巻き戻してもう一度キスをしよう

「いらっしゃいま、せ…」



 日が傾いてピークが過ぎた頃。ドアベルの音に視線をあげたら、そこにはすらりと背の高い白髪の男性が立っていた。私の知り合いにはあんなにも長身の男性はいないけれど、陽の光に反射してきらきらと光る髪の毛も、サングラスの奥に隠された碧い瞳も。知らないというには、あまりにも、記憶にやきついている。



「……五条、くん?」

「苗字、?」



 思わず名前を口にしたら、彼も私を見つめて目を丸くした。サングラスをずらしながら久しぶりだね、と話す声はあの頃と何も変わらなくて、一気に過去へと気持ちが引き戻される。

 ――五条悟。中学時代のクラスメイトで、当時、好きだった人。

 ご案内します、と声を絞りだして窓際の席の椅子を引くと、彼は長い足を折り曲げるようにして席に座った。



「ここ、もしかして苗字の店?」

「うん、そう。去年オープンしたばっかり」

「へえ。じゃあ店長さんのおすすめのやつください」



 紅茶もお願い、と言ってにんまりと笑った五条くんは、すぐに窓の外に視線を向けた。雑踏を見つめる横顔はあのころと変わっていなくて、いや、前よりも大人びていて、より綺麗になっている気がする。店内の女性客も、アルバイトの女の子たちも、そんな彼を見つめて頬を染めていた。

 高校を卒業してからひたすら修行を重ねて、昨年この地にパンケーキ店をオープンした私は、まさかこんな大物のお客様が来るなんて想像もしてなかった。中学の卒業式ぶりの再会。彼とは連絡先も交換しておらず、都立の宗教系の高校に進んだと人伝に聞いた。こんなに人がたくさんいる東京だ、もう会えることはないだろうと、なんとなく思ってはいたけど。



「店長、あのイケメンと知り合いですか?」

「うん。中学の同級生なの」

「ええーめっちゃうらやましい!」



 思い出すのは、中学3年の夏。隣の席だった五条くんはほとんどこちらを見ることはなかったけれど、たまに交わす会話と、肩と肩が触れそうな距離感がとても居心地がよかった。教科書を忘れた五条くんと一つの教科書を眺めながら、ちらりと横顔を盗み見ようとしたら、何もかもを見透かすような碧い瞳と目が合って、どきりとしたことがあったっけ。私の人生にこれほど強烈な印象を残した男の子は、五条くんだけ。



「苗字」



 ふいに名前を呼ばれて顔を上げたら、すでにパンケーキを食べ終えた五条くんがカードを片手に立っていた。お会計お願い、の声にはっと息を飲んで、すぐにレジに案内した。甘いもの好きなんですねとか、味はいかがでしたかとか。聞きたいことはたくさんあるのに。レジを挟んですぐそこにあの五条悟がいると思うと、緊張して言葉が出てこない。カードとレシートを渡して、ありがとうございました、と頭を下げる。

 ああ、もう帰っちゃうんだな。奇跡的な再会なんて、こんなあっけなく終わっちゃうんだ。



「苗字さ、今日何時に終わるの?」

「えっ、と、19時には終わるけど」

「夜、用事ないならごはんでもどう?」



スマホの時計を確認しながら、僕、今日は久しぶりのオフなんだよねと笑った彼に、一気に体が熱くなった。だって、あの五条くんが、私を、ごはんに誘うなんて。こくこくと頷くことしかできない私を見てにやりとした五条くんは、じゃあまたお店の前まで迎えに来るねと人ごみの中に消えていった。








がやがやと騒がしさが少し遠くに聞こえる居酒屋の一角、大通りの交差点が見える窓際のカウンター席に、私たちは並んで腰かけた。私の手には甘めのカクテル、下戸だという五条君の手にはウーロン茶。緊張しすぎて、ごはんが全然喉を通らない。



「五条くんは何のお仕事してるの?」



 さっきパンケーキを食べたばかりだというのに、五条くんは目の前にある料理をぱくぱくと口に運んでいく。よく食べるなあなんて思いながら、私はカクテルに口をつけた。



「出身校で教鞭をとってるよ。今は一年生の担任」

「五条くんが、先生…」

「意外って顔だね」

「うん、正直意外かも」



 中学の頃の五条くんは無口で、一匹狼という感じだった。クラスメイトと話しててもどこか浮いた感じだったし、話しかけづらい雰囲気があった。それが今では、こうしてごはんも誘ってくれるし、気さくに話しかけてくれるようになっている。柔らかくなった目元も、優しくなった口調も、あの頃とは全然違う。大人になったんだなあ、私たち。


 どうしてパンケーキ店を開いたのかとか、今の学生は私たちの頃とは少し違うとか、同じクラスだった田中がもう結婚しただとか。久しぶりの再会ということもあり、話題はなかなか尽きなかった。話しているうちにお酒も進み、飲んでいるのは私だけだけれど、ふわふわと頭が揺れるような心地良い感覚に気分もよくなっていく。先ほどより肩同士が触れる回数が増えて、あの夏のドキドキが、蘇る。



「五条くん、わたしね」

「ん?」



 あの頃より低くなった声、あの頃より遠くになった顔の位置。あの頃とは何もかもが違うのに、私の気持ちはあの頃から変わらずにいる。



「中学の頃、五条くんのこと、好きだったんだぁ」



 元々大きな瞳がさらに大きく見開かれるのを見て、ふわふわとしていた頭からすうっと血の気が引いた。しまった、こんなこと、言うつもりなんてなかったのに。アルコールでぼんやりした頭と、久しぶりに感じる五条くんの体温に、完全に浮かれてしまっていた。



「じゃあ今は?」



 なんてね、なんて笑って誤魔化そうとしたけれど、五条くんはそれを許さなかった。無理矢理流し込もうとしたグラスを奪われ、先ほどよりも近くで顔を覗き込まれる。逃がさないよ、彼の瞳はそう告げている気がした。



「ご、じょう、くん」

「今は?僕のこと、どう思ってんの?」

「いま、は…」



 頬にかかった私の髪を、五条くんの指がすくって耳にかけた。そのままするりと耳のふちを撫でられて、ぴくりと肩を揺らす。いつの間にかサングラスは外されていて、透き通るような碧い目がよく見える。あの夏、蒸し暑い教室で、生い茂る緑を背に、何度も交わった視線。どきり、と心臓が音を立てる。



「僕も」



 俯き何も答えられずにいると、五条くんは優しく微笑んで私の耳元に唇を寄せた。



「僕も、名前のことがスキだったよ」



 もちろん今もね。小さな言葉で囁かれて思わず顔を上げたら、五条くんの顔で視界が埋め尽くされて、何も見えなくなった。いつの間にか腰に回されていた手に、壊れるんじゃないかと思うくらい心臓が暴れだす。あの頃とは違う大人の魅力を纏った彼に、私は今と昔は全然別物なのだと思い知らされた。



巻き戻してもう一度キスをしよう



タイトルは「確かに恋だった」より



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