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 生きた心地のしない私は階段を上って校舎二階へと来ていた。ちょうどカナエさんのマジックショーが始まる時間帯なので、不動の人気を誇る彼女の教室に行けば人に紛れられる利点もあるし、何よりプレゼントのお礼をしたかった。しかし、既に生物室の前には長蛇の列が伸びていた。
 諦めてまたタイミングを窺おうと階段を下り、華道部の展示教室に入る。

「カナヲちゃん、こんにちは」
「こんにちは、名前さん」

 飾られた花に劣らない可憐な笑顔を向けてくれたのは華道部のカナヲちゃんだった。
 しのぶちゃんと並び学園三大美女の一人であるカナヲちゃんの、しのぶちゃんとはまた違った愛らしい空気に頬がゆるむ。
 カナヲちゃんの隣にいた男の子にも軽く挨拶をすると、特徴的な耳飾りを揺らして礼儀正しくお辞儀をしてくれる。

「カナヲちゃんのお友だち?」
「竈門炭治郎といいます」
「もしかしてパン屋さんの竈門さん?」
「はい!」
「あそこのぶどうパンが一番美味しいって家の人がよく言うの。私も竈門さんの食パンが一番好きだよ」
「ありがとうございます」
「私はガーデニングショップで働いててね、ここの華道部にお花を提供してるの」

 炭治郎くんの視線が私の左手、そして私の顔、最後にカナヲちゃんの顔を見る。カナヲちゃんは、どうしたの? とちょっと首を傾げて炭治郎くんを見つめる。
 少年少女のほわほわした雰囲気に心を和ませていると、竈門くんがまた私の全身を見て、あ! と短く叫んだ。

「もしかして冨岡先生の奥さんですか?」
「えっ?」
「あ、すみませんいきなり……失礼しました」
「気にしないで。ええと……はい、私が冨岡義勇の妻です」
「じ、実在したんだ………」

 実在したんだ、とは大層な言われようだ。
 義勇さんが学園で私のことを話すとは思わないけれど、まさか生徒達から都市伝説のように思われていたのだろうか? それは少し残念な気持ちに割、自分の存在が公になっていない事に安心が八割。
 カナヲちゃんが炭治郎くんの制服の裾を引っ張って、失礼だよ、なんて言ってくれたけどあまり気にしないでほしい。
 私も義勇さんもお喋りなタイプではないし、元教え子と結婚した事がどこかで義勇さんのマイナスポイントになってしまうかもしれないので、そう大きな声で報せるような事もしなかったのだから。

「冨岡先生は今でもスパルタ?」
「いっいいえ………」
「無理して嘘つかなくていいよ、顔が大変になっちゃってる」
「うっ……はい、ビシビシバシバシ生徒を指導してます」
「そうだよねえ」
「けど、それって誰よりも生徒のことを考えてくれてるんだと俺は思ってます」

 嘘をついた時の炭治郎くんの顔はすごく力んでいて面白くなっていた。けれど、今はすごく真面目な顔で私は嬉しくなった。
 義勇さんは昔から口数は少ないのに、突然目をかっぴらいて「廊下は走るな!」「髪を染めるな!」「遅刻をするな!」と叫び出し、怖い先生だと思われがちであり。
 実際、怖い先生ではある。けれど本当に生徒思いの良い先生で、私は先生に救われた生徒なので、自分の夫としてではなく『教師』として義勇さんの気持ちが伝わっているのが嬉しい。

「ありがとう、炭治郎くん」

 カナヲちゃんの足元にも及ばない、でも自分の最大限の笑顔で炭治郎くんにお礼を言ってから、華道部の活けたお花を見て回った。自分の働くお店で育てた花達が鮮やかに活けられているのを見ると、仕事へのやりがいや充足を感じる。
 一周して戻ると炭治郎くんはいなくなっていたので、カナヲちゃんに「すごく素敵だったよ」と声をかけて教室を後にした。

 校舎を一通り見学して、最後に中庭に出る。
 そこには私が在学中に部長を務めた園芸部の出店があった。学園の花壇で栽培した植物や野菜を売っているテントには、生徒が数人と顧問の先生が立っている。

「こんにちは」
「こんにちは!お野菜いかがですか?」
「すごい、立派なきゅうりだね」
「今年はきゅうりとピーマンがうまく育ったんです、ぜひどうぞ!」
「………」

 顧問の先生、冨岡義勇先生は私の姿を見て驚いていた。
 驚くと言ってもいつもより上の瞼が持ち上がるぐらいで、部員達はその変化に気が付いていない。

「実は私ここの卒業生でね、園芸部の部長をしてたの。もしよければこれ、休憩時間にどうぞ」
「そうなんですか? うわー、お菓子だ、ありがとうございます!」
「じゃあ冨岡先生は知ってるんですか?」
「…………妻だ」
「ツマ?」
「刺身の?」
「俺の妻だ」

 まさか義勇さんが私を卒業生以上に説明するとは思っておらず、一泊遅れて「お世話になっています」とお辞儀をする。
 にわかに部員達がざわつき、首がもげるのではと思うぐらいのスピードで私と義勇さんを交互に見た。

「冨岡先生でも結婚出来るなら俺も将来安心だ」

 さっき私にきゅうりを勧めてきた男子生徒がそう漏らすと、どっと笑い声が響く。私もつい笑ってしまうと恨みがましい義勇さんの黒目に睨まれてしまった。
 だって、あんまりにも心の声を正直に話すから面白くて。
 私と義勇さんの関係を好奇の目で問いただされるかとも思ったけど、園芸部の子たちは。

「よかったですね冨岡先生、こんな良い人見つかって」
「先生って家でもこんな感じなんですか? 大変ですね……お疲れ様です」
「神様仏様奥様じゃないですか」
「先輩の目から見て今年の野菜の育ち具合どうですか?」

 など、さして教師と元教え子の結婚に興味が無いのか、むしろ私を気遣うような言葉をたくさんもらった。時折義勇さんが「余計なお世話だ」「おい」と口をはさむと、和気藹々と笑って義勇さんを茶化している。
 良かった。義勇さん、ここでも生徒達に慕われてる。

「なに考えてるのか分かりづらい人だけどよろしくね」
「はい!」
「……少し休憩する」
「ごゆっくり〜」

 義勇さんが私の前を無言で歩く。慌ててきゅうりとピーマンを買って、私はその背を追った。