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一旦家に帰って冷静に色んなことを考えた私は、この前のことをやっぱり謝った方がいいんじゃないかと思い、着替えもせずに先輩の家へ向かった。
あの日はいつもより嫌な感じのする先輩に見切りをつけて帰ってしまったが、もしかして何か言いたいことがあったんじゃないかと思ってだ。そうだったのならいきなり帰ってしまったのは申し訳ない。
それに、もしかして──これは考えれば考えるほど有り得ない気もするが、先輩は私のことを少しは気になっていたんじゃないかと気がかりだった。
一応、「心配して様子を見に行った」と確かにあの時言っていた。そのあといつもの先輩に戻ったようだったが、あれは先輩なりのカモフラージュだったんじゃないかと。
アスマさんの言うことが本当だったとしたら、気になってもそう相手に勘付かれないように先輩なら誤魔化すだろう。
でも、どうして私のことなんか──あんなに普段は無関心そうなのに。

私の家から先輩の家は五分程度の距離だが、今日はやけに足取りが重く、遠い感じがした。
先輩の住むアパートの階段を上がって一度深呼吸をしてからピンポンを押すと、返答が無い。
まだ帰っていないのかなともう一度ピンポンを押そうとしたその時、ガチャリとドアが開いた。
いつもの眠たそうな目の先輩が、「どうした」と顔を覗かせる。

「お話がありまして」

カカシ先輩は、5秒ほど私の顔を見つめると、何も言わずにドアを大きく開けて中に入れてくれた。
後についていくと、ダイニングに通され、「座れ」と促される。先輩は冷蔵庫から冷たい麦茶をグラスに注ぎ、私の前へ出してくれた。

「で、話って?」

額当てもしていない、ラフな服装の先輩は右手で頬杖をついて私を見る。
何を思っているのかわからない、真っ直ぐな目。
私は一呼吸置いて、「先輩、こないだのこと怒ってますか」と率直に尋ねた。
先輩は何も言わない。私は言葉を付け足す。

「……言い訳がましいようですけど、こないだはどうしても体調が悪くて、ゆっくり温泉に行きたいなって思って一人でスパに行ったんです。で、夜仮眠室で爆睡して朝起きて朝風呂に入ってあの時間だったんです。先輩に、男とだろって言われて、違うのに詰問されて、もうなんて返したらいいのか分からなくて。正直言うと、なんでそんなにしつこく言われなきゃいけないのか分からなくて、ちょっと怒ってました。でも、急に帰ったことは失礼だったと反省してます。すいませんでした」

私は頭を下げる。
途中から自分でも何を言っているのかよく分からなくなって逆に失礼な感じになってしまったが、いきなり帰ってしまったことに対しては謝れたので一旦よしとしよう。
ゆっくり顔を上げて様子を伺うと、静かに聞いていた先輩は頬杖をはずして「悪かったよ」と眉をさげた。
素直に謝るなんてなんて珍しい、と私は一瞬動揺するが、平静を装う。

「あの日はどうかしてた。やたらむしゃくしゃしてたんだ。お前と話でもしたらどうにかなるかと思ったけど、傷つけてすまない」

カカシ先輩らしくないと思い、「先輩、何かあったんですか?」と尋ねるも、先輩はすっとぼける。
なのに、表情はどこか暗い気がする。

「皆さん様子が変だって、先輩のこと心配してましたよ?」
「まぁお前に話すまでのことじゃないよ」

やっぱりはぐらかされてしまった。
先輩はいつだって私には心の内を話してはくれない。後輩として、お使いだって雑務だってこなして、他の誰よりも側にいるはずなのに。
心だけは私に開いてくれないのだ。

「でも、今回の私が先輩のおつかいから逃げたのも怒らないし、大したことないなら私に話してくれたって……」
「怒る?オレが?」 

先輩はキョトンとした表情になる。
つられて私も口の動きを止め、一瞬部屋の中に沈黙が流れる。

「……いやいや、オレはお前に怒ったことなんてないよ」

先輩がそう言い放つと、またしても部屋の空気が固まる。
この人は何を言っているのだろうか。

「え?!いつも私に威圧感のある笑顔で怒ってるじゃないですか?!」
「あれは怒ってないよ、あぁやってからかうとお前の反応が面白いからやってただけで」

先輩は顔の前で右手刀をひょいひょいと否定するように振る。

「オレが怒鳴ったことある?」
「ないです……けど!よくなんであの時◯◯したの?とか詰問してきたり、買い物行って運動しろ、とか言うのは何だったんですか?!」
「詰問なんてひどいなぁ、お前がおっちょこちょいだから心配してるだけでしょうよ。それと信頼している後輩には成長のためにいろいろ任せたくなるよね」

「テンゾウもよくオレのこと酷いって言うけどね」とからりとした声で笑うと、穏やかな顔をした。
どうやら私は、アスマさんが言うように先輩にフィルターをかけて見てしまっていたらしい。それにしても、やっぱり今までの言動が冗談だったなんて腑に落ちない。

「そんなムスッとしないでよ、悪かったって」
「だって、なんか……納得できません」
「カナは怒られたいの?それならスパルタでやってもいいんだけど」
「……いやそういうわけでは」
「お前は優秀だからさ、そのくらいできて当然だって気持ちで接してるんだ」

先輩は犬の姿の時の私と接する時と同じ、優しい目をしていた。
今まで私が望んでいた、あの表情と眼差しだ。
まさか人間の姿で向けてもらえるなんて思っても見なかった。
思わず胸が高鳴り、視線を合わせる事が出来なくなる。こんなにも嬉しいのに、全く私は残念な女だ。

「それに、お前は褒め過ぎると調子に乗って無理しすぎる。だからあえて褒めないようにしてたの」
「えー、そんなぁ……」
「オレは先輩としてお前をダメにしたくない。だからあえて厳しくもする。普段関わりのないくノ一達みたいにちやほやしてられないわけ」

そう諭すように言われると、私はもう返す言葉もなく黙り込んでしまう。
手持ち無沙汰だったので、コップの麦茶をゴクゴクあおった。
すっかりコップが汗をかいており、私の手はびしょ濡れになるが、拭くものも無くどうすることも出来ず、キュッと水滴を手のひらの中に閉じ込めると拳を膝の上へ置いた。
いつもより優しげな態度をとる先輩に気まずさでいっぱいになり、早くこの場から逃げたくてそわそわしてしまう。
一方先輩は、いつもののんびりとした雰囲気のままで、私がどう自然に帰りを切り出そうかと必死に考えているかなんて全く気づいていないようだった。
とりあえず、言葉よりも先に行動で示せばいいと席を立とうとしたその瞬間、「そういえば、」と先輩が口を開いた。

「お前あの後輩と飯行くのか」

突然すぎる話題転換に、思わず吹き出しそうになるのを抑えてむせてしまう。
呼吸を整えてから「やっぱり聞いてたんですね?!」と顔を真っ赤にして返すと、どうも今日より前に後輩から相談を受けたと言うではないか。

「アイツから話しかけてきてさ。任務でしばらくいないぞって言ったら、『カナ先輩の事が好きなんです!先輩、今直属の上司なんですよね?!何かアドバイス頂けないでしょうか!』って言われてな」
「えぇ〜、そんな初対面の先輩に聞くなんて……」
「よかったじゃんじゃない?上手くいけば念願の彼氏ゲットだな」

そういう先輩がなんとなく寂しそうに見えるのは気のせいなのか、私の願望のせいなのか。
それにしても、後輩くんも随分と大胆だ。私の同期に聞くならまだしも、先輩にそんな事を聞いてしまうなんて。きっと先輩から良からぬことを吹き込まれているに違いない。

「そんなことバラされると、行くのに身構えちゃうじゃないですか……」
「ほー、行くんだ」
「先輩のおつかいあるので今週末の夜です……」
「お前、そういう時はオレの用事なんて頼まれなくていいって」

急に先輩の表情が険しくなる。

「夜はやめとけ。お前酒癖悪いだろ」
「いいですよ幻滅されても。後輩は後輩ですし、彼には申し訳ないですけど、それ以上には思えないので」
「それでも、その日はオレのお使いなんてしなくていいから昼にしとけよ。昼でも別に向こうはいいんだろ?」
「そんなこだわらなくても、」
「危ないだろ」

先輩から出ると思ってもみなかった言葉に、私は思わず口をつぐむ。
夜、私が男と酒を飲みに行くことに、心配している……?カカシ先輩が……?
頭の中が混乱しそうになるのを抑え、「やっぱり先輩、なんか変ですよ、」と感じたままを口に出した。
私に興味のないはずの先輩が、私の貞操を心配するなんておかしな話だ。こんなに真剣に心配してくれるなんて。

「ま、お前の中ではオレはものすごーく意地悪な先輩なんだろうけど、オレだって後輩の心配くらいするさ」

先輩はそう穏やかな表情に戻ると、「今まで意地悪しすぎてごめんな」と困ったように眉をさげた。
釈然としない彼の言動に、私は頭と感情の整理が追いつかない。
嬉しいはずなのに、納得がいかない。なんだか全身がモヤに包まれたような気持ちの悪い感覚がする。

「なんかゾワゾワしてきました……」
「おい、それどういう意味だ」
「優しい先輩に慣れなくて……」

あのねぇ、と彼は呆れたようにため息をつく。
その時、いつもは見えない先輩の本心が少しだけ垣間見えたような気がして、今度はなんとなく可笑しくなって笑えてくる。感情がとても忙しい。
私が色眼鏡をかけて先輩のことを見てしまっていただけなのかもしれないということを、少しだけ信じられるような気がした。

「そういえば、お前その感じだと仕事終わりだろ?わたあめのご飯大丈夫なのか?」
「あ!ご飯は一回あげてきたんで大丈夫なんですけど、心配なのでそろそろ帰りますね!」

帰るチャンスがやってきた。
変にダラダラしてわたあめのことを詮索されると自分の首を絞めることになりかねないので、サッと立ち上がり、コップを流しに返して玄関まで急ぐ。
先輩はまだ何か話したそうに私の後を追って玄関までやってくる。見送るつもりだろうか。
頼むから家まではついてこないでくれ。

「あ、もうここで大丈夫なので!お気になさらず!」
「いやー、ちょっとお願いがあってさ。帰り際に言うのもアレなんだけど」

何を言われるのだろうか、と私はゴクリと固唾を飲んで身構える。
こんな時間から買い物か、それとも部下の面倒係か──見当がつかない。
意を決して、「何でしょうか」と聞き返すと、先輩は少々恥ずかしそうに口を開いた。

「今週末、後輩と飯行ってる間だけでいいからさ、ちょーっとわたあめと遊びたいんだけど、貸してもらえる?」

なんて事のないお願いに、「え」と思わず変な声がでる。

「まぁ嫌ならいいんだけど」

ここでこの小さなお願いを嫌だと言うのも変な話だ。むしろ留守ならその間、預かってもらえる方が飼い主にとっては安心に違いない。
けれども、分身で食事に行って後輩にバレてしまわないかの不安はある。きっと分身だとバレれば、傷つけることになるだろう。
後輩にバレるか、先輩に不審に思われるか心の中で即座に天秤にかける。
そして、私が出した答えはこうだった。

「嫌なんてとんでもない!預かっていただけるなら是非!」
「そう、じゃあ何時でもその日は家にいるようにしとくから出る前に預けにきてよ」

私は先輩をとることにした。
今日、こうやって話してみて改めて私は先輩が好きなんだなぁ思ってしまったからだ。
いつもと違う服装だったことも、優しい言葉をかけられたことも理由として大いにあるだろう。
しかし、わたあめの姿の時に向けてくれた時と同じあの優しい眼差しが何より大好きなことに、今日気づいてしまった。
後輩としても、異性としても、先輩のことが大好きだ。決して、それが報われなかったとしても。

「わかりました、後輩とリスケしときます」
「それじゃ、わたあめによろしくね」

私は靴を履くと、ぺこりとお辞儀をし、扉を押し開けてから玄関を出る。
先輩はひらひらと手を振ってドアから半身を出し、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
やけに優しい先輩に慣れなくて、なんだか夢でも見ているようだ。明日、何かとてつもなく悪いことでも起こるんじゃないかと少し不安にもなる。

先輩のアパートの階段を降りて、道に出て少し歩くと、ガラリとどこかで窓が開く音がした。
先輩かな、いやまさかと歩きながらチラリと振り返ると、窓から先輩が顔を出してこちらを見下ろしているではないか。
あり得ない!──私は見なかったことにして前を向き直す。
そんな少女漫画みたいな事が起こるわけがない、偶々だろう、それか見間違いだろう、ともう一度振り返ると、部屋からの逆光でよく見えないが、やっぱりカカシ先輩がこちらを見て左手を振っているようにも見える。思わず私の目は釘づけになって、歩みが止まる。
──嘘だ?!
急に心臓の音が大きくなる。まずい、こんなのずるい。急に優しくなるなんて──
私は振り切るように走り出すと、そのまま振り返らず一目散に家へ帰ったのだった。
窓が閉まる音は、最後まで聞こえなかった。

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