライズパーティのためじゃ。今からわしらが用意をする。お前さんは夢主に気付かれぬよう18時まで外に連れ出して欲しい」
「サプライズ……ですか?」
「婚約祝いのパーティじゃ。初日は慌ただしくて中止になったからの。今日はそれの仕切り直しじゃ」
 確かにあの日は裏切り者を追うのに忙しく、夕食をゆっくり楽しむどころではなかった。夜遅くに帰ってきたジョルノはそのまま眠り込んだが、祝いの用意をしていたらしい夫人には悪いことをしてしまったようだ。
「そうですか……分かりました」
 仲間たちも降って湧いた休日を楽しんでいることだし、自分もいいだろうという気になってくる。ジョルノはカップをテーブルに戻してすぐに立ち上がった。
「グラッツェ、ノンノ」
 悪戯っぽくも美しい流し目にそんな言葉を受けてジョセフはしばらくぽかんとしてしまった。久しぶりに聞いた流暢なイタリア語に思わず遠い過去が蘇ってくる。
「おじいちゃん、のぉ……」
 年齢を考えれば確かにそうなのだが相手は年若くも自分の叔父だ。ジョセフは奇妙な繋がりに苦笑し、軽やかに階段を駆け上がっていくジョルノから小鳥が舞い飛ぶ庭へ視線を戻した。


「片付けが終わったらこの街を案内してもらえますか? 僕と一日、デートを楽しみましょう」
 とジョルノに誘われた時、夢主は驚きのあまり抱えていた本を足の上に落としてしまった。痛む足を動かして二人でナポリに持ち帰る荷物を整えた後、身支度を済ませて玄関先で待つローゼスの車に乗り込んだ。すぐにジョルノが乗り込んできて車は市内に向けて走り出す。
「僕もニューヨークは初めてですから、しばらく付き合って下さいね」
 楽しそうな表情が年相応に輝くのを見て夢主はもちろんだと頷いた。
 二人を乗せた車は昨日訪れたセントラルパーク近くへ再び舞い戻り、アッパー・ウエストサイドにあるアメリカ自然史博物館前に横付けされた。駐車場へ向かう車を見送って二人は荘厳な佇まいを見せる正面入り口をくぐり抜ける。吹き抜けの玄関ホールには肉食恐竜のアロサウルスから、子供を守ろうと後ろ足で立つバロサウルスの巨大な骨格標本が展示されてあった。パンフレットを手にしたジョルノが思わず声を上げてそれらに魅入っていると、
「ジョルノ、手を繋いでもいい?」
 と夢主から声が掛けられる。
「ええどうぞ」
 広い館内でお互いが迷子にならないためか、と思って手を重ねた瞬間、世界が一変した。それまで向こう側が透けて見える骨組みだけだった恐竜たちは鮮やかな色と肉付けがされた巨体を取り戻していた。二匹の恐竜が雄叫びを上げて威嚇し合い、ジョルノのすぐ目の前で生き残りを賭けた戦いを繰り広げているではないか。
「……」
 呆然とするジョルノの横っ面を草食恐竜のバロサウルスの長く太い尾が叩き抜けていった。
「……これは……」
 うねる尾に伸ばした手は恐竜の皮膚に触れることはなく、ただ空を切った。
「あなたのスタンド能力?」
「ジョルノに見せたのは初めてだけど、面白いでしょう?」
 隣に立つ夢主を振り返れば、以前に一度だけ見た彼女のスタンドが寄り添っている。繋げていた手を離すと恐竜たちは一瞬で元の骨だけの姿に戻ってしまった。
「驚いた……僕と似たような能力が?」
「ううん、私のはただ人や物の記憶に同調して引き出すだけ」
 その精度を高めたのが複製する能力だがリスクが大きすぎて今では滅多に使うことがない。それよりもこうして過去の遺跡や化石が持つ記憶を再現する方が楽しく、負担もなかった。
「なるほど。しかし……これを見せたら研究員が泣いて喜ぶでしょうね……」
 離れた手を再び繋ぎ合わせると恐竜たちは生き生きと動き出す。ロボット制御されたものではなく、なめらかな本物の動作だ。二人の身長を遙かに超えたところで鋭い牙を見せながら威嚇する肉食恐竜の雄叫びが轟いている。ブファーッと吹き付ける荒い鼻息を全身に受けながら、ジョルノと夢主は楽しそうにエレベーターホールへ歩いて行った。
 ショーケースの向こうに並んだ剥製たちはそれまでジッとしていたのがまるで嘘のようだ。歩いたり飛び跳ねたりして、精巧に作られたジオラマ内を横切っていく。象の群れがすぐ隣を歩き、絶滅した蝶たちが色鮮やかに頭上を飛び越え、何千年も前に生きたアンモナイトは横たわって今も眠りについている。多くの恐竜が並べられた階では鳴き声にうなり声、それに体を震わせるほどの大きな足音で満たされていた。
「博物館と言うより……これはもう動物園ですね」
 こちらに突進してきたトリケラトプスをジョルノは体で受け止め、巨体がすり抜けていく様を眺める。恐竜は別の骨を見上げる観光客の体に吸い込まれるようにして消えていった。
「ジョルノはすごいね……私、自分の能力なのに驚いちゃって……何度、悲鳴を上げたことか……」
 びっくりしすぎて腰を抜かした夢主を、具合が悪いと判断した職員が駆けつけてくれた時のことを思い出す。野次馬に囲まれながら問答無用で救護室に運ばれて、死ぬほど恥ずかしい思いをした。それから何度か足を運んでようやく慣れたというのに、ジョルノは最初から平気なようだ。
「フフ、これでも驚いてますよ。でもあなたの能力だって分かってますから……こんなに素敵な博物館巡りは初めてです。ありがとうございます」
 ジョルノは繋いだ手を口元へ寄せ、手の甲へちゅっと軽いキスを落とした。照れる夢主をからかうように小さな恐竜たちが頭上を飛び跳ねていった。
 そうして二人が賑やかな博物館巡りを終えて再び車に乗り込む頃には昼を過ぎていた。観光客があふれるタイムズスクエア前を横目に通り過ぎ、ロックフェラーセンタービルに辿り着く。いつも冬には豪華なクリスマスツリーの点灯式が行われるそこも、初夏を迎えた今ではツリーもスケートリンクもなかった。
 近くのレストランで遅いランチを食べた後、マンハッタンを一望できる展望台に足を向ける。エレベーターで辿り着いた67階は強化ガラス越しに周囲をぐるりと見渡せる大パノラマだ。すでに多くの家族連れに若いカップル、観光客の団体がカメラを片手にレンズの向こうを覗き込んでいた。
「いい景色だ」
 ジョルノはうきうきした声で正面にそびえ立つエンパイア・ステート・ビルを眺める。傾きゆく太陽の下で力強く伸びるビル群はアメリカの象徴のようだった。
「ジョルノ、見て見て」
 望遠鏡にコインを入れた夢主に手招かれる。ジョルノがレンズの先に見たのは遙か遠くに立つ自由の女神像だった。
「前は曇りで見えなかったの。今日は天気が良くて良かった」
 笑顔を浮かべる相手に微笑みかけてジョルノはしばらくハドソン川やマンハッタンのあちこちを見下ろす。レンズが暗くなったところで顔を離し、
「上にも行きましょうか」
 と手を差し伸べて階段を上がった先にある最上階を目指した。ガラスのないそこはさらに開放的で時々吹き付ける風に体ごと煽られそうになる。ジョルノは乱れる髪を片手で押さえながら夢主と共に時間を掛けてゆっくりとその場を楽しんだ。

 近代的な高層ビルが建ち並ぶ中、異質なまでに荘厳なゴシック様式が際立って見える。ロックフェラーセンターからほど近いセント・パトリック教会では青く美しいステンドグラスに包まれながら結婚式を挙げるカップルとその親族、そしてそれを見学する観光客が神父の厳かな声に耳を傾けていた。
 夢主とジョルノも左右にある参拝客用の椅子に腰掛けて、指輪の交換をする新郎新婦を遠くから見つめた。
「綺麗ですね」
 神聖な雰囲気といい花嫁と参列者の笑顔といい、すべてが光に包まれて輝いている。ジョルノは椅子に深く腰掛け、組んだ足に両手を置いてリラックスした状態で彼らを眺めた。
「うん……ジョルノ、ごめんね」
 同意の後の謝罪が何を意味するのか分からず、ジョルノは夢主の横顔を伺った。
「DIOや婚約者に選んだこと……それにナランチャから聞いたけど、私がチームに居られるように色々と気を遣ってくれたでしょう?」
 護衛役の彼は相手が女だとどうも口が軽くなってしまうらしい。それだけ仲が良くなったのだと前向きに捉えることにした。
「何だか迷惑ばかり掛けているようで……本当にごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ」
 裏切り者を始末するのが本来の目的だとはいえ、今回のことはジョルノも好機だと捉えた。夢主とポルナレフという二枚のカード、それからDIOという最大のジョーカーを使ってジョースター家とSPW財団に繋がりを持てたことはかなり大きい。
「パードレとジョースター家……どちらも守りたいと願い、その間に立つ気なら謝罪なんて意味がありませんよ」
「……」
 悲しそうに眉を寄せる相手の手を掴んでジョルノは正面から告げた。
「それより、あなたはもっと貪欲になった方がいい」
「……え?」
「嘘を突き通すだけの気力としたたかさ……彼らを失いたくないと思うのなら、そのどちらも身に付けてしまいなさい」
 本当は承太郎も事実を知っているのにあえて言わないのだから同じ事だ。
「僕だって必要とあらば嘘をつきます。だからそんなに罪悪感を感じないで。それにジョースター家に迷惑を掛けたくなければ、謝るより先にパードレが悪さをしないようあなたが手綱を握ることです」
 ジョルノの言葉がすぐには理解できず夢主は困惑した表情で相手を見つめ返した。
「フフ……いっその事、鎖で縛ってあなたが飼い主になればいい。大きな獣ですが躾けてしまえば飼うのも楽でしょう」
「えっ」
 驚く夢主にジョルノはクスッと笑いかける。
「なんてね……冗談ですよ。でも、あなたなら相手の意思など関係なくそれが出来る。便利なスタンドを使用するのも一つの手だと思いますよ」
 ジョルノは相手の手のひらを撫でて以前に聞いた露伴のスタンド能力を示唆する。DIOの肉の芽と同じく相手の心をコントロールする力だ。それを使うところを想像して青くなる夢主にジョルノは優しく囁きかけた。
「それが嫌なら……何が起ころうと決して後悔しない選択をすることですね」
 ひどい難問を投げかけてくる彼に夢主は肩を落としそうになる。それでも彼の言葉に救われるような気がしたのは事実だ。迷う心を抱えてばかりでは最悪の時が訪れた際、きっと足が竦んで何もすることが出来ないだろう。一ミリも後悔しないように今から覚悟を決めておかなくてならない。どちらか失うことになっても、誰かに恨まれても、胸を張って事実を受け止めなくては前に進むことが出来なくなる。
「……ジョルノ、どうもありがとう」
 溜め込んでいた胸のつかえを深呼吸と共に外へ吐き出す。今度は謝罪ではなく感謝を述べて繋いだ手を強く握りしめた。揺るぎない黄金の精神を持つジョルノから少しだけ勇気をもらえた気がした。
「いいえ、こちらこそ」
 アメリカ行きが決まってから今までずっと、どこか怯えたような視線が消えて新たな光が目に宿る。その様を間近で見ることが出来たジョルノは笑みを返しながら複雑な気持ちが胸にこみ上げてくるのを感じた。彼女の心が沈むのも浮上するのも、すべてDIOが中心だ。苦しみながらも深く想われていることをあの本人は気付いているのかどうか……
「惜しいですね……とても」
 二人を引き合わせたことを今になって少しだけ後悔する。最初はただDIOに惑わされた女性という認識で背後関係をまとめて利用しようと思っていた。少しずつ相手を知るたび色鮮やかに変化し、悩みながらも引くことはなく、むしろ越えていこうとするその態度をジョルノは好ましく思った。




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