涙雨のハンカチ

 暗くて重たい雲からはらはらと水がこぼれ落ちて、地面の色が少しずつ濃くなっていく。目の前のはずなのにザアザアと遠くで音がして、幻聴かと思って手を伸ばしたら確かに濡れた。昼間なのに辺りは真っ暗でまるで夜のようだ。少し肌寒さを感じて膝を抱えると、世界でひとりぼっちになってしまったように思えた。



「何してるんだよ。伊地知さんが探してるぞ」

「………伏黒」



 突然目の前の雨が止んで顔を上げると、伏黒はお父さんが持つような、黒くて大きな傘を広げて私を見下ろしていた。「雨宿りだよ」と見たままの状況を言葉にすると、彼は何も言わずに傘を畳んで私の隣に腰を下ろした。シャッターだらけの誰もいない商店街は雨音以外何も聞こえない。雨を見ると寂しい気持ちになるのはどうしてだろう。本来ならたくさんの人で賑わっているはずのこの場所にいるから、余計にそう感じてしまうのだろうか。隣の伏黒は何も言わずに、ただ黙って向かいのお店を眺めている。少し湿り気を含んだ黒髪のせいか、いつもと違う人に見えた。



「同い年くらいかな。女の子、助けられなかった」



 街中で突然起きた呪霊の騒ぎ。逃げ遅れた数名の一般人が呪霊の人質となり、なんとか全員を救おうと試みたものの、一人の女の子が犠牲となった。目の前で命の炎が消えていく様子を何度も思い出しては、指先が冷たくなっていく。私がもっと強ければ。あの時、一秒でも早く動けていたら。助けられたかもしれないのに。



「あの状況じゃ仕方ないだろ。どうしたって、全員は助けられない」

「うん。わかってる」

「お前は、悪くない」



 ぽすっと頭の上に私よりも大きな手のひらが乗せられて、優しく髪を撫でる。その温もりにじんわりと目の奥が熱くなって、私は抱えた膝に顔を埋めた。私たちは呪術師で、きっとこの先も何度も人の死に触れる。そんなことを考えている余裕もないくらい忙しいことも分かっている。それでも、心を痛めずにはいられない。優しい手は何度か私の頭を撫でた後、そっと離れてポケットの中を漁った。そこから傘と同じ真っ黒のハンカチを取り出して、私に差し出した。視線はまっすぐ、前に向けたまま。



「私、泣いてないよ」

「雨に濡れただろ。早く拭けよ」



 私に無理やりハンカチを押し付けた伏黒は、「伊地知さんが来るまでに済ませろよ」と私とは反対側を向いた。震える唇ではありがとうすら言えずに、私は少し男臭い真っ黒なハンカチを目元に押し当てた。触れ合った肩が震えていることに伏黒は気づいていたかもしれないけれど、彼はただじっと雨を眺めていた。








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