星は君の影をつくらない

親しげに微笑み合う姉とその恋人の背を見送れば、自然とため息が出た。一駅の距離を歩くことすら億劫だ。駅まで向かって電車に乗り込めば、偶然にも4月から幾度と見てきた赤色が視界に飛び込む。どうしよう。そんなこちらの悩みなどつゆ知らずといったところだろう。こちらが気付くこと数秒遅れて彼と目が合った。

「おっ、寄り道?」

手元の紙袋に視線を落として合点がいった様子でそれ以上の言及はなく、今日の授業の話や級友の話をしているうちにたった一駅先にはたどり着く。
「爆豪のヤツまた無茶してさ」なんて話す彼の横顔をみながら、先程の姉の隣で紳士的に微笑む男の横顔を思い出す。どんな顔だったかな。横で学食のカレーの美味しさについて語る少年のまぶしさで、どうにも曖昧な記憶だ。改札をくぐれば、すっかり陽は落ちていた。歩き慣れた道には、街灯が作るふたりぼっちの影が伸びていた。

「なァ、なまえ。どうしたんだよ、ずっとボーッとして」
「あ、いや、  ううん、なんでも」

不意打ちで額にのびてきた彼の手のひらの柔らかさにはっとする。発熱を疑って小首をかしげる彼と向き合う形で目を合わせたら、なんでもないよ、ともう一度声に出して首を振った。
なんでもない、は嘘だった。未だに訝しげに眉を顰める彼に、ほんとうは先程の光景を伝えるか悩んでいた。への字に結んだ唇は、空気を吸うことすら忘れて次の一句を考えあぐねて答えを探す。

「鋭児郎くんは、  」
「なまえちゃん!鋭児郎!」

──お姉ちゃんに好きだって言わないの。
続けて聞く筈だった言葉は、それより先に背後から聞こえた声に寄って遮られる。どうして。わたしがそう思うよりずっと彼の反応は早かった。びくりと大げさに揺れた彼の肩に、なぜだか少し泣きそうになって、けれど下唇を噛んで呼吸を整えれば涙は容易く隠せた。

「姉ちゃん!元気にやってっか!?」
「ねえ、鋭児郎聞いてよ!ほんとうちのハゲ上司むかつくの!わたしがいれたお茶はヌルいとか言うの!そもそもお茶くらい自分で好きにいれたら良くない!?わたしだってわたしのタスクがあるのにって感じだしね、すぐ今日の服は派手ですねとか言われるの!お前の趣味なんか知るかーって感じじゃない?」
「うわ、マジかよ。大変だなァ」
「でもちょっとずつ出来ることも増えて、やり甲斐はあるんだよねえ。なまえちゃんも鋭児郎もまだまだ高校生だもん、未来の選択肢は沢山あるからいいな、……って鋭児郎はヒーローか」
「姉ちゃん、俺のことガキ扱いすんの変わってねェな!でもこれでも俺、結構考えてんだぜ」

知ってるよ。そんなの。わたしはちゃんと知ってるんだけどな。──声にならない悲鳴みたいなそれをぐっと飲み込んで、みっつに増えた影を眺める。すっかり夜の冷え込みも落ち着いてきたはずなのに、温度を感じない指先をひらいては閉じて、この時間をやり過ごす方法を考えていた矢先だった。

「てか聞いてよ!わたしね、彼氏できたの!」
「え、」
「同じ会社の先輩でね、ちょー仕事できて、優しくて、背も高くて、かっこよくて、それで、」

嬉しくて仕方ないという、ただ喜色だけをはらんで弾む姉の声に、彼の目が動揺をみせた。一瞬のことだけど、あからさまだった。でもそんなこと、目をハートにした姉は一向に気づかない。わたししか、きっと気づかない。

「ねぇお姉ちゃん、落ち着いて、」
「あ、ごめんごめん、急にこんな惚気られてもって感じだよね。鋭児郎も雄英行って好きな人とかできた?あ、でもヒーロー科は忙しくてそんな場合じゃないか?」
「あ、いやァ、……まァそんなとこ」

ああでもないこうでもない、と思案を重ねるのはポーズだけで、足取りの軽さが姉の呑気さを裏付ける。ざわざわと落ち着かないわたしの心は、ずっと鋭児郎くんの顔がかたまっているせい。鋭児郎くんの視線が地面を向いたまま泳いでいるせい。だが、今出来ることなんて、せいぜい、

「鋭児郎くん、明日帰り待ってるから、一緒に帰ろ?ね?」
「お、おォ、だな!んじゃ、姉ちゃんもなまえもまたな」

動揺した瞳が助けを求めるようにこちらを見ていた。けれどその瞳がわたしのことなんて見ちゃいないことも知っていた。ずっと。今も。そんなことを考えて、恨めしく見たところで、鼻歌混じりに靴を脱ぎ捨てた姉には届きっこなかった。

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