これを恋と呼ばずなんと呼ぶ




 私がまだ高専で女子高生をやっていた頃。一つ下の後輩に、私を慕ってくれる可愛い女の子がいた。よくも悪くも普通の、ごく一般的な女の子。私の同級生の五条悟というクズが好きという点以外では基本的に趣味が合って、それなりに仲良くしていたと思う。五条家からの嫌がらせを散々受けながらも諦めることをせず、「硝子さん、私、五条さんと結婚するんです」と言ってのけた彼女の顔は夢見る少女さながらだった。そんな彼女を、五条は柄にもなく大事にしていた。それなのに、彼女はある日突然、私たちの前から姿を消した。彼女は任務先で、誰にも見られることもなく、たった独りで死んだのだ。別に、誰かが突然死んでしまうなんて呪術界では珍しいことでもなんでもない。悲しくはあったが、仕方がないと、皆受け入れていた。五条悟、彼だけを除いては。



「梨央は、死んでない」



 それが、五条の言い分だった。私も七海も伊地知も、何度も彼に説明をしたけれど、あいつは絶対に彼女の死を認めなかった。絶対にどこかで生きている、あいつが死ぬはずない。そう言って彼女を探し続ける五条に、夜蛾先生が「いい加減受け入れろ!」と鉄拳を食らわせて、ちょっとした乱闘騒ぎになったこともあった。あの時は二人の怪我を治すのが本当に大変だった。それから五条はあまり大きな声で騒がなくはなったが、彼女を探すことを辞めたりはしなかった。正直、見ていられなかった。けれど、彼を無理矢理言いくるめるのも違う気がして、ずっと優しく見守っていた。そんな彼の努力が報われる日がくるなんて、誰が予想できただろうか。「向坂梨央、やっと見つけたよ」そう彼が言ったのは、彼女がいなくなってから、10年目の冬だった。



「独身最後の夜に。乾杯!」



 五条の高らかな声を合図に、カチンとグラス同士がぶつかる音が個室に響く。もう通い慣れた居酒屋の一角には、かつての同級生である五条悟と、明日彼の奥さんになる予定の向坂梨央が居た。明日には入籍をするから、独身最後の夜にパーッと飲みたいとの梨央の要望を受けてこうして三人で集まったのだ。別に五条はいなくても良かったのだけど、梨央が潰れた時の足要員としてとりあえず呼んでおいた。並んでグラスを転がす二人の姿は見慣れないようで、どこか懐かしい。学生時代と変わらない光景に、なんだか自分まであの頃に戻ったかのような感覚になる。



「結婚おめでとう。と言いたいところだけど、梨央、本当にこいつでいいの?」

「ちょっと硝子、このタイミングでそういうこと言うのやめてくれない?」

「あはは、大丈夫ですよ。多分」

「そこは絶対って言ってよ」



 五条の横にちょこんと座る梨央の薬指には、再会した時にはなかったでっかいダイヤのついた指輪が嵌められている。プロポーズの流れはなんとなく聞いたけれど、五条らしい甘くベタベタでロマンチックなプロポーズだった。そもそも10年も前の約束を覚えていて、それを実行するなんて、梨央は相当五条に愛されているんだなあとしみじみ思う。目の前で幸せそうに笑う二人を見て、少し、安心した。記憶を取り戻したばかりの頃の梨央は、自分が五条の隣にいてもいいものかと悩んでいたけれど、やっぱり彼女は五条の側で笑っているのが一番いい。



「明日は高専にも寄るんだろ?」

「うん。みんなに僕の可愛い可愛い奥さんでーすって言って回るの」

「それだけはほんと勘弁して…恥ずかしい…」



 夜蛾学長はびっくりするだろうなーなんてケラケラ笑った五条は、愛おしそうに梨央を見つめて、軽く巻かれたふわふわとした毛先を絡めとる。それがまるでいつもの光景だと言うように気にする様子もない梨央は、目の前にある自分のグラスを傾けて酒を煽った。以前も思ったけどいい飲みっぷり。今日も酔いつぶれるんだろうなあなんて思いながらも、酒を勧めるのをやめない私も大概だ。酔った梨央は目尻を垂らして幸せそうに笑って、自然と五条に寄り添っている。10年もの間離れていたというのに、この二人はそれをまるで感じさせない。夏油が離反してから全く別人のように変わってしまった五条に驚くこともなく、こうして当たり前のように受け入れているのは、記憶がない状態で出会ったことが影響するのだろうか。どちらにせよ、10年もの間ずっと梨央を思い続けていた五条もすごいと思うし、偶然出会った五条をまた好きになった梨央もすごいと思う。運命なんて言葉はあまり信じていないが、それを感じさせるほどに、二人はお互いが惹かれあっているのだと思うほかなかった。






「まあ、こうなるよね」



 飲み始めてから二時間ほど、止まることなく飲み続けていた梨央はついに潰れてしまった。すっかり顔を赤くした梨央は五条の肩にもたれかかって、すやすやと目を閉じている。それを嬉しそうに見つめる五条の頬も、ほんのり赤く染まっている気がした。



「悟大好き〜って言わせる作戦は成功したんだな」

「当然でしょ。てか梨央は元々僕のこと大好きだし」

「否定はしないよ。見てるだけで十分伝わる」

「やっぱり?僕って愛されてるよね」



 梨央の髪を優しく撫でながら、五条はやっと僕のものになったんだと目を細めた。梨央の左指で主張をしているでっかいダイヤは周りを牽制するためかと思うと恐ろしい男だ。それほどまでに膨れ上がった思いをずっと自分の胸だけに押し留めていたなんて。甘そうなピンク色のノンアルコールカクテルを流し込んだ五条は、私にメニューを渡して笑って見せた。



「今日は僕の奢りだから、好きなだけ飲んでよ」

「どういう風の吹き回し?」

「これでも硝子には感謝してるんだ。君のおかげで梨央も吹っ切れたみたいだしね」



 あの飲み会は確かに梨央の悩みを聞き出すために開かれたものだけど、半分は自分が梨央に会いたかったのもある。久しぶりの可愛い後輩とのひと時を満喫しただけだったけれど、五条がそういうのなら。「お言葉に甘えて」とメニューを受け取って、追加の酒を注文する。一人の女を愛おしそうに見つめる同級生と、その同級生にもたれかかって幸せそうに目を閉じている後輩を肴に、私は一人幸せを分けてもらいながら酒を飲み進めた。






[21/23]



- ナノ -