来訪者 / 逆光

お祭りの日にやって来たフェストゥムは、すごく、人間らしい。それに小さい頃の総士に少し似ている。あの時の総士より、もっと幼く見えるけれど。喋るのも流暢だし、まるで本当に人間みたい。

真壁司令とフェストゥムの対話は全島民に中継されている。私はアルヴィス内、一騎の隣でその様子を見ていた。蒼穹作戦で最後の力を使い果たした私は同化一歩手前の状態で戦線を離脱し、アルヴィス内でのサポートに回っている。今も同世代の皆が出撃するのを見送り、彼らが戦いやすいように新たな居場所で支援していた。

「空がきれいだって、思ったことある?」

来主操と名乗ったフェストゥムが身を乗り出して司令にそう尋ねた。喋り方も幼いし、質問も子どもみたい。咲良や真矢に言わせれば”究極ののほほん思考”だという私の思考そのままに、モニターを見上げていると、不意に隣の一騎から視線を感じる。

「なに?」
「いや、おまえと気が合いそうだと思って。おまえもよく空を見上げてるだろ?」
「まあね、空見るの好きだよ」

画面の中では司令と来主操の話が進んでいて、来主操が島のミールと同化、からの排他攻撃を提唱していてビックリした。フェストゥムの考えってすごいなあ、まさかフェストゥム同士の戦いもこういう形で起きるのか。群棲するはずのフェストゥムが互いに攻撃する様子は、あまり想像できなかった。

「なんかよくわからなくて頭疲れちゃった、ちょっと飲み物買ってくる」
「おまえは本当に自由というかなんというか…」
「溝口さんも飲みます?」
「いらねえよ」

疲れた頭には糖分が一番、なにか甘いものを飲もう。
アルヴィス内にある自動販売機、ここから近いのは総士の部屋の近くだったかな?ああでも食堂に行ってココア作るのもいいかも、チョコ大好きだし。来主操も甘いものを美味しいって思うのかな。フェストゥムに味覚ってあるの?そもそも。
ぐだぐだ考えて道を行ったり来たりして、よし、やっぱりココアにしようと食堂までの道のりを歩くと向かいからカレーを持った食堂の人に出会った。え、なんでカレー持って右往左往してるの?

「あの、どうしたんですかカレー持って」
「実はさ…」

実は来主操が一騎カレーが食べたいって言いだしてカレーを運ばなくちゃいけないんだけど私非戦闘員だし近くに行くのも怖いのよ。だからお願いなんだけど代わりに持って行ってくれない?今度好きなもの作ってあげるから。

「じゃあとびっきり甘いココアお願いしますね」

この一言で私はお願いを承諾した。来主操には興味があったし、多分食堂のおばちゃんよりも私の方が強いだろうし運び屋としては自分が適任だ。カレーの載ったトレーを受け取って来主操が居る部屋の前に行くと、溝口さんの部下と真壁司令が立っていて、私がカレーを持っている事に驚いていた。

「どうして君がカレーを?」
「食堂のおばちゃんの代打です。失礼しまーす」

あ、ちょっと待った!という屈強な溝口さん部隊の人の声を無視して部屋に入る。中央に置かれたテーブルに頬杖をついていた来主操が振り返り、ばっちりと目があった。
生で見ると、総士の面影を強く感じる。体格も総士に近い…ような?私たちと同い年ぐらいに見えるなあ、同級生でしたって言われたらころっと信じちゃいそう。けれど彼、フェストゥムなんだよね。不思議だ。

「お待ちどーさま、これが喫茶楽園名物の一騎カレーだよ」

フェストゥム相手に敬語を使うべきか一瞬悩んで、まあ同い年っぽいしいつも通りで良いかと砕けた口調で話しかける。トレーをテーブルの上に置いてカレーとスプーンを彼の前に置いた。

「君は苗字名前だね」
「え?うん、そうだよ。苗字名前。読心能力で分かったの?」
「それもあるけれど、皆城総士から君のことも聞いてる。すごくぼんやりしててクロッシングをしてるとこっちもぼんやりしそうになる奴がいるって」
「総士って私のことそんな風に思ってたの?うわあ、失礼だな。帰ってきたら問い詰めてやろう」
「ねえ、これどうやって食べればいい?」
「総士はカレーの食べ方は教えてないの?まったく何してるんだか」

一応のスプーンの使い方は分かっているみたいだから、向かいの椅子に座ってカレーをすくって食べるジェスチャーをしてみせる。すると私の仕草か、それか思考を読んでだのか、使用方法を理解したらしい。子どもみたいにむんずとスプーンを掴んだ来主操が一口、一騎カレーを口に入れた。

「!」

口に含んだ途端に彼の顔に満面の笑顔が広がった。
本当に子どもみたく美味しそうに、幸せそうな笑顔ができるから、実は人間なんじゃないかって錯覚してしまう。空が綺麗だって感じて、一騎のカレーが美味しくて笑顔になって。今までフェストゥムは襲ってくる怖い存在だとしか感じてなかったけれど、彼とは話しあえるし、そうしたら分かり合えるんじゃないかなって。フェストゥムとも。

「少なくとも、分かりたいって思ってるよ」
「ほんと?」

思考が読まれて、私の頭の中の言葉に来主操が肉声でそれに応える。仮にもファフナーパイロットだったからスフィンクス型の問いかけにも遭遇した事があるし、読心能力に対して驚きは薄かった。ポジティブに考えれば喋らなくても悟ってくれるわけだし。ああ、一騎カレー良い匂いがする。心が読めるならこの気持ちも読み取ってくれないかな。

「一口食べる?」
「いいの?」
「だってそう思って、わざと強くそう考えたんでしょ。俺が読み取れるように」
「本当にわかっちゃうんだ、すごい。見た目は人でもフェストゥムなんだね」
「はい」
「いただきまーす」

「フェストゥムなんだね」「はい」の短いやり取りの間に、私は心の中で彼に一口すくってちょうだい?という思考を挟んでみた。そしたら彼はおぼつかない手つきでスプーンに一口分のカレーをすくって私に差し出してくれる。ありがとう、って心の中で強く思って笑いかけ、差し出されたスプーンの先をぱくりと自分の口に入れた。お母さんの作ってくれるカレーも美味しいけど、一騎カレーの美味しさは格別だ。私もさっきの来主操みたいな笑顔になる。

「ん、美味しい」
「これが、美味しいっていう感情なんだね」
「食べた時に、えっと、操くん顔が笑ってた。それって多分カレーが美味しくて幸福になったから、自然と顔に出ちゃったんだと思う」
「…そっか、うん。一騎カレー、美味しい」
「そうそう、難しく考えることないよ。美味しいって気持ちが分かるか分からないかはともかく、一騎カレーは食べると笑顔になるってことぐらいは分かるでしょ。島には他にも美味しいものいーっぱいあるからね。そうだ、島にいる間に美味しいもの紹介してあげるよ…えっと確か…ほら、これとか」

アルヴィスの制服ポケットに手を突っ込んで持ち歩いていたチョコボールを取り出した。初めて見るチョコボールに操くんは興味しんしんで、それでもカレーを食べる手を止めることなく顔を寄せた。

「それは?」
「西尾商店で売ってるチョコボール、これも美味しいよ」

カレーを飲みこんだのを見計らって、口開けて、って強く心の中で彼に語りかける。操くんはすぐさまその思考を読み取ってカラッポの口を開けた。喉の奥に入らないようにチョコボールを舌の上に乗っけてあげる。口を閉じて、ころころ口の中で転がして、奥歯で噛む。

「!」
「でしょ」

目がパって輝いて、さっきと同じ笑顔が広がって、読心能力がない私でも操くんの気持ちが分かった。
一騎カレーもチョコボールも美味しいね、空って綺麗だよね。同じ気持ち、共有出来るってこんなに嬉しいことなんだね。

「操くん、私もっと操くんと話してみたい。声に出して、言葉にして、もっと話してみたい」





俺は一騎と話をするのが好きだ。それは皆城総士の記憶の上流から、俺という個に流れてきたものに起因する。それに俺も一騎と話すのは楽しい。
けれど、もう一人。

「君は俺になにも言わないんだね」
「え、今も会話してたよね。あれ、まさか私が話す前に心を読んで、それに操くんが返してくれてたの?」
「そうじゃなくて、俺たちがこの島のミールと同化したいって言ってる事とか」
「ああ、そっち」

そっち。彼女、苗字名前の中で島の未来のことはその程度のことなのだろうか。

「島のミールと同化なんてしてほしくないし、人間とフェストゥムの両方と戦うなんていうのも嫌だよ」
「それなのに君は一騎と違って俺を説得しない」
「それは一騎のやるべき事で私のすべき事ではないと思ってる」
「じゃあ君のすべき事ってなに?」
「こうして操くんとお話して、人について知ってもらうこと」

そんなこと本気で思っているのか、訝しんだ俺はそっと彼女の心を読む。
彼女の心の中にある海はとても広くて、果てが無い。静かな海面は時折、思い出したような微弱なさざめきが立つ。顔を上げると何かが頭上の太陽の光を遮っていて、ほの暗く、静寂の彼方からノイズのような音が波音に溶け合い、聞こえた。薄く光の差し込む海底に潜っていけば、彼女の声が俺の全身を包む。

≪もっと会話をしたい≫
≪もっとフェストゥムについて知りたい≫
≪もっと操くんのことをわかりたい≫
≪もっと人について知ってほしい≫

「驚いた。君は本当にそう思っているんだね」
「うん。操くんはせっかく人の体を得たんだからそれをもっと謳歌しないと!人の体じゃないと分からないこときっとたくさんあるよ、はいこれ」
「これは?」
「キャラメルっていう甘いお菓子」
「!」
「気に入った?」
「美味しい!」
「そうそう、それ、そのために私は操くんと対話をしたいの」

それ。彼女は指示語が多い。
名前はきっと、物事を解体・分析・再構築する能力に優れているのだろう。思考回路と感情を完全に分離することを、無意識に行っている。加えて、サヴァン症候群の現れとして聴力が異様に高い。彼女自身気が付いていないが、相手の心拍数や呼吸音等を聞き取って心の内を推察している。それは、人の力が生み出した“読心能力”に近い。だからだろうか、彼女に、俺と等しいものを感じてしまうのは。

「はじめて一騎カレーを食べた時に操くんは”美味しい”って気持ちを初めて知ったでしょ?その気持ちを知ったから、今キャラメルを食べて『美味しい』って言葉にすることが出来た。それは操くんが人間の体になって、私という人と関わりを持ったから。私たちの生活を学んだから」
「そうだね」
「多分私にとって、そういう事を操くんと一緒にする事が、総士の言う祝福なんだと思う。きっともうこの体そんなにもたないと思うから」

彼女の同化現象の進行は一目見て分かるほど早かった。紅い目、青白い肌、くっきりと刻まれたニーベルングの指輪の跡。今はもうファフナーに乗っていないみたいだけどそれもそうだ、あと1度でも乗ったら彼女の海底への光は潰える。

「私操くんのこと好きだよ」
「え?」
「一騎や総士、真矢にカノンに剣司に咲良。それに衛と甲洋と翔子と果林。みんな大好き。操くんもね、いなくなってほしくないって思うよ」
「俺もみんなに消えてほしくない、だから俺たちのミールと一緒に!」
「それは操くんの意思?違う、あなたは個を手に入れた。フェストゥムという群の中で個を獲得するなんて余程のことがなければ出来ない。例えば」

「空が…綺麗だって、思ったんでしょう?」
「っ!」
「……あー、ごめんね、こういう難しい話は総士とか一騎の専門分野だから私はあんまり口にすべきじゃなかった。これあげるからゆるして」

俺は言葉に窮した。彼女の心の海が波立って海底に反射する光が輝きを増したのを心で感じる。普段、温厚に、滑らかに生きる彼女の、剥き出しになった部分は俺が思っていたものよりも深い。差し出されたのはさっきのキャラメルが入った小さい紙の箱だった。

「そろそろ一騎が来るから、私は失礼するね」
「名前」
「一騎ともたくさん、会話してね」





「里奈、暉、元気にしてた?」
「もー名前先輩とはついこの間もうちの店で会ったじゃないですか、ラムネ買った時に!」
「まーまー、アルヴィスで会うのは新鮮だから思わず」
「先輩って本当にファフナーに乗ってたのか、たまに疑わしくなります」

唇をとがらせて少し棘のある言葉を言うと、隣に居る暉に制服の裾を引っ張られた。咎めてるんだろうけど、言われた本人は「それ色んな人に言われる」ってぼけぼけしてるからどうしようもない。
名前先輩はよくうちの店にお菓子を買いに来るから、昔から暉とそろって仲良くしてもらってて、それは今でも同じ。人見知りのする暉も名前先輩と遠見先輩には懐いていた。

「失礼だよ里奈」
「あ、久しぶりに暉の声聞けた」
「ファフナーに乗ったら喋れるようになったんです」
「そっかあ、2人とも選ばれたのか…今すごく一騎の気持ちわかっちゃった」
「名前先輩?」

先輩は蒼穹作戦の時に危険なところまで同化が進んだから、今はもうファフナーに乗っていない。同化を抑える治療を続けているけれど、先輩は特に現象の発現が顕著だった。だからこの前の訓練の時も居なかったし、アルヴィスでの勤務もソロモンや島のコアに関わる研究だっておばあちゃんから聞いてた。一線を退いてもアルヴィスに残ってサポートに徹する先輩のことを、私も暉もすごいって感じてる。
その、いつもとぼけた様子の名前先輩が、こんなにつらそうな顔をしているのを私たちは初めて見た。赤みのかかった目は今にも泣きそうだし、唇の端が震えていて先輩は苦しいものをこらえるみたいに私と暉を抱きしめる。まだ3人とも小さかった時に喧嘩した私と暉をとりなす時によく先輩がこうしていたことを思い出した。

「ちょっ、名前先輩?!」
「どうしたんですか?!」
「なんとなく、なんとなくだよ。昔みたいにこうしたくなっただけ」
「私たちもう子どもじゃないんですから」
「……ううん、私から見たら2人とも子どもだよ」
「それ先輩にだけは言われたくないです」
「だから、里奈!」
「あはは、里奈も暉もかわいいなあ」

笑ってるのに涙声の先輩が心配で暉と目線を合わせる。暉も先輩が心配で私たちはそっと先輩の背に手を寄せた。


***


広登を連れて森に入り昆虫採集をした帰り、向かいから歩いてくる人影を見つけて私たちは立ち止まった。色白でふらふらと歩くその人はアルヴィスの制服を着ていて、森を見まわしながら歩いていて、もしやと思い声をかける。

「苗字先輩?」
「あ、芹ちゃんと広登くん!良かった助かったあ」
「こんなところで何してるんすか?」
「研究の気分転換に森を散歩してたら迷っちゃって」
「というか先輩、帰り道は先輩がまさに通って来た道ですけど」
「うそ、じゃあ私は森の奥に進んでたの?」

苗字先輩が脱力して肩を落とすと広登が笑う。苗字先輩は今は島のコアやソロモンの研究をしていて、乙姫ちゃんに会いに行くとよく顔を合わせるから親交がある。里奈や暉とも昔から仲が良かったのと、気負ったところのない人柄のおかげで私たちの世代とも気兼ねなく話してくれる良い先輩。でもこんな風にちょっと抜けてるところがあるのが年下ながらに心配だ。

「良ければ一緒にアルヴィスまで戻りませんか?」
「本当?ありがとう芹ちゃん、広登くん」
「苗字先輩ってそんなんでファフナー乗ってて大丈夫だったんですか?」
「こら、広登!」
「それ、つい最近西尾双子にも言われた。これでも接近戦型のファフナーに乗ってたし弱くは無いと思うんだけど」
「変性意識とかは?」
「真矢に近くて冷静になるの、頭の芯まですっと冷えて。でも戦いが終わるとすぐに素が出るから総士に怒られたっけなあ」

一緒に歩く道すがらに喋る先輩のお話がいかにも苗字先輩らしくて、失礼にならない程度の小声で笑ってしまった。広登は呆れてるみたいだけど、私は一度だけ過去の先輩の戦いを見たことがある。先輩の乗るマークツヴァイは私の乗るツヴォルフと同型だから、参考になればと戦闘データを見せてもらったのだ。そこに映るツヴァイの動きは無駄が無く雄々しくて、今こうしてお話する先輩が乗っていたなんて想像できない。

「剣司も咲良もカノンも真矢もすっごい頼りになる先輩達だから、私と違って」
「そんなことありません、苗字先輩だってすごく頼りになります!いつも熱心に研究してるの、私知ってます!」

苗字先輩はたまに自分を卑下する発言をするのが不思議で悲しかった。先輩は自分の限界まで島の為に戦ったのに。

「そう言ってもらえると、嬉しいな」



私、ファフナーに乗る。芹ちゃんが岩戸に入った今、代わりに戦えるのは私しかいない。

乗ってはだめ、あなたのその体で乗ったら…もう…消えてしまうのよ?!

このままじゃ島やみんなが…お母さんがいなくなっちゃう。そんなの絶対に嫌だよ。

それでも名前がいなくなるなんて…そんなの、やめて…。

この命がなくなるのなら、ツヴァイの同化が良い。死んでしまってどうなるのか分からないけど、ファフナーと同化なら私の心もここに残せるって思う。そうしてツヴァイと一体になって、お母さんのいるこの島を守っていきたいの。それに今私の友だちがすごく苦しんでる。でも彼は苦しいのにそこからどうすればいいか分からなくて抜け出せないでいるの。だから私、あの人を助けたい。

来主操はフェストゥムよ、人間じゃないわ。

フェストゥムだとか人間だとかじゃない。操くんと話して、それで感じたことを大切にしたい。フェストゥムの来主操を友だちだから助けたいんだ。お願いお母さん、必ず帰ってくるよ。だって私、お母さんのこと大好きだから。前もそう約束して帰ってこれた、今度も絶対に帰ってくる。約束する。

………真壁指令もきっと、こんな気持ちだったのね。

お母さん。

…あなたの無事を祈っているわ。お友だちのことも。

ありがとうお母さん、つらい思いばっかさせてごめんね。

本当よ。…だからこれからもたくさん親孝行してもらうわ。

うん、うん…待っててね。


泣いて抱きしめ合う親子の、決戦前夜のこと。





『それに乗っているの…?どうして、名前…そんなことをしたらきみは!』

クロッシングとは別に頭に直接呼びかける声をツヴァイの中で聞いた。禍々しく変貌したザルヴァートルモデル、マークニヒト。その巨躯とやり合うならばゼロファフナーを除き、ノートゥングモデルよりも大きいツヴァイが適任だった。ルガーランスを両手で握り地上に落ちたニヒトに向ける。背後からは甲洋による援護射撃が始まっていた。

「フュンフ、ドライツェン、聞こえるか。ここはフィアーと私が抑える、島を覆うフェストゥムを」
「…分かった、いくなよ名前」

ジークフリードシステムが分割された事により赤いカノンの影がコックピットに現れた。大丈夫と返す代わりに笑顔でカノンに応える。大丈夫、私はまだここにいるよ。やらなければいけないことがあるから。
フィアーの砲撃がニヒトに当たった。きっと中に囚われた操くんは痛みと、そして島を攻撃された憎しみを感じている。どうしてこうなってしまったんだろう。私たちはきっと分かり合えるはずなのに、どうしてこの痛みを選んでしまうんだろう。
体勢の崩れたニヒトに間髪入れず近づいてルガーランスを振り下ろした。ドライツェンから模倣した黒いルガーランスでそれを受け止めるニヒト、と同時に先ほど感じた声が再び響く。

『どうしてファフナーに乗ったんだ、そんなことをしたらきみがいなくなってしまうのに!どうして痛みばかり選ぶ!』
「私は確かに痛みを選んだ。操くん、人は時に痛みを選ばなきゃならない時がある。だから逃げるな、きみも」
『分からない…俺たちには分からない!痛みも憎しみもきみたち人類が与えたんじゃないか!!』
「そうだ、人は痛みも憎しみも持ってここにいる。痛みを知らないで生きていくことは出来ないんだ!痛みを知るからこそ、痛みと憎しみを選ばない道を”選ぶ”ことが出来る!」

本当は痛みも憎しみも無い方が良い。けれどそれは現在の人類にとって、悲しいけれど不可能な事だった。無理に痛みを消そうとすれば、今の竜宮島と操くんのミール達とのように憎しみが生まれ、争いが起こる。
私たちの対話は時間にすれば一瞬のもので、気づいた時には機体性能で圧し負けたツヴァイの左腕がルガーランスごとひしゃげていた。皮膚が破れ筋肉や体組織がぐちゃぐちゃになり骨まで砕ける痛みに目を見開く。

「ぐっ、あ、あ!!」
『お願いだからもうやめて!俺は…俺は名前を消したくない!』
「私も操くんたちを…消したいわけじゃ、ない!」

フィアーのメデューサがツヴァイに圧し掛かるニヒトに直撃し、退かせた。急いで右腕でプラズマライフルを引き抜き一旦距離を取るべく後ろに跳ぶ。その間もフィアーは攻撃を続け浮上したニヒトに跳びついた。フィアーと接触するニヒトの機体から結晶が生まれて目を見張る。おそらく甲洋は先ほどニヒトに取り込まれた一騎をザインごと救出しようとしているのだろう。今度は私がフィアーを援護する為にプラズマライフルの引き金をひいた。しかしプラズマの弾丸はニヒトに当たる前に、ツヴァイとフィアーの間に歪んだワームスフィアに吸い込まれてしまう。

「甲洋ッ!!」

連続して出現する黒い球体を回避してプラズマライフルを連射し空を見上げる。ニヒトがフィアーに向けて掲げたルガーランスに命中するが、同化により強化されたルガーランスはプラズマごとフィアーの機体を突き刺した。

「やめろおおおお!」

ツヴァイと共に放り投げられたフィアーの機体をワームスフィアの追撃が襲う。阻止しようとありったけの推進力を脚部に回して空に浮かぶニヒト目がけて跳び上がった。ツヴァイの背部にはティターンモデルの名残であるサイレーンド装備の代わりに、ドライツェン同様の大型スラスターが装備されていた。投げ捨てたプラズマライフルの代わりに折りたたまれたロングソードを展開して、右腕一本でニヒトに斬りかかる。機体のサイズはフィアーよりもツヴァイの方が大きい。さっきよりも質量のある機体に圧をかけられニヒトが僅かにバランスを崩す。ロングソードの一撃をルガーランスで防ぐと、またも私と操くんとの間にクロッシングが起こる。

『どうして…どうしてどうしてどうして!』
「きみは知っている、私たち人がどういう風に生きているのか。私たちと一緒に、どんなに短い間だろうと島にいたきみなら!そんな操くんだからこそ選べるものも、伝えられるものもあるんだ!」

だから、どんなに怖くても、痛みを消すなんてやめて。
いつの間にか私の目からはぼろぼろと涙が流れていた。痛い、痛いよ操くん。私もすごく痛い。操くんと戦うこと、島が消えてしまうかもしれないこと、ツヴァイに飲み込まれるかもしれないこと。痛いけれど、でもこの痛みも私が選んだ私であることの一部だから消すなんて出来ない。
ねえ操くん、私また一緒に一騎カレー食べたいよ。いつもみたく読心能力で読みとってよ、そして笑って答えてほしい。前にも言ったけど、私の祝福はあなたに、私たちのいろんなものを教えること。搾取や同化じゃなくて、共有すること。同じ気持ちを共有出来たんだもん、だからきっと、私たち。

「分かり合えるんだ…きっと。…あのね、私、操くんのこと」

好きだよ。

ロングソードが結晶化して2つに折れる。それはニヒトによる力ではなく、ツヴァイの同化現象に私が飲みこまれたことを意味していた。頭の真ん中、レプタイルの脳が悲鳴を上げた。涙でぼやけた視界に結晶の生えた両腕が見えた。

「ぁ……」
『名前!!』

心が、ツヴァイに同化する。

ブ ツ ン





ツヴァイの中で、名前の存在が消えかかっている。彼女の心の中の海が荒れ狂い、海底を照らしていた光はもう輝きを失っていた。俺はそれを空から見下ろしている。

『…あのね、私、操くんのこと』

風が強くて名前の声が聞こえない。心象風景だから聞こえないはずはない、クロッシングに似たこの現象は耳を使っていないはずなのに、俺に名前の声は最後まで届かなかった。
彼女の海が逆巻いて光が見えない、あの光がなくなってしまうのはいけない。彼女がいなくなってしまう。俺は咄嗟にニヒトの左腕を伸ばして残ったツヴァイの右腕を掴んだ。

「いかないで!」

自分が何をしたのか分からなかった。ニヒトとツヴァイの間に暗緑色の球体が生まれて、ツヴァイの全身を飲みこむ。
こんなことになってしまったけど、一緒に一騎カレーをまた食べたい。もっといろんなことを教えてほしい。きみの祝福が俺たちに向けられることがすごく嬉しい。俺たちはきっと分かり合えるって、少しでも、そう思えたんだ。だからいやだよ。名前が消えてしまうのは、痛くて、悲しくて、耐えられない。

また名前の心象風景に意識が飛んだ。読心出来るってことはまだ彼女がここにいる証明で少しだけ安堵する。
俺はまた海の上に浮いていた。けれどさっきとは違って光がある。そこではたと気がついた。海底に揺らめいていた光は反射であったことに。彼女の光を太陽から遮っていたのは、逆光となっている俺だということに。俺は振り返り、背を向けていた、海底を輝かせていた光を見た。

暗い空の真ん中にまるい太陽があった。

その光は普通の太陽よりも、月の光に似て優しい光で海底を照らしていたのだ。

「そうか…きみの心は本当はいつも空にあったんだね」

海底にあるのは名前の心の反響だ、そして心は常に空にひかり続けていた。

「遮ってしまっていたのは俺だったんだ」

クロッシングが途切れ暗緑色のワームスフィアが収縮していく。残った空間にはツヴァイの右腕を掴んで支えるニヒトの姿が在った。


***


「名前!」

ジーベンを駆って空を飛び、私はニヒトの頭にマインブレードを突き立てた。衝撃でニヒトの手からツヴァイの機体が地面に落下する。数度にわたり名前とのクロッシングが途絶えたが、今は微弱ながらクロッシングの反応がある。一騎くんを奪われ、目の前で名前までなんて、させない。

「一騎くんを返して!!」

より深く刃を頭部に刺し込むとルガーランスによって腕を切断され、肩から胴体を一気に切り裂かれる。

「ああっ」

飛行ユニットが破壊されて地面に落ちていく中、ニヒトから放たれた光の中からザインが現れるのが見えた。よかった、一騎くん……帰ってきた。恐ろしいほどの痛みの中で落下の衝撃を予測していたけれど、地面とジーベンの間になにかが入り込む。

「真矢っ」
「名前…?」

真下を見たらボロボロになったツヴァイが、右腕で地面との直接的な衝突からジーベンを守っていた。

「そこにいるの…?」
「いるよ、わたし、ここにいる。操くんのおかげで…ここにいる」

赤い名前の影が不安定に隣に浮かぶ。名前の頬には涙の跡が残っていて泣いていたんだって分かった。

「一騎も戻って来た、大丈夫だよ真矢」





島から見上げた空が赤い。人類軍の放った核が島に落ちてくる。操くんたちのミールを焼いた火が、私たちも燃やそうとしている。人が人を消そうとしていた。
フェストゥム達を先導するようにザインとニヒトが核の前に飛んでいく。

島の地面に沈むように倒れながら、私はかろうじてこの身に繋がる右腕を空にのばした。

「一騎……操くん…」

ニヒトの胸から金色のフェストゥムが現れて核を抱きこんだ。それに続いてフェストゥム達がまるで島を護るように壁を作っていく。私は核を止めようとしているスフィンクス型が操くんだと気がついた。

「操くん」

不意に視界が赤い空から別のものに切り替わる。これは操くんからのクロッシングだった。
体中傷だらけのフェストゥムが身を引きずって地面を這っている。
そうして見上げた空は、青い海と融け合うような澄んだ蒼穹。私たちの島にも平等に広がる蒼穹の空。

「私たちも…空がきれいだって、大好きだって思うよ、操くん……」

喉がひりひりするのは涙がとめどなく溢れても尽きないせいだ。
同化現象が搭乗する前より軽減されているのを感じる。きっと操くんがツヴァイとの戦いの中で取り除いてくれたんだ。ツヴァイと一瞬同化した時に海の中で果林や父さん、生駒先輩たちL計画の皆が見えた。ああ、これでツヴァイと一緒になるんだと思ったら突然右腕を誰かに掴まれて引き上げられる。暗い海から顔を出してその人物を見上げると逆光でよく見えない。まるく優しい光を放つ太陽を背にするその人に顔を近づけて見えたのは、操くんの泣きそうな顔だった。

フェストゥムが島を守り、島が人を守った。操くんはきっと彼らのミールと共にまた新しく生まれるんだろう。なら、また会えるかな。落ちる瞼に抗えずに意識を手放す。

島はこうして、ひとときの平和を取り戻した。





「名前、名前!返事をしろ!」
「苗字先輩!」
「苗字!」

第二次蒼穹作戦が終わり皆城総士が島に帰って来た中、緊迫した声が格納庫に響く。島の防衛部隊であった苗字名前のクロッシングが途絶えたまま反応が無いのだ。自動操縦で島の格納庫に帰って来たマークツヴァイの周りを、帰還したカノン、広登、真矢、そして総士と一騎が取り囲む。カノンが急いでコックピットブロックのロックを解除してハッチを開くと、そこにはぐったりと体の力を失いシートに倒れる名前が居た。一番同化現象が進んでいただけに、最悪の事態が全員の頭をよぎった。

「名前!」
「広登、すぐにメディカルルームに連絡を!」
「分かりました!」

カノンが広登に指示し、総士がコックピットに下りて名前の体を抱き上げる。体温は低いが呼吸があった。

「息はある、眼を覚ませ苗字!」
「……っ……ぁ…」

総士の呼び掛けに名前の目がうっすらと開かれる。その瞳の色を見て一番近くに居た真矢は驚いた。作戦前まで紅かった瞳の色が本来の色に戻っていたのだ。

「み、さ…お……くん?……じゃ、な…まさか、そ…うし?」
「ああ、そうだ。僕だ」
「……そら…あお…い?」
「来主のおかげで、僕たちは守られたんだ」
「………」

総士の言葉に答えを得た名前の表情が安らぎ、瞳が閉じられる。カノンと真矢が息を飲み、一騎はきつく拳を握った。ほどなくして広登が呼んだ遠見千鶴と医療スタッフが担架を持って到着し、名前をメディカルルームへと運んで行く。祈る思いで全員が名前の姿を見つめた。

来主操により同化が抑制された名前が目を覚ましたのは、第二次蒼穹作戦から1年後のことだった。