駄菓子屋は夜を行く7
「犯罪者」
クラスメートがすれ違いざまに吐き出した言葉に、城田カナははっとした。
辺りを見回せば、時間は昼、高校の廊下だと分かる。
くすくす笑うクラスメートたちの視線の先を追ってみれば、そこには顔を真っ青にして震えている藤代サヤの姿があった。
「……戻った?」
慌てて針で突いた自分の指先を見る。血は出ていない。日付を書いた紙もない。
廊下の掲示板に目をやった。そうして、本当に戻ったのだと実感した。
二月十日。
城田カナが藤代サヤに「盗んでないって信じてるからね」と、そう言ったあの日だ。
「……サヤ」
城田カナは藤代サヤの手を取った。
「ちょっと、いい?」
未だに顔が青いサヤが、三つ編みと眼鏡で表情を隠しながら小さく頷くのが見える。
校舎裏まで手を繋いで歩いた。授業が始まる予鈴が響いていたが、カナはそれを力強く無視した。
「……どうしたの?」
校舎裏でしばらく黙っていた城田カナが、俯く藤代サヤに問いかける。いつもハキハキとしている城田カナらしくもない静かな態度に、藤代サヤは一瞬戸惑った。
茶色いストレートロングの髪の毛をもてあそびながら、カナは一生懸命言葉を選ぶ。
「犯罪者って……何?」
この時点では、城田カナは藤代サヤの万引きを知らなかった。だから知らないふりをして問いかけなければならない。
カナの言葉に、藤代サヤの三つ編みがびくんと揺れた。
身を強張らせるサヤに、カナが慎重に言葉を投げかける。
「何か、事情があるんでしょ……?」
それまで黙り込んでいた藤代サヤの喉から「ひゅっ」と小さな息遣いが聞こえたのと、藤代サヤが大粒の涙をこぼし始めたのは、ほぼ同時だった。
肩が激しく震え、両手で顔を覆いながらサヤがしゃがみこむ。
「ごめんね……」
サヤの思いつめた一言に、カナは思わずサヤの肩を抱いていた。
「私……私ね……本当に、犯罪者なの……しちゃったの、万引き」
「……後で一緒に、そのお店に謝りに行こう。品物を返して、一生懸命、謝ろう?」
「ごめんね……ごめん、カナ」
サヤの涙は止まらない。嗚咽交じりの言葉は妙な抑揚になっている。
うん、うん、とカナは静かに頷いて、サヤの言葉を聴いていた。
「カナ、学級会開いてくれたでしょ……? でも、なくなってなかったの、いじめ……陰でエスカレートしていって……辛くって」
「……うん」
「それに、カナが“私、サヤがいじめに負ける弱い人じゃないって信じてる”って言ったとき……“私とサヤはずっと仲良しだって信じてる”って言ったとき……どっちも苦しかった。息が詰まるかと思った」
ああ、やはり自分が追い詰めていたのだ。城田カナは改めてそう感じていた。
藤代サヤの顔は青白い。本音を吐き出しながら、恐怖と戦っているかのように見える。
「カナは、カナにとって都合のいい私しかいらないんじゃないかって怖かった!」
ああ、そうだ、そうだったのだ。城田カナは当時の自分を振り返る。藤代サヤのことを省みず、自分が良いと思ったことだけを貫いていた自分を。
どれほどサヤを苦しめていたのだろう。
どれほど彼女を追い詰めていたのだろう。
城田カナの目に、自然と涙が浮かんできた。
「ごめんね」
息を詰まらせながら言ったのは、城田カナだった。
「追い詰めてごめん……何も気づけなくてごめんね……」
「……カナが悪いわけじゃ……」
「ううん、私のせいでもあるよ……サヤが傷ついてた原因、私にもあったんだもん、ごめん……」
ごめんね、と藤代サヤが言った。
ごめんね、と城田カナも言った。
校舎裏で二人、ぼろぼろと涙をこぼしながら抱き合っていた。
太陽の光がカナとサヤを包み、それが目にしみて、城田カナは更に泣いた。
藤代サヤが自殺するはずだった日、彼女は高校へ来なかった。学校を休むという連絡が教室に入り、忍び笑いが漏れるのを聞きながら、城田カナはクラスメートたちに対する怒りを募らせる。
下校時間になり、城田カナがまっすぐ藤代サヤの家に行くのを、クラスメートたちのちくちくとした視線が見送った。
「サヤ、調子はどう?」
「調子も何も……ずる休みだから元気だよ。それより、ごめんね。一緒にお店へ謝りに行ってもらって……カナの方が必死で謝るから、私、びっくりしちゃった」
ワンピースにカーディガンを羽織った姿で出てきた藤代サヤは、三つ編みを指先で弄りながらカナに言う。
「私もびっくり。なんであんなに張り切って謝ってたんだか」
「お店の人も気圧されてたよね」
「あはは……」
藤代サヤは死なずに済んだ。彼女の歴史は確かに書き換わったのだ。それを知っているのは城田カナだけである。
軽い会話を交わしたあと、城田カナは藤代サヤに今日の分のプリントを渡して、藤代家を辞した。
そして、ある場所まで足を進める。
言いたいことがあるのだ。
prev / next