もしもう一度会えたなら




 地方出張でトラブルが続き、当初の予定よりも帰ってくるのがだいぶ遅くなってしまった。忙しくてロクに連絡もしていなかったせいか、「今から帰る」と送った梨央へのメールに返事はなかった。拗ねてんのかよアイツ、そう思いながら高専についてすぐに梨央の部屋に向かったけれど、家主はいなかった。代わりに扉にもたれるようにして立っていた七海は、俺を見て罰の悪そうな顔をすると、静かに口を開いた。



「……向坂は、亡くなりました」

「は…?」



 こいつがこんな冗談を言うようなタイプではないことは分かっている。それでも、信じられない言葉だった。すぐに夜蛾先生のもとに向かったが、告げられた言葉は七海と同じものだった。遺体は、ない。誰も梨央の死に目には会えなかった。中身の空っぽな墓が高専の敷地内に建てられて、もうあいつはいないのだと、周りのすべてが告げている。それでも俺は、信じなかった。だってあいつは、死なないって言ったんだ。俺との約束を守るって。毎年律儀に墓に通う七海と伊地知を、俺は馬鹿にした。死んでもいないやつの墓参りなんて馬鹿げている。梨央は、絶対どこかで生きているんだ。






 そう思い続けて10年もの時が過ぎた。任務の時も、オフの時も、僕は梨央の姿を探し続けた。手がかりなど何一つなかったけれど、それでも探すことを諦めたくなかった。僕が諦めてしまえば、彼女の存在が無かったものになってしまう気がして。

 そんなある日、仙台への出張を終えていつもの自分へのお土産として駅で好物の喜久福を買った時だった。隣に他の客の気配を感じて、何となくそちらに目線を向けた。それと同時に、どくんと心臓が痛いくらいに飛び跳ねた。店員に話しかけているその人は、僕がずっと探し続けていた人にとても似ていたから。気づいた時にはもう名前を口にしていて、その人は目を丸くして僕のことを見上げた。



「あの…?」



 真正面から見た彼女はどう見たって梨央と同じ顔だったが、僕のことが分からないとでもいうように首を傾げた。思わず彼女に手を伸ばしたが、一歩後退ったのを見て、すぐにその手を引っ込めた。いくら似ているとはいえ、あれからもう10年も経っている。僕が変わったように、梨央だって変わっているはずだ。それでも彼女の姿が自分の想像していた梨央とあまりにも近すぎて、僕はしばらく彼女から目が離せなかった。



「……ごめん、人違い、かな」



 ようやく絞り出した言葉はひどく乾いていた。そうですか、と戸惑いを隠せていない顔で笑った彼女は、やはり僕のことを警戒していた。人違い。その言葉をもう一度自分の中でかみ砕く。こんなところで偶然再会するなんて、そんなうまい話があるだろうか。梨央は生きている、必ず見つけられるという期待が、彼女を梨央に見せているのかもしれない。そう思い込むしか、この行き場のないなんと呼んだらいいかも分からない感情を抑えられなかった。








 しかし運命というのは、どうやら存在するらしい。それを確信したのは、先ほど出会ったばかりの彼女が新幹線で隣の席のチケットを握りしめていたから。僕の勧めた喜久福の紙袋を手に隣に腰掛けた彼女は、やはり梨央に似ている。驚いた顔も、少し綻ばせた顔も、柔らかい声も、どれもすべてが梨央を思い出させて仕方がなかった。彼女は梨央なのだと、僕の五感のすべてが告げている。



「僕は五条悟。よろしくね」



 ある種の賭けだった。彼女の名前を聞き出せば、このどっちつかずの感情に答えが出ると思った。祈るように彼女の目を見つめれば、少し戸惑ったように、けれどあくまで自然の流れに身を任せて彼女は口を開いた。



「向坂梨央です。よろしくお願いします」



 彼女の唇から紡がれる言葉に、にやりと口角が上がったのが自分でも分かる。ああ、やっと見つけた。この10年もの間、ずっとずうっと探し続けた彼女が、今目の前にいる。やはり僕の見立ては間違っていなかった。僕が最後に見た梨央よりも大人らしさが目立つし、前にも増して綺麗になっている。昔よりも色の濃いリップがよく似合う。僕と同じで大人になった梨央がいる。こうして、生きている。やっぱり死んでなどいなかったのだ。彼女は約束だけは律儀に守る子だった。以前のように呪力は感じられないし、どういうわけか僕のことは覚えていないらしいが、そんなことは些細な問題に過ぎない。呪術師でないなら、平和な世界で生きていける。忘れてしまったのなら、また好きになってもらえばいい。幸いにもこうして、彼女は僕の瞳をあの頃と同じように熱く見つめている。久しぶりに向けられるその視線に、心が震えた。何かを乞うように僕を見つめるその瞳が好きだった。僕の名前を呼ぶその唇が好きだった。何度も何度も繰り返し頭の中で描いたその姿が、すぐ目の前にある。普段は考えもしない神様の存在に、僕は感謝した。今度こそ、ちゃんと守ってみせる。今の僕にできるすべてを使って、彼女との約束を果たそう。だからまたもう一度僕のことを好きになってもらえるように。そんな願いを込めて、僕は自分の連絡先を梨央に差し出した。






[22/23]



- ナノ -