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情念



「安珍清姫伝説って知ってるかい」
 ざらりとした声が僕に問いかけてくる。僕は小さく頷くと、概要くらいは知っています、と答えた。たしか、僧侶である安珍に一目惚れした清姫が、裏切られた無念から蛇となって安珍を追いかけ続け、ついには寺の鐘ごと焼き殺してしまう話だったように思う。塩見さんは僕の説明を聞いて少しだけ笑った。これはきっと満足している顔だ。なんとなく分かる。
「人間だった清姫が、情念とも怨念ともとれる意志の力で怪物に身を落とす……まあ、そういう話だよ」
「人から、その、化け物へ変身する話というのは、多いんですか?」
「一番簡単なのは幽霊だよね。あれは恨み辛みの念を持って化けて出た怪異だから。生きている人間が化け物に変わるっていうのは、どうだろうね。元々、蜘蛛という蔑称で呼ばれていた人間たちがいた、というのは確かだけど」
「蜘蛛……?」
 朝廷があった頃の話さ、と塩見さんは言った。朝廷時代は鬼、狐、蜘蛛という蔑称で呼ばれる人々がいて、後の妖怪伝説にまでなった場合もあるのだと。
「知っています、土蜘蛛のことですよね、兄さん」
 ゴシックロリータに身を包んだ女子高生、酢田みちるさんは、白いソファに腰掛けながらヌゥを読んでいた。そして彼女は僕を見て笑う。ニヤリとした、嫌味な笑い方だった。
「怪奇作家ともあろう方が土蜘蛛の存在に思い至らないなんて、兄さんの助手がよく務まったものですね」
「佐藤くんは僕の助手じゃあないよ」
 酢田みちるさんの言葉にぴしゃりと言い返したのは塩見さんで、僕は口ごもることしかできなかった。情けないことに、僕は相手からの高圧的な態度に萎縮してしまうタチなのだ。
「人間から怪物へと変わるっていうのはね、それなりに強い念がないと難しいんだよ。死んでから化けるなら簡単だけれど。分かったかい、佐藤くん」
「う、は、はい……」
「妬みそねみ、僻み、恨み辛み、呪い。そういったものを抱いて死ぬと、変異しやすくはなるかもね」
 しょげてるんじゃないよ、ポチ。と不愉快そうなざらりとした声に告げられ、僕は溜め息をついた。それからメモを取って、情念の話で一本書けそうだな、となんとなく考えていた。
 そんな時だ、視線を感じたのは。
 じっとりした湿度のある目つきで見られているような気がする。恐る恐る視線を感じた方向へ目を向けると、酢田さんが僕の方をじっと見ていた。
 可愛らしい顔立ちに嫌悪の色を乗せて僕を見つめる彼女は、ヌゥをパタンと閉じて一言告げてくる。
「佐藤さん、あなたに良くない未来が見えました。体調を崩さないようにお気をつけてくださいね」
「え?」
 塩見さんが彼女を見る。そして、小さく息をついた。彼女の後ろの方をじっと見つめたまま、メモ用紙に何かを描いていく。ぐるぐると渦巻く、よく分からないものを。
「私は黒魔術師ですので、分かるんです」
 にこりと笑った酢田さんに、僕は思わず怖気を覚えた。

「彼女、なんだか僕に突っかかってきている気がしませんか」
「気も何も、突っかかってるんだよ」
 部屋に戻った酢田さんを呆然と見送る僕に、塩見さんはつまらなそうに返してくる。どうも彼女は塩見さんの隣というポジションが欲しいようなのだ。だから常に彼の近くにいる僕を邪魔だと思い、嫌味を言ってくるのか。
 それにしても、どうしてそこまで塩見さんに執着するのだろうか。
 兄妹かもしれない塩見さんを一目見て、助手になって、どうしたいというのだろう。兄弟がいない僕には分からないが、肉親に執着するのは当たり前のことなのだろうか?
 ぼんやりと考え込んでいた時だった。
 ぐらり、と目の前が揺れたのは。
 歪む景色の中、目を見開いて僕を見る塩見さんと目が合った。
 体調を崩さないように気をつけて、と言っていた酢田さんを思い出していた。