08

「任務の引率?」



 悟に急に呼び出されて突拍子もないことを頼まれるのはいつものこと。今回もどうせ碌な頼みじゃないんだろうとパンダと一緒に悟の部屋に行ったら、1ミリも進んでいない報告書を広げて甘そうなジュースを啜る悟がいた。「さっさと用件を話せよ」と側まで寄ると、悟は無言でタブレットを渡して頭を抱えた。



「旧吹上トンネルって、あの有名な心霊スポット?」



 任務の情報が記されるタブレットに映っていたのは、都内でも有数の心霊スポットである旧吹上トンネル。都心を離れた場所にあるそのトンネルは昔から噂が絶えず、呪霊が居てもおかしくはない。窓の報告によれば、トンネルにいるのは恐らく3級レベルの呪霊。大した被害も起きていないようで、新人のレベル確認はまさにうってつけの案件だ。だとしても、一年の引率であれば担任である悟の仕事。なぜ私たちが行かなければならないんだと悟を睨みつければ、悟は私の表情から察したのかため息をついて真っ白な報告書をパラパラとめくった。



「僕が行きたいのは山々なんだけどさ、見ての通り報告書が溜まってんの。今日中に出せって学長に怒られちゃってさー」

「じゃあ副担任に頼めばいいだろ。最近入ったって聞いたけど」

「真希とパンダに引率を頼みたいのは、その副担任の、だよ」

「は?」











 高専を卒業するのと同時に呪術師を辞めて、10年ぶりの復帰だと聞いていた。ブランクが相当長いからもっと酷いものを想像していたけれど、美月の動きは思っていたよりも良かったし術式もなかなかに良いものだった。まあ、足首を捻ってやられかけるなんてザマは現役の術師にはあまりない事が起きた時は肝が冷えた。パンダに抱えられたまま深く息を吐いた美月は、「また悟に笑われる……」と項垂れている。足の怪我は大したことはないけれど、見た目が派手なのと捻挫もしているようだから、早めに硝子さんに見てもらった方がいいだろう。



「とりあえず悟に報告するか」

「え、報告って怪我のこと?」

「美月になんかあったらすぐ連絡しろって俺たち言われたんだよ」

「無理無理!アイツに知られたら絶対笑われるし!真希、お願い内緒にして!」

「そうは言われても、後でバレたら面倒だしな」



 バタバタと暴れる美月を無理矢理車に押し込んだパンダは、補助監督に「車出して」と伝えると私を見て頷く。その意味を理解した私は助手席に乗り込んで、スマホを取り出す。表示される《五条悟》の文字にスマホを覗き込んだ美月が後ろで何やら騒いでいるが、悟に騒がれるのと美月に騒がれるのを比べればどちらが面倒くらいかは明らかだ。電話のマークを押して数コール目で、悟はいつもの調子で電話に出た。



『もう終わった?』

「終わったけど美月が怪我した」

『………わかった。迎えに行くから、正門に車つけて』



 プツンと切れた電話に顔を青くした美月は、恐る恐る自分の足の怪我を見て、盛大にため息を吐く。本人は副担任としての不甲斐なさや失態を悟に怒られると思っているようだけど、私は少し、違う気がした。悟は生徒が怪我してもそれを笑うような男だし、実際恵の血まみれの写真が送られてきたこともあるし、最悪硝子さんに反転術式で治してもらえるのだから、大抵の怪我は大事にはしない。それが、今回は美月の怪我を聞いた途端に少しだけ悟が動揺していたような気がした。そもそも新人でもない、ブランクがあるとは言え経験者である美月の引率をわざわざ私とパンダの二人に頼んだ時点で変だとは思っていた。復帰前は1級だったと聞いたし、相手の呪霊も3級程度。怪我はしても死ぬことはないだろうし、補助監督さえついていれば引率なんて必要もない。



「で、アンタは悟とどういう関係なんだよ?」

「どうって、ただの同級生だよ」

「ただの同級生が普通ここまで心配しないだろ」

「パンダに同意」



 窓の外の流れる景色を見ながらそう呟けば、ええーと不満そうな美月の声が聞こえた。まあ、美月にとってはただの同級生でも、悟が実際のところどう思っているかは会えば分かる。高専まであと少し、一体悟は美月の怪我をみてどんな反応をするのだろう。細かくは伝えていないから、もしかしたら大怪我をしたと勘違いをしているだけかもしれないし、小さな怪我でも酷く狼狽えるかもしれない。後者だったら面白いんだが。それを言ったら美月が怒りそうだから言わないけれど、パンダも考えていることは同じらしい。やがて高専の敷地が見えてきて言われた通りに正門の前に車をつけ、パンダが美月を抱えて車を降りる。続いて私も車を降り、校舎へと続く長い石造りの階段を上がっていけば、上がりきったところで悟が腕を組んで待っていた。不機嫌なオーラを隠そうともせずにパンダに抱えられる美月を見据えると、私たちに視線を移して目隠しを軽く上げて久しく見なかった碧眼を覗かせた。



「怪我の具合は?」

「捻挫と切り傷。ま、大したことはない」

「お前たちがついていながら、怪我をするとはね」



 ふうんと目を細めた悟はそろりと近づくと、気まずそうに視線を逸らす美月をパンダから引きずり降ろして、そのまま横抱きにした。「やめてよ、歩けるから下ろして!」とじたばた暴れる美月を抑え込んで、「彼女は僕が硝子のところへ連れていくよ。報告はまたその後で」と背を向けて、医務室に向かって歩き出す。騒ぐ美月を無視してそのまま遠ざかっている悟の背中を見送りながら、先ほど想定していたどの反応でもなかったな、と呟けば、パンダは頷いてため息をついた。



「俺の女に怪我させてんじゃねーよ、って目が語ってたな」

「そういうの、パンダにも分かるんだな」

「あそこまであからさまだとさすがに分かる」



 目だけで殺されるかと思ったと呟いたパンダは、くるりと後ろに振り返ってそのまま腰をおろした。その隣に同じように腰を下ろすと、階段の下には沈みかけている夕日とオレンジに染まった町が見える。別に大したことはしていないはずなのに、なんだかどっと疲れた。今まで何度となく女の匂いを纏わせている悟を見てきたし、どれも一夜限りの関係だと本人も言っていた。女にだらしないというか、不誠実であると思っていたあの悟が、一人の女が少し怪我をしただけであんなに怒るとは。珍しいものが見れたという面白さが半分、なんだか面倒くさそうな予感が半分。「あの人、何者なんだろうな」と後ろ手をついて空を見上げれば、パンダも思い出したように上を向いた。



「そういえば、正道が『悟は案外一途なやつだ』って言ってたな。学生時代からずっと好きな女がいるって」

「それが美月ってこと?」

「案外そうかもな」



 呪骸のくせにそんな話もすんのかよ、と思いながらも、あの悟にも人間くさい部分があるんだなと不思議な気持ちになった。美月の反応だと、告白もしたことないんだろう。あいつも案外青臭い。寮に戻ったらとりあえず棘にこの話をしよう。この先二人の関係がどうなるかはあまり興味はないが、見たことがない悟の表情が見れるかもしれないと思うと少しだけ今後が楽しみだった。











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