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春の雨5

 後日、水神(みかみ)神社へ春が赴くと、珍しくミコトが境内の掃除をしていた。春の姿を認めると掃除を中断し、笑顔で会釈をする。

「私がやりますよ」

 春の言葉に、ミコトは首を横に振って、それからこう言った。

「いやあ、暇だったから掃除して待ってただけなんだ」
「暇? 待ってた?」
「もちろん、春ちゃんを待ってたんだ」
「私をですか?」

 ミコトは竹箒をさっさと片付けてしまって、参道の端に寄っていた春に近づくと、その手を取った。

「こちらにいらっしゃい」

 手を引かれた春は鳥居をくぐる。そうして、今しがた上ってきたばかりの階段を下る羽目になった。
 どこへ行くのだろうと大人しくついていく春。階段の端を歩く春に、ミコトはくすりと笑った。

「真ん中を歩いてもいいよ、春ちゃん」
「真ん中は神様の道なんですよ、ミコトさん」
「今日ばかりは蛇神様の意思だと思って」
「そういうわけにはいきません」

 律儀だね、とミコトは笑った。
 階段を下りきって、ぐるりと神社の裏手に回る道を案内された。林が生い茂っている、普通ならば通ろうと思わない道だ。
 ミコトはすいすいと歩き、まるでそこがまだ使われている道であるかのように前へ前へ進んでいく。
 春は手をしっかり握り返し、必死に歩いた。

「ここの存在を、教えておこうかと思ってね」

 立ち止まったミコトが指差した先を春が見る。
 水は濁っていたが、形のいい美しい景色の泉だった。

「ここは?」
「生贄の泉」

 問いかけに物騒な言葉が返ってきてぎょっとする。春が思わずミコトを見上げると、ミコトは人のよさそうな笑みを浮かべて再び泉のほうへと目を向けた。

「生贄をここに飛び込ませる……そういう風に使われてしまった泉だよ」

 どこか寂しげな様子でミコトが言う。
 泉の水が濁っているのは、湧き水が止まってしまったか、水が循環されなくなったからだろう。

「本来は人が飛び込む場所じゃないんだよ。蛇神の妻になる蛇が入るための泉なんだ……人が飛び込みだしたとたん、少しずつ濁ってしまってね」
「そうなんですか……」
「悲しいことだよね」

 水が濁ったことか。人が沢山生贄に捧げられたことか。おそらくどちらもなのだろう。

 生贄という道を選ばなければ泉の水は濁らず、林の中に隠す必要もなく、人間たちの憩いの場にすらなっていたはず。

 蛇神の妻になる蛇が入水すると知られなければ生贄という概念すら生まれず、人が死なずに済んだはず。

 春は静かに両手を合わせて祈った。

「君は、本当にいい子だ」

 ミコトが静かに微笑んで、林のざわめきの中で呟いた。

 ぽつん。

 春の頭に何かが当たる。
 冷たい一粒が、今度は頬に当たった。

「……雨?」

 空を見た。太陽は出ていた。狐の嫁入りだ。
 春は不思議な気持ちで空を眺めていた。日差しが地を照らしながら雨が降る。幻想的な光景にさえ思う。
 隣でミコトが動いたのに気づいた。
 強張った顔をしていた。

「どうしたんですか?」
「ごめんね」

 問いかけに対してかみ合わない答えが返ってくる。きょとんとしていると、ミコトは血相を変えて林の奥へと走り出した。
 何故奥に行くのだろう?
 思わずついていこうとした春だったが、ミコトが大声を出した。

「来てはいけない!」

 あまりの剣幕に、春も強情を張った。

「どうしてですか!」

 奥へ奥へ走り去っていくミコトを、春は追いかけた。天気雨の中、突然始まった鬼ごっこに、訳が分からない思いだ。
 ミコトは再び大声を出す。

「来てはいけないんだったら!」

 それでも春は聞こえないふりをしてミコトを追いかけた。
 何故走り出したのか、何故雨に戦慄していたのか、それだけでも聞くために。
 追いかけなければ良かったかもしれない。
 春は思わず立ち止まる。その光景を目の当たりにした事を内心ひどく後悔していた。

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