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カナを探す──そう言っても、いざ探そうとなると土地勘の全く無いこちらの世界ではどのように探せばいいのだろう。見当をつけることすら難しい。
そもそもオレは自分自身がどこにいるのかもわからない。これでは忍として長年培ってきた捜索の経験すら活かす術もない。情けない話だ。

「ところでさ、ここはどこかわかる?」

オレは一縷の望みをかけて、もう一人のカナに尋ねる。
彼女にとっては馴染みのある場所だったようで、「自宅から五分くらいの場所です。とりあえず家に帰ってみましょう」と頼もしげに答えた。
オレは彼女の少し後ろをついていくようにして、ぬるい闇の中を歩き出した。濃い夏の空気が身体を包み、たちまち息苦しくなる。
まばらに灯りが配置された公園を出れば、閑静な住宅街が広がっていた。民家やマンションの窓からカーテン越しに漏れる温かみのある光が、騒つく心を少しだけ落ち着かせてくれる。
ふと、美味しそうな香りが漂ってきた。どこかの家が夕飯時らしい。これはきっと、何かしらの煮物だろう。
カナも煮物をよく作っていたなぁ、と懐かしい気持ちになる。今、彼女は一体どこで何をしているのだろうか。
いざこちらへやってくると、同じ世界に彼女がいる心地がしなかった。都合のいい夢でも見ているんじゃないかと思うくらいに。
一つでも瞬きをしてしまえば、気づいたら自分のベッドの上で…… なんてことになるんじゃなかろうかと全身に緊張の糸が張り巡らされ、ぎこちなくなる。
無論、実際にはそんな事はあり得るはずもない。

「家にいればいいけどなぁ。今日は平日か?」

オレはもう余計なことを考えないようにと、すぐ右斜め前をスタスタ歩いていく彼女に話しかけた。

「生憎何も日付を確認するものを持ってなくて。平日なら仕事に行ってるかもしれませんね」
「ま、確率的に言えば平日だろうな」
「この住宅街の雰囲気からしてもそうかもしれませんね」

「あーあ、仕事行きたくないなぁ……」と彼女がうんざりした声で呟く。普段はつんけんしていても、時には弱音も吐くのだなと珍しいものを見てオレはつい笑みが漏れる。

「仕事は忙しかったのか?」
「えぇ、まぁそれなりにですけど。残業とかもそこそこありましたし……」

そう言いかけるや否や、彼女は突然足を止め、勢いよく空を見上げた。
背後からその視線の先を追うと、闇に浮かぶ月がある。「どうかしたか?」と尋ねると、彼女はバッとオレの方を振り向いて、「やだ!」と小さく叫んだ。
近くに立っている街灯のぼんやりとした白い光がその顔を照らし出すと、随分焦ったような表情をしているのがわかった。

「もし残業なんてしてたら……」

眉は逆向きのアーチを描くかのようにキュッと眉間に寄せられ、目は薄闇でもわかるほどの悲壮感に塗られていた。
その面持ちから、彼女が何を言わんとしているかは言われずとも良くわかった。

「……食の終わりに間に合わないかもしれない、ってとこかな」

一瞬、どこからともなく吹いてきたじっとりとした夏の夜風とともに、重苦しい沈黙がオレ達の間に流れる。
もしもカナを見つけられなかったら──勿論、十分にあり得る。想像するだけで心が萎んでいくのがわかった。
何としてもカナを見つけて帰らなくてはならない。絶対に、だ。

「悪い妄想はそこまでだ。暗いことばっかり考えてもなーんも意味ないからね」
「……はい、」
「ほら、止まってないで歩いて歩いて」

がっくりと落ちた彼女の肩を右手でポンポンと叩くと、オレは前へと足を動かした。ワンテンポ程遅れて彼女もくるりと身を翻し、オレの横に並ぶように追いつく。街灯の下を通る度、そのどんよりとした表情がパッと暗闇に差し込まれた。
カナと同じ顔なこともあってか、そんな表情を見ているのが辛かった。

「ところで、どうしてお前は実家を継がなかったんだ?」

場の空気を変えようと、オレは話題を転換する。

「……意識が交流する際に向こうの私の記憶を見ていたので、実家を継ぐことは考えられなくて」

彼女は肩をすくめて言った。

「別にそこは一緒でも、世界も時代も違うんだから全く違う人生が待ってたんじゃないのか?」

オレはポケットに突っ込んでいた両手を胸の前で組んで、月の様相をぼんやりと数秒眺めた。あちらとこちらがこの月の力で繋がるなんて、やっぱり信じられないなぁ──そう思いながら、再び彼女に視線を戻す。

「あぁいう仕事って、『人のために』ってのがまず第一じゃないですか。私、誰かのためにとかあんまり思えないんですよね。まずは自分!っていうか。それに、神様とかよくわからないし」

もう一人のカナは、オレの方を向いて思いっきり顔をしかめた後、悪戯に笑った。その瞬間、スポットライトを当てたかのようにパッと街灯の光が彼女の笑顔を照らし出した。それはまるで、オレの記憶の中のカナとのワンシーンを切り取ったかのようだった。オレは一瞬にしてその表情に惹きつけられてしまう。
心の奥底から一気にブワッと溢れ出たカナとの思い出が脳天へと突き抜けていって、全身に電流が流れたような衝撃が走った。
たまらず、少しだけ間を置き、彼女から視線を外すようにしてから再び尋ね返す。

「存在を実感してるのにか?」
「あぁ、あの方のことですか?あの方も私が神様と呼んでいるだけで、神様かどうかなんてわかりません。もっと別の存在かもしれませんし」

難しい顔をしてカナはそう言った。

「神様じゃない……か。じゃあ、仙人とか?」
「うーん、そうかもしれませんね」

仙人──昔から聞き馴染みがあるのは、忍宗の開祖と言われる六道仙人くらいだ。アカデミーの授業でも何度もその名前は出てくる。忍なら知らない者はいないだろう。
しかし、それだけ認知されていても具体的な容姿なんてのはあくまで伝記レベルの話でしか知り得ない。カナ達の夢に登場した神とやらがそれと似つかわしいところがあったとしても、六道仙人かどうかなんてのは分かりやしない。
確かめようもないので、もうそこで考えることを放棄した。


間も無くカナの自宅アパートにたどり着いた。
オートロックと言って、住居スペースに入る前に部屋とは別の鍵の開錠が必要で、部屋の前まではすぐには入れないようになっているらしい。もう一人のカナは、その鍵を今は持っていないらしく、とりあえず自分の部屋番号を入力し、呼び出しを押してみることにした。
しかし、応答はない。もう一度押してみる。

「……出ないですね」
「風呂に入ってるかもしれない。とりあえずぐるっと回って明かりがついてるか見てみよう」

再びがっくりと項垂れる彼女を励まし、ベランダのある方へ行ってみる。けれども、カナの部屋があるという階は全ての居室が真っ暗だった。
これには流石のオレも、小さくため息が漏れる。

「残念、ハズレのようだな」
「どうしよう、やっぱり今日仕事なのかなぁ」
「仕事だったら職場に行けば捕まえられるからまだいいが、休みの日だったらすぐには帰ってこないんじゃないか?」
「そんな……」
「まぁ、とりあえず街に出れば何かしら手掛かりはあるだろう。まずは曜日を確認す……」

思わず言葉を途中で飲み込んだ。道の陰から突然、女性が出てきたのだ。
背格好から一瞬カナかと思わず目を見開いて凝視するも、すぐにそうではないと分かった。しかし、そう気づいた時にはもう遅かった。
女性は、この世界で生活するのにはそぐわない格好をしたオレを不審人物と認識したのか、怪訝そうな顔でチラチラとこちらを見ていた。
もう一人のカナもその妙な視線を肌で感じとったらしく、居心地の悪さから咳払いを一つすると、崩れてもいない髪を手櫛で何度も整えるように動かしていた。

「……えぇっと、まぁ曜日を確認するために、街に出ようか。それと、その前にオレだけでもどこかで着替えた方がいいみたいね……」
「……そうみたいですね」

そういうわけで、オレ達は街へとカナを探しに出ることにした。
幸い、彼女がクレジットカードと幾らかのお金を持っていたため、最寄駅のすぐ近くにある衣料品点で一番安い服を購入してもらい、すぐに着替えた。彼女の服装はそこまで問題なさそうだったのでそのままだ。
それから薬局で医療用の眼帯を購入し、額当てとユニフォームを服を購入した時にもらった紙袋に詰めて駅のホームへと向かった。電車に乗って向かう先は、カナの職場だ。


ホームは人が多く、構内全体に響き渡るアナウンスが喧しかった。オレ達は適当にホームの中ほどまで歩き、乗車列に並ぶ。
前に並ぶ二人組は揃いの格好をした少女達だった。サクラよりは少し上の年齢の子だろうか。何かお揃いのものを買ったのか、二人で仲がよさそうに例のかまぼこ板みたいな電話でカシャカシャ写真を撮っていた。
もう夜だというのに、それも屋根のある外の空間だというのに風も無くサウナみたいに蒸し暑い。そんな中、甲高い声であれこれ楽しそうに話す少女達を見て、「若いなぁ」と思った。

「ところで、キミとカナは身体が入れ替わったんだろ?どうしてカナは他国なんかにいたんだろうな」

一方オレは、Tシャツの首元をつまみ、パタパタとあおぎながら控えめな声量で右に並んでいる彼女に話しかける。彼女の表情は先ほどからずっと曇ったままで、黙ったままでは間がもたない気がした。
話題はなんでもよかった。彼女が「さぁね」としか答えられなくてもよかった。そう言ったら、何か適当にふざけた事を言って笑わせようと思っていた。

「どこにもいく場所がないからじゃないですかね。火の国にも、自分の里にも」

しかし、オレの思惑は外れる。彼女は線路の向こうにある高い壁の、さらに向こうに広がる街を眺め、淡々とした表情で語った。

「きっと限界だったんだと思います。それまで大丈夫でも、ふと猛烈に辛くなる時ってあるじゃないですか。彼女の場合それで旅に出て、疲れてうたた寝でもした時に私の世界に来たんじゃないですかね。『もう一人の自分と入れ替われたら』って、願ったんだと思います」

「思います」と言いながらも、まるでカナの心の中を覗いて見たような口ぶりだった。
断言しないのは、彼女なりのカナへの配慮なのだろうか。

「もう一人の自分と、ねぇ……」

考えたこともなかった。
どんなに辛いことがあっても、自分は自分でしかいられないと思ってきた。だから、その中で出来る事を追求したり、努力を重ねてきた。
自分でない誰かに成り代われるのなら──なんて考えは、それさえも飛び越えた、その先の感情なのだろうと思う。だとしたら、カナはどれほど辛かったのだろうか。
彼女の性格からして、道中、運悪く息絶えるという事も考えなかったわけではないだろう。心の容量は人それぞれだが、それを鑑みても彼女の心の傷は、きっとあまりにも深い。深すぎる。
ふざけて笑い飛ばすなんて選択肢はもう、オレの頭からすっかり消え去ってしまった。

「あくまで、きっと私の立場が逆だったらそう思うな、っていう想像の話ですけどね」

別人格とはいえ、自分自身が言うんだからそうなんだろうなぁ──そう思い、オレは何も返事をしなかった。

電車がスピードを落としながら、ホームへと緩やかに滑り込んでくる。それと同時に、乗車待ちの列が少しだけ前へと進む。
電車が停車位置につき、空気が抜けるような音と共に扉が開く。
人々は皆、ぞろぞろと続いて電車へ乗り込んだ。前にいた女の子二人組はその間もずっと喋っていた。
乗り込む際にチラッと見えたその横顔は、二人ともよく似ていた。まるで鏡写しのようだった。

車内は少しだけ混み合っていて、スーツ姿の男性が多かった。これを見て、彼女は「今日は平日ですね」と耳打ちをしてきた。こちらの世界は服装で平日か休日か判断がつくのかと少し驚く。
みんな同じような服装をしていて、まるで忍のユニフォームのようだと思った。それにしては覇気もなく、くたびれすぎていたが。
こんな時間帯にこんなラフな格好で、しかもこんな髪色のオレは随分と目立つらしく、スーツ姿の男性や仕事帰りと思われる女性達の視線を全身に感じ、一人で気まずくなった。
隣の彼女に話しかけたかったが、聞き耳を立てられそうだったのであえて口を真一文字に結び、つり革をぎゅっと掴んで窓の外を眺めていた。彼女もまた同じように感じたのか、手すりを握ったまま真っ直ぐ前を見て、一言もオレには話しかけなかった。


無言のまましばらく揺られると、カナの勤め先の最寄駅へと着いた。
途中、駅に停車する度にどんどん人が乗り込んできて満員になった電車から吐き出されるようにホームへと降りると、むわっとした熱気が全身を包む。特に足元。昼の間に蓄えた熱を放出しているのか、まるで加熱された鉄板の上にでもいるかのようだ。夜だと言うのにこれはひどい。
オレの後からもう一人のカナが降りてくると、「うわー……」とうんざりした声を上げた。
最寄駅からは、いつどこで職場の人に目撃されるかわからないため、オレと彼女は少し距離をとって他人のふりをして歩く事となった。もしまだカナが社内にいたら、説明がつかなくなるし、ましてやこんな姿のオレと歩いているところを見られれば、なんて噂をされるかわからない。彼女の身を守るためにも、それが一番だった。
駅から出て、彼女はペデストリアンデッキと案内板に書かれている通路を真っ直ぐに歩いていく。数分ほど歩くと、辺りを警戒しながら階段を降り行き、すぐ近くの細い道へと隠れた。オレはついていっていいものかわからず階段上で足を止めていると、路地にいた彼女に手招きをされ、すぐにそばへ向う。

「何か問題でもあったか?」

彼女は首を横に振った。

「一気に近づくのは流石に勇気がなくて……それにしても、ここからじゃ社内の様子、全然わかんないですね」

そうため息混じりの声で言うと、ビルの窓にピントを合わせるように目を絞る。そんな事をしても見えないことは明白なのに、やってしまうところが可愛らしくてついクスッとしてしまう。気づかれたらまたプンスカ怒られそうなので、咳払いをして誤魔化した。

「あのビル、全部のフロアがキミの会社?」
「そんなわけないじゃないですか!私の職場は七階だけです」
「えーっと……一、二、三……まぁ電気はついてるな」

ということはつまり、残業している人がいるということだ。
その中にカナもいる可能性がある。

「私、少し近づいて見てきます」

勇敢にも、彼女はそう告げた。それだけ焦っているという事だろう。冷静さに欠ける。少し考えてみれば、この場で大胆に動くことはリスクが高すぎるのは火を見るより明らかだ。
「近づいて見たところでわからないんじゃないの?」と諭すように言うが彼女の耳には届かないようで、オレの言葉にかぶせるように「いい方法があるんです」とだけ言って飛び出して行ってしまった。

「あ、ちょっと!」

そう小声で止めようとしても、時は既に遅く。

「あれ、しののめさん?!」

物陰から飛び出してものの十秒ほどで、誰かから呼び止められてしまう。言わんこっちゃない。
彼女は口に合わないものでも食べたかのような表情をして声がした方を見る。
オレは彼女を引き止めようと動きかけた足をその場でピタリと止めて、陰から様子を伺うことにした。
声の主は中年くらいの女性で、割腹のいい、いかにもおしゃべり好きそうな雰囲気だった。

「随分久しぶりじゃない!体調良くなったの?!」

体調が良くなった?── その言葉にオレは眉根を寄せ、話の内容に注意深く聞き耳を立てる。

「え……あ、その」
「あ、ごめんね!あんまり聞かれたくなかったわよね?!」
「いえ、大丈夫です……」

話が噛み合わなくて不審に思われないか肝を冷やしながら見守る。それから、体調についての詳しい話が聞き出せないか窺っていたが、次の女性の言葉にオレは耳を疑った。

「みーんなしののめさんいなくて寂しいって言ってるのよ!特にしののめさんとこの部長としののめさんの部署の子たち」

「いなくて寂しい」ということは、カナはしばらく職場に顔を出していない、そういうことだろう。どういった理由で休んでいるのかまではもう一人のカナ自身も動揺のあまり聞き出せずにいたようだった。女性はどんどん適当に話を進め、最終的には「まぁ無理しないでゆっくり養生してね!」と話をまとめ、明るく笑って去って行った。嵐のようだった。
もう一人のカナは、女性の後ろ姿を呆然としながら見送ると、がっかりしたような表情でとぼとぼ歩いてこちらへ戻って来る。

「……またハズレみたいです、」
「さっきの話、どういうことだ?」

オレは彼女が戻るや否や、尋ねた。

「今のは他部署の先輩なんですけど、どうも話からすると私は体調不良、それも精神的な不調で自宅療養中で、出社はしばらくしてないみたいですね……」

と言うことは、当然この明かりのついたフロアにいるはずもなく。家にもいない、職場にもいないとなれば、一体どこにいると言うのだろうか。なんの手掛かりもない。

「振り出しに戻ったな……」

墨色の空を見ると、月はとうとう赤く錆びたような色で鈍く光を放っていた。まるで常夜灯のようなぼんやりとした妖しい光だった。どうやら月食は部分食が終わり、皆既月食の段階へと入ったようだ。

「今、時間はどのくらい経ったかわかるか?」
「移動時間からして多分二時間くらいです」
「まずいな、食の終わりまであと一時間半くらいしかない」
「えぇ……次で確実に見つけ出さないと……」

確実に、なんて人探しにはそんな方法はない。捜索対象の行動データがあったり、普段の動きを熟知していれば別の話だが、とにかくこの状況でもうあと見てまわれるチャンスが一回しかないのは絶望的だった。
次の一手で、オレのこの先の一年間、そしてカナの一年間の過ごし方が決まってしまう。

「心当たりはないのか?仕事をサボってふらっといくいつもの場所とか、好きな場所とか」
「サボったりなんてしないんで、そんな場所なんて……」

彼女に投げかけながら、オレはふと引っかかりを覚える。きっとカナの好きな場所が、オレの分身も見たことのある場所でどこかあったような──

「もう家の前でとりあえず待ってるしか無いですかね……」
「……一箇所だけオレに心当たりがある」
「え?」
「一か八かの賭けになるが、一緒に来てもらえないか」

そう、最後の夜に見たあの、星のよく見える場所だ。



数十分後、オレ達は再びカナの家の近くを歩いていた。
オレンジ色の外灯と、車のヘッドランプが歩道を照らしていて明るいなと思いながら辺りを見回す。前に来た時よりも随分とせかせか歩いた。

「カカシさん、この方向って……」
「あぁ。影分身のオレがこっちに来て、最後に案内してもらった場所だ」

オレの足は、河川敷へと向かっていた。
カナはあの日、言っていた。
──橋の上とか川の上の道路を夜、何か考え事しながら歩くと悩みとかがぜーんぶ川に吸い込まれてくみたいで好きなんですよね。
その言葉を会話の中でふと思い出したのだ。他の場所と比べて静かで地味な場所だったから、特に印象深かった。

「カナ、悩んだりするとここへ来るって言ってたから、どこにもいないとなれば多分ここにいると思うんだ」
「確かによく来てましたけど……あと一時間も無いのに、ここに居なかったら終わりですよ……」
「大丈夫、こういう時のオレの勘は結構当たるのさ」

ため息をつきながら、もう一人のカナはキョロキョロと辺りを見回す。
オレ達は橋の袂に着くと、進行方向のさらに先の方、丁度橋のアーチの真ん中の高くなっているあたりに豆粒ほどの人影を見つけた。人影は、はっきりとはわからなかったが橋の柵にもたれかかるようにして川の方を眺めているようだった。しかし、カナかどうかは遠すぎてわからない。
早く確かめたくて、自然とオレの足取りは速まる。

「ちょっと、カカシさん速いですって!」

並んで歩いていたもう一人のカナはいつの間にか自分よりも後方を歩いていた。速いと文句を言われても、オレはペースを落とす気はなかった。否、落とそうと思っても、ドクドクと脈打つ鼓動のせいで、歩調を緩めることが出来なかった。
冷静さに欠け、忍としてあるまじき状態であることを自覚しながらオレは歩き続けた。
一歩、また一歩と進んで行く度に、その人影は大きくなる。ようやく顔や腕などのパーツの形がわかるようになると、確かに川の方を見下ろす横顔が確認できた。その姿は、服こそ見たことがなかったが、カナの立ち姿にとてもよく似ていた。
たまらずオレは、歩くペースがさらに速くなる。ほとんど小走りに近かったが、理性がまだ少しだけ働き、走ることはしなかった。
本当にカナと確かめるまでは、喜んではいけない。安心してはいけない。落ち着くんだ──そんな風に、自分が自分で無くなりそうなほど焦がれていたカナに会える喜びを全力で抑え込むように意識を集中した。
しかしその集中も、ものの数分で途切れることとなる。

人影のパーツの詳細がどんどん鮮明になる。その一つ一つが、個を認識できるほどにまでになると、オレは呼吸が止まりそうになった。
視界の真ん中で捉えていたその人物が、オレの推知していた通りだったからだ。

「カナ!」

気がつくと、オレは腹の底から彼女の名前を叫んでいた。ほとんど無意識で、自分でも驚く程だった。
それと同時に、オレの足は地面を勢いよく蹴り出していた。あまりの現実味の無さに、まるで雲を蹴っているかのように手応えがない。もう何も考えられなかった。

すると──オレの声に反応するかのように、それまで橋の下の闇を捉えながら街灯のオレンジに染められていた横顔がゆっくりとこちらを振り向いた。そして、オレに虚な眼差しが向けられる。
それは、正真正銘、間違いなくオレともう一人のカナが探していたカナのものだった。


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