陽菜は縁側の縁に足をかけながら、自分の白い足を日差しの方へ突き出した。鋭い陽光が目を眩ませる。
「まぶしい」
突然、理由も聞かされずに、田舎の大きな家に連れてこられ、自分の父親に部屋で大人しく待つように強くいいつけられた。そして、その肝心の父親である尾形は三〇分以上戻ってきていない。
時々、廊下の向こうから、この家の人間が歩いてくるが陽菜を見るなり驚いたような表情をして踵を返していくのだ。それが落ち着かなくて、家から持ってきたゲームをする気になれない理由でもある。
話し相手もおらず、陽菜は退屈で退屈で仕方なかった。
(………トイレ)
ちょうどその頃、廊下の角の向こうを歩いていく女性が見えた。陽菜は立ち上がり、話したげな視線を彼女に送ったが、悲しみか怒りか曰くわかりづらい表情を浮かべて顔を逸らし、そそくさと廊下の向こうへ去っていってしまう。
「……………」
陽菜は泣きたい気分になって唇を尖らせると、ふと背後から陽菜に声をかける男の声が聞こえた。
「どうした、何か探しているのかな?」
振り返ると、縁側の向こうの庭で、優しげな男が笑顔を浮かべながら陽菜を見ていた。
遠い景色が揺らぐほどの強烈な日差しの中で、男の輪郭だけははっきりと見える。
「すいません。お手あらいはどこですか?」
「ここの突き当たりにあるよ」
「ありがとうございます」
父に言われた通りに頭を下げ、陽菜は早足で突き当たりの木戸の中に入った。
「ああ、こけるよ」
が、扉を開けて陽菜はくるりと方向転換した。そして、男の方を申し訳なさげな目で見上げる。
「おや、どうしたのかな?」
「…カギついてないから見はっててくれますか?」
「なるほどな、おやすいよ」
男はそう言って笑うと、庭から縁側へと上がり廊下の上に腰掛けた。
陽菜は古い木戸の間から顔を出し、何度も男の存在を確認した。
「見てる?ちゃんと見てる?」
「ああ、もちろん。人は通さないから安心しなさい」
木戸が閉まる。そして、数十秒ほどして幾分すっきりした顔の陽菜が中から出てきた。
「おにいさんありがとう」
「ああ、構わない。…随分しっかりしているね、年はいくつなのかな?」
「あさってで8才。おにいさん、お名前は?」
「花沢勇作。君の……………叔父だよ」
「おじさん?」
「君の名前を聞かせてもらえるかな?」
「尾形陽菜といいます。よろしくおねがいします」
「こちらこそ宜しくお願いします。さすが、兄様の子だな。しっかりしている」
「おじさんってしってるよ。パパのおにいちゃんとか、おとうとのことなんでしょ?」
「……………ああ、その通りだ」
「おじさんってよばなきゃダメ? おにいさんでもいい?」
「もちろん、君の呼びたいように呼んでくれ」
陽菜は勇作と名乗った男の隣に腰掛けた。
「おにいさんは、どうしてはだしなの?」
「靴をなくしたんだ」
「ええー、うそだぁ」
陽菜はクスクス笑った。
早くも陽菜は勇作という男を気に入り始めている。
「どうしてそう思う?」
「だって、外に立ってたのにくつはいてないわけないんだもん」
勇作が上がってきた縁側に、下足らしきものはない。彼はおどけた様子で自らの足を見た。
「ややっ、本当だ。うっかりしていたらしいな」
「あははっ、へんなの」
「全くだな…。忘れるなんてありえない」
陽菜はしばらく笑った後、首を傾げながら勇作にずっと気になっていた事を尋ねた。
「ねえ、おにいさん。おにいさんは花沢さんなんでしょ? このお家も花沢さんの家なんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「パパが誰とお話してるか知ってる?」
「君のおじいさんとお話しているんだ。つまり、ここが君のおじいさんの家なんだよ」
「おじいちゃん?わたしの?」
「ああそうだ」
「わたしのともだちのアスコちゃんも、おばあちゃんといっしょに住んでるんだよ。おじいちゃんはもうしんじゃったんだって」
「へえ、そうなのか」
日差しがやや斜めに傾きだし、控えめに蝉の声が響き始める。それに混じって、どこか遠くで何かを叩きつける音と、男の罵声が聞こえてきた。
陽菜は奇妙な不安な感情に駆られた。
男の怒声ではない、その声は少女に通っては遠過ぎて誰に何を怒鳴ったのか意識の範疇にすらも入らない声量だったからだ。
何か変だ。どこかが変だ。
自分の何かがきっかけになって狂ってきている。強烈な日差しに分厚い雲が陰り、一瞬だけあたりは薄暗くなった。
「……………」
「ん? どうかしたか? 君の友人の話は聞かせてくれないのか?」
まばゆい日差しに慣れた目が、突然暗闇に晒され、全ての輪郭がわずかにぼやける。
しびれた視界の中で、やはり勇作の姿だけがはっきりと見えた。
「どうして、ワタシの事を、君っていうの?」
「…………」
「ワタシは、陽菜だよ」
「………俺は君の名前を呼べない」
再び日が差し、辺りが強烈な陽光に照らされる。
「さて、俺はもう行かないとな」
勇作は縁側から立ち上がり、裸足のまま、庭へと向かった。
「くつがないの?」
「ああ」
「ワタシのかしてあげるよ?」
「ありがたいが、借りてしまうとかえせないなあ」
勇作はそう言って日差しの中で笑っていた。
陽菜がいたわるような目で彼の足元を見やる。
違和感の正体がわかった。
彼には影がなかった。
「陽菜」
陽菜は後ろへ転げそうな勢いで体をはね上がらせ、柱を掴み損ねて背中に向かって後ろへこけた。
「………何やってる」
尾形は呆れたような顔で陽菜を見やると、すぐに腕を伸ばして抱え起こした。
「頭は打ってねえな?」
陽菜はもう一度、勇作という男が立っていた場所を見た。
そこにはただ、水に砂糖が溶けたような、目に見えない淀みと陽炎があるばかりで、他に何も何者も見えないのだった。
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