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猫の盾



 乗り物酔いでも起こしたかのように目眩が止まらない。体が泥のように重たく、だるさをひどく感じている。鳩尾のあたりからせり上がってくるものに耐えられず、僕は急いでトイレへ向かった。
 便座を上げる時間さえもどかしい。そのまま顔を突っ込んで、逆流してきた朝食たちを勢いよく解き放つ。食べた量が少なかったのが幸いしてか、吐き気はすぐに収まった。生理的に込み上げてきた涙を拭って、洗浄レバーを引く。
「佐藤くん」
 開けっ放しだったトイレのドアを塞ぐように立っていた塩見さんが、肩で息をする僕を見下ろして立っていた。
「す、すみません、大丈夫です……」
「だろうね。君には猫が取り憑いてるから」
 猫。
 以前、塩見さんに言われたことがある。過去に飼っていた猫の霊が、僕の肩に座っていると。名前はミースケ。よく食べるやつだった。
 僕が女性の霊に目をつけられていた際も、ミースケは夢の中で唸り声をあげて守ってくれたのだった。
「猫ってのはね、古代エジプトじゃあ生と死を司るシンボルだったんだよ」
「え……?」
「神聖な生き物として見られてたんだ。バステトって名前を聞いたことはあるかい、佐藤くん」
「え、ええ、神様の名前ですよね」
「バステト神は首から上が猫なんだ。ファラオの墓を守ったり、人々を悪霊から守ったりと、魔除けの役割を持っていたとされる」
 猫頭の、魔除けの神。
 洗面所で口をゆすいだ僕に塩見さんは、要するに、と結論を告げたのだった。
「君のところの猫が、魔除けの役割を果たしてくれたってことさ」
「僕に、悪いものがついてたってことですか?」
「さっき突然体調が悪くなったろ。あれだよ。猫が怒って声をあげてたよ」
 そう塩見さんが言葉を紡いだ直後のことだった。
 酢田みちるさんが部屋から飛び出してきて、トイレに飛び込んだのは。
「呪いってのは跳ね返るからねえ……」
 まるで関心がないかのような冷めた目つきで、彼は吐き捨てる。そうして僕の……今は酢田みちるさんの寝床になっている部屋に、遠慮なしに入っていくのだった。

 部屋はなんだか焦げ臭かった。黒いロウソクがチラチラと炎を灯しており、何かの燃えかすが白い小皿の上で縮こまっている。
「塩見さん、これは?」
「ここ、元々は君が使ってたろ。君の痕跡が残ってるんだよ。鼻をかんだティッシュや抜け落ちた髪の毛。それらは呪いの媒体として扱いやすい」
 僕は酢田みちるさんに呪われたということか。ならば小皿にあるこれは、燃やされた僕の髪の毛ということになる。
「猫が魔除けになった分、術者に跳ね返ってきたんだよ」
 少女がえずく声が響く廊下に、塩見さんは冷たい視線を向けていた。色素の薄い瞳には、ほんの少し、怒りがこもっているようにも見えて、僕は思わず息を飲む。塩見さんがこちらを向いた。
「さて」
 僕の一挙手一投足を見逃すまいとでもするように、彼の視線がじっとこちらを見据え、射抜いていた。
「君はこの家を出て行った方がいいと思うんだけど」
「えっ」
「髪の毛を燃やしたのはきっと、呪いのテストだろうさ。そしてそのテストは、僕の体質が関与して怪異となり、君に襲いかかった」
「……これからも、怪異が起きるということですか」
「おそらく。あれと僕が同居している限り。そしてあれが黒魔術にこだわっている限り」
 相変わらず塩見さんは酢田さんを「あれ」と呼ぶ。
 だが、僕は首を横に振った。
 彼はきっと、このセリフも甘っちょろいと評することだろう。
「塩見さんを一人には、できませんよ」