04

「行くでしょ、東京観光」



 上京してきたばかりの虎杖と釘崎に向かって、五条先生はキラッと効果音が付きそうなほど恰好つけてそう言った。それに目を輝かせた二人と、なぜかわくわくとした顔をしていた綾瀬さんは、その後に続いて告げられた行先にさらに期待を膨らませた。六本木。言わずと知れた大人の街。三人がどんな場所を想像しているかは知らないが、五条先生の後をついて行く三人の足取りは軽く、そろそろスキップをしだすんじゃないかというほどだった。



「いますね、呪い」

「嘘つきー!!六本木ですらねー」

「地方民を弄びやがって!!」

「今から六本木で飲み歩くんじゃなかったの!?」



 五条先生に連れられてやってきたのは、都心の中にありながらも人の寄り付かないひっそりとした路地裏にある、明らかに“出る”廃ビル。それを見た三人は頭を抱えて各々五条先生を責め立てていた。五条先生が観光案内をするわけがないと思っていたからなんとなく予想はできていたが、引率であるはずの綾瀬さんまでがっかりしているのは謎だった。未だぶつぶつと文句を言っている釘崎とは正反対に、すぐに切り替えた虎杖は五条先生に呪霊について問いかけた。呪いの知識もなく戦闘経験もない虎杖に丁寧に説明してやれば、案外すんなりと飲み込んだようだった。綾瀬さんはすでに興味を無くしたのか、「飲み物買ってくる」とだけ言って人混みの中に消えていった。



「やっぱ俺も行きますよ」



 今日は実地試験ということで、虎杖と釘崎だけが建物内に入り呪いを祓うと五条先生に説明を受け、二人は不安な素振りを見せることもなく廃ビルの中へと入っていった。正直まだ未知数の釘崎と初心者の虎杖だけでは心配だし自分も行きたかったが、病み上がりということもあって五条先生に止められた。それに不満がないとは言えないが、実際まだ完治したわけではない傷口は少しズキリと痛んだ。



「でも虎杖は要監視でしょ」

「まぁね。でも、今回試されてるのは野薔薇の方だよ」



 近くに会ったブロックに腰を下ろして、隣に座る五条先生に目を向けた。先生は自分の頭をコンコンと指先で叩いて、「悠仁はさ、イカレてんだよね」と言った。確かに、呪霊は異形といえども生き物の形をしているし、それに全く恐怖も躊躇も感じない、という人は少数派だろう。俺は生まれた時から呪霊を視認できたし、ほとんどの呪術師がそうだ。それでも、才能があってもその嫌悪と恐怖に勝てずに挫折した呪術師を、俺は何人か知っている。そもそも、呪霊が見える、術式が使えるからと言って、自分の命が危険にさらされる場面で冷静でいられる方がおかしいのだ。「今日は彼女のイカレっぷりを確かめたいのさ」と付け加えた五条先生の言葉には、頷くしかなかった。



「……あの人は」

「ん?」

「綾瀬さんはマトモに見えますけど」



 自分で言うのもあまりいい気はしないが、呪術界はイカレた人たちで成り立っている。そう考えた時に、一人だけ違和感を覚える人がいた。綾瀬先生だ。彼女とはまだ知り合ったばかりだしあまり詳しくは知らないが、何度か交わした会話や教養の授業を受けた感じだと、ごく普通の人だった。たまに悪ノリするところは五条先生に似ているけど、それなりの常識を備えていて、いわゆる“一般人”に近い感覚を持っている。高専を卒業後は呪術界を辞めたとも聞いた。そんな彼女がどうしてまた呪術界に戻ってきたのかも気になるし、あの五条先生がどうして彼女を副担任という自分に近い役職に置いたのかも気になった。



「あいつはちゃっかりイカレてるよ。大人になって少し丸くなっただけで、昔はなかなかのクレイジーガールだったさ」



 俺の疑問を笑い飛ばした五条先生は、昔を懐かしむように空を見上げた。綾瀬さんとクレイジーガールという単語は俺の中ではうまく結びつかない。首を傾げてみたら、五条先生は「美月には内緒だよ」と人差し指を唇の前に持ってきた。



「実は彼女、放火魔でね。初対面で前髪を燃やされたよ」

「燃やすって……それが綾瀬さんの術式ですか?」

「そう。それも一度だけじゃなく何度もね。おかげで無下限のコントロールがうまくなったわけなんだけど」



 どうせ五条先生が初対面で失礼なことを言ったんだろう。あの人がいきなりそんなことをするとは思えない。呆れてため息を吐いたら、五条先生は信じてないだろと眉を潜めた。次々と五条先生の口から溢れてくる綾瀬さんのクレイジーエピソードはどれも信じ難いものだかりで、どこまでが本当の話なのか俺には判断できなかった。確かに、この五条悟という人間と同級生を四年間もやっていて、再会してすぐ一緒に働き始めるなんて、普通の人間ならとっくに発狂している、と思う。同じ同級生である家入さんも少し変わった人だったな、と頭を過った。まだあるよ、と笑った五条先生がそのまま話し続けていると、人数分の飲み物を片手に遠くから綾瀬さんが歩いてくるのが見えた。



「はい、伏黒くん。悟はこっちね」

「さすが美月、僕の好みよく分かってるね」

「隣であれだけ砂糖摂取されてればね」



 俺がよく飲んでいるコーヒーを差し出した綾瀬さんにありがとうございますとお礼を言ってそれを受け取る。ふと五条先生が言っていた話を思い出したが、やはり作り話なんじゃないかと思うほど、彼女はどう見たって普通だ。体は鍛えているのか引き締まってはいるが、戦闘をする姿はあまり浮かばない。火にまつわるタイプの術式なら本人は動かないのかもしれないが、それでもやんちゃをするようには見えなかった。「何話してたの?」と聞きながら五条先生の隣に腰掛けた綾瀬さんに、しれっと「女の子の好みについて。ちなみに僕のタイプは美月みたいな子だよ」と五条先生は答えた。ふうんと興味なさげに息を漏らした綾瀬さんは買ってきたミルクティーに口をつける。あまりにも自然に五条先生が綾瀬さんを口説いていたように見えたけれど、俺の気のせいだろうか。2人並んで軽口を叩き合う姿は気心が知れているように思える。特に五条先生は、元々距離の近い人ではあったけど、綾瀬さんには特別よく構っている。ただの同級生、という言葉で片づけるには二人の距離はあまりにも近い気がした。



「お疲れサマンサー!!」



 そうこうしているうちに釘崎と虎杖は無事呪いを祓い終え、小学生くらいの男の子を連れて廃ビルから出てきた。その子を無事に家まで送り届け、五条先生は「今度こそ飯行こうか」と任務を終えたばかりの二人に顔を向けた。それぞれが「ビフテキ!」「シースー!」と叫んで喧嘩をしている様子を見て、今度は仲間入りしなかった綾瀬さんはくすりと笑みを零した。



「綾瀬さんはリクエストしなくていいんですか?」

「食べ物くらいは若者に譲ってあげないとね」



 それに、五条先生ならいつでも奢ってくれるよ、と悪い顔で笑った綾瀬さんは、どことなく五条先生に似ている気がした。彼女は普通。いたって普通なのに、たまに五条先生を思い出させる瞬間がある。仕草だろうか、言動だろうか。ふと長年連れ添った夫婦はだんだん似てくるという言葉を思い出して、もしかして、なんて考えが頭を過る。五条先生には女性の影がありすぎるくらいだったから、そのうちの一人でした、と言われても納得してしまうかもしれない。それでもやっぱりこんな常識人らしき人が五条先生とそういう関係だとは思いたくない。一人であれこれと考える俺を見て、綾瀬さんは「伏黒くんもビフテキが良かった?」と見当違いのことを聞いてきたので、やんわりと否定しておいた。





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