駄菓子屋は夜を行く5
翌日のことだ。
城田カナは藤代サヤの家の前に立っていた。
今日は平日である。既に一限目は始まっている時間だ。訝しげにカナを眺める近所の大人たちなど知らぬ顔で、カナは藤代家のインターホンを押すのだった。
「……はい」
線の細い上品な女性が出てくる。カナも知っている。藤代サヤの母親だ。
彼女はこんな時間に家の前に立っているカナに驚きながらも、カナが自分の娘の友達であったことを思い出したのか、うっすらと寂しげな笑みを浮かべて尋ねた。
「どうしたの? ええと、城田さん、だったかしら?」
「はい。サヤとは仲良くさせていただいていました」
深くお辞儀をした城田カナが、顔を上げながら言う。
「お線香を上げさせてください」
ぐっとサヤの母親の顔が強張るのが分かった。堪えきれない涙が浮かぶ。ふるふると唇が震えるのを見て、カナも心を痛めた。
藤代サヤが自殺した事を誰より受け止めなければいけなかったのは、城田カナではない。母親なのだから。
「……ありがとうね」
上品な黒いショートヘアに、腰巻のエプロンをつけた藤代サヤの母親が、涙ぐみながら小さく震える声を出した。
「サヤにも……こんなに優しい友達がいたのね……嬉しいわ」
サヤの母は家に招き入れてくれた。掃除が行き届いている、すっきりとした広い家だった。
リビングの片隅に仏壇とサヤの遺影があり、写真の中の藤代サヤはやはり困ったような笑みを浮かべている。
線香を上げて、鈴を鳴らした。
その様子を母親が涙ながらに見つめていた。
悲痛な思いを抱きしめて震えている母親に向かってこんな事を言うのは酷ではないかとも思ったが、城田カナは、それでも鏡の中の藤代サヤを思い出し、口を開く。
「あの……」
サヤの部屋を見せてもらえませんか。
城田カナの突然の願いにサヤの母親は困惑していたが、家に来て線香を上げてくれた唯一のクラスメートであるカナに良い印象を抱いていたのか、優しく頷いて二階へと案内してくれた。
サヤの部屋は二階の端にあった。控えめな性格の彼女は「自分の部屋は一番狭くていいよ」と遠慮して聞かなかったそうだ。
両親にさえ譲る精神を見せる優しい子だった。そう言いながらサヤの母親は部屋の扉を開ける。水色の壁紙とうすいベージュのカーテンが目に入った。
「ここがあの子の部屋よ……何もないでしょう? あの子、シンプルなものが好きだったから」
「……お邪魔します」
お茶を入れてくるわね。と、サヤの母親が一階へ下りていくのを見送りながら、城田カナは藤代サヤの部屋をちらりと見る。整頓された本棚に、片付いた勉強机、シワ一つないベッドの枕元には一つだけぬいぐるみが置かれている。
サヤ以外の存在を許さないかのような、静かに張り詰めた部屋だった。
城田カナは、まるで自分が泥棒にでもなったかのような気分で藤代サヤの机を漁る。雲外鏡で見たあのノートはどこだと机に立てて置かれていた教科書やノートの群れを眺めてみたが、日記帳の姿は確認できない。
ならば。
机についていた引き出しを開ける。
美術館のパンフレットや小説だろう文庫本の上に、それはあった。ピンク色の表紙をした、大学ノートだった。
恐る恐るカナの指先が表紙をめくる。ぱらぱらと日記帳をめくり続けて……見つけた。
涙が滲んで強張ったページが、確かにあった。
「……これって」
二月二日。
カナが余計な事をしてくれた。学級会なんて開いて……私は頼んでいないのに。
周囲の視線が痛かった。私の後ろでいらいらしていた足立さんの存在、カナは気づいてるのかな。
二月三日
表向きのいじめは確かになくなった。なくなったけど、陰では続いてる。カナは何も気づいてない。
誰のものか分からないフリーメールアドレスで、酷い内容のメールが届いた。
いじめは続いてる……もう誰にも分かってもらえない形で。
二月七日
私がカナに一方的に合わせているだけ。カナは私のことなんて考えてくれていない。
違うな。考えてくれてはいるんだろうけど、カナの相手は私じゃなくてもいい……そんな感じ。
カナにとって理想的な反応を返してくれる相手なら、カナは誰だって喜ぶんでしょう。それがたまたま私だっただけ。
二月八日
カナにキーホルダーをもらった。あんまり好きじゃないデザインだったな。
カバンにつけないでいたら、何故つけないの? って聞かれてしまって……慌ててつけたら、カナは満足そうだった。
ねえ、やっぱり、カナって私のこと何も考えてくれてないよね?
二月十日
私、本当に万引きした……。クラスメートに指摘されたとき、お店に謝りに行かないとって何度も思った。
だけどカナは言った。盗んでないって信じてるからねって。
ああ、やっぱり私のことなんて何も分かってくれてないんだ。
それでも私の居場所はカナの傍にしかない……苦しいな。
水滴の跡がいくつもついたページはめくるのに苦労した。滲んだ文字が、カナの心を殴りつけてくる。
城田カナは息が止まっていた。
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