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「今朝『今日の文化祭に遊びに行くよ』ってメールが来たわ」
「カナエ先生は冨岡先生の奥さんをご存知なんですね」
「華道部で使うお花を買いに行くお店でアルバイトをしていて、名前ちゃんはそのままそこに就職したの。だから、私やしのぶはお友達なのよ」
「そうなんですか……って善逸?!」

 炭治郎がカナエと談笑している間に、善逸は見事なクラウチングスタートを決めて廊下を全力で駆けた。
 文化祭でごった返す人並みを物ともせず、華麗な足さばきで僅かな隙間を縫って走る後姿を見失わないよう、炭治郎もカナエに礼をしてから追った。

「冨岡先生より先に先生の奥さんのご尊顔を拝んでやるッ!」

 善逸はそのくだらない一心で、憎いあんちくしょうの顔も分からない奥さんを探した。
 体育教師の冨岡義勇。スパルタで悪名を轟かせる彼の妻は、この学園の卒業生だった。



「懐かしいなあ」

 今日は母校の文化祭という事で、紙の花で作られたアーチに飾られた懐かしい校門をくぐる。あの頃となにも変わってないなと思い出に浸りながら歩くと、よく知る綺麗な女子高生を見つけ、片手を振った。

「しのぶちゃん」
「よかった。姉さんから今日遊びに来るって聞いたから、入り口の近くに居れば会えると思ったんです」

 艶々した黒髪を高い位置で結んだ美少女、胡蝶しのぶちゃんが私を見て寄って来てくれた。近くで見るとニキビも日焼けも無い透き通る白い肌や、長くボリュームのある黒い睫毛、リップクリームを塗っただけでふっくらと色づいた唇に同性ながら照れてしまう。
 頬を赤くした私を見て、しのぶちゃんはおかしそうに口元に指を添えてクスクス笑う。その声もとっても可愛くて、さすが学園の三大美女は違うなと感嘆した。それに、添えられた指はほっそりして爪まで綺麗で、水仕事であかぎれやひび割れの目立つ自分の手を咄嗟に後ろに隠す。

「どうして照れてるんですか?」
「しのぶちゃんみたいな可愛い子が近くにいたら照れちゃうよ」
「名前さんの方が可愛いですよ、からかい甲斐があって」
「あんまり意地悪すると、これ、あげないよ」

 自分より年下の女子高生に上手いようにからかわれて、一応大人である私のプライドは(元から無いようなものだけど)形無しだ。最後の悪あがきにバッグから袋を取り出してしのぶちゃんの前にかざす。

「この前しのぶちゃんが欲しいって言ってたハーブ、家で育てたから天日干しして持ってきたの」
「うわ〜流石頼りになる大人の女性ですね!」
「もー、全然声に気持ちが入ってない!」
「嘘ですよ、ありがとうございます。いつも気にかけていただくおかげで薬学研究部と華道部は大助かりです。というわけで、これは私と姉さんからの感謝の気持ちです。“一応”冨岡先生にもお世話になっていますし」

 私がしのぶちゃんにハーブの入った紙袋を渡すと、今度はしのぶちゃんが持っていたカバンからパステルカラーの包みを出して私に渡してくれた。手のひらに置かれたそれは、最近女子高生に人気だと耳にしたショップの包装紙で、少し重い。

「ここのお店のハンドクリーム、効き目も良くて香りも良いって評判なんですよ」
「ハンドクリーム?」
「いつもお仕事を頑張っているあなたの手に、ぜひ使ってください」

 しのぶちゃんのささくれ一つ無いすべすべした手が、私のカサついて絆創膏だらけの手を包んで、ぎゅっと握る。ちゃんと細かいところまで見てくれて、思いやってくれるしのぶちゃんとカナエさんの優しさに胸がじんとする。
 照れてしまったり、嬉しくて感動してしまったり、私の表情筋は落ち着かない。しのぶちゃんと違って愛想の無い顔がぐにゃぐにゃした。

「ありがとう、しのぶちゃん。すごく嬉しい……早速使うね」
「ふふふ、ぜひそうしてください。これから文化祭を回るんですか?」
「久しぶりに宇髄先生と煉獄先生にも顔出そうかなって。それに、カナエさんにもお礼を言わないと」
「私はこれから文化祭実行委員会の仕事に戻らなければいけないので案内は出来ないんですけど、よければどうぞ」

 しのぶちゃんがくれたのは今日の文化祭のパンフレットと、表も裏も派手な色使いで塗りたくられたうちわ。パンフレットはともかく、このとにかく派手で主張の激しい色合いにはものすごーく既視感を覚え、とっても傍若無人な顔の良い教師が私の脳裏でニヤニヤ笑いを始めた。

「これ、作ったの宇髄先生でしょ」
「ご名答です」

 やっぱりね。苦笑したしのぶちゃんに手を振って、私はとりあえず先生達を探しに職員室を目指した。
 道中人にぶつからないように注意しながらパラパラとパンフレットをめくる。鈴カステラに焼きそば、水ヨーヨーすくいに輪投げと夏の縁日のような出店から野外ステージでのライブ等、ここの文化祭は今でも気合の入りようが尋常じゃない。華道部は校舎の一階で展示を行っているのを見つけて、すぐ上の階の催しを読んで隣に目を移し、ぎょっとしてまた二階のイベントを読み直した。
 『胡蝶先生のびっくりマジックショー』…胡蝶先生って、カナエさんの事だよね?カナエさんマジック出来たんだという驚きと、そういえば前にスマホと間違えて神社で見るような謎のお札を取り出した事件を思い出して謎の冷や汗が背中を流れた。

「おー? 懐かしい顔が歩いてるじゃねえか」
「ぎゃっ」

 カナエさんのめくるめくマジックショーに気を取られていた私の顔が、どん!と硬い胸にぶつかって跳ね返る。思わず踏まれたカエルのような奇声を発した私を笑う声が頭上からして、聞き覚えのあるその声と高い身長にすぐに誰か分かる。
 顔を上げれば予想通り、何年経っても変わらないかっこいいお顔を得意げにひけらかす美術教師。

「宇髄先生、お久しぶりです」
「久しぶりだな、冨岡との結婚式以来か?」
「その節はお世話になりました。……なにしてるんですか?」
「なにって見りゃ分かんだろ、煉獄と射的勝負だよ射的勝負」

 宇髄先生の腕には懐かしの抱っこするビニール人形、頭には猫耳のカチューシャ、顔にはハートマークのサングラス。輩先生の名に恥じないヤバめな全身図に、ついに派手好き男の狂気もここまで来たかと青ざめたけれど、宇髄先生の指差す先に居る煉獄先生を見たらさらに血の気が引いた。
 科学部の出店のゴム鉄砲射的、真剣な眼差しで割り箸製の銃を構えた煉獄先生の頭には最近SNSでよく見かける白いうさぎの帽子が乗っている。肩に伸びた紐を握ると耳がパタパタ動くあれだ。
 三十路近い男性教諭が学園内で被っていたら確実に学校倫理に触れそうな姿なのに、煉獄先生は宇髄先生に引けを取らない顔の良さで、ギリギリセーフのラインを綱渡りしている。
 確か今、この学園には先生の弟さんも在学しているはず。私は、どうか先生の弟さんがこの兄の姿を見かけて卒倒しませんように、と天に祈った。

「おーい煉獄」
「む、待て宇髄! 勝負の間に声をかけるのはルール違反だぞ」

 学生が主役の文化祭で教師たちが羽目を外し過ぎじゃない? とも思うけれど、出店の周りには徐々に人だかりができて一種のパフォーマンスになってきた。イケメン教師二人があほな格好をして射的に興じているとあれば、まあ盛り上がるよね。
 煉獄先生は素早く二発の輪ゴムを撃ち、その内一つが景品番号の書かれた的に当たる。三発勝負の射的は宇髄先生が勝利をおさめたらしく、隣の宇髄先生が得意げに勝鬨を上げていた。
 一方煉獄先生は悔しがりながらも景品で当てた造花のレイを律義に首から下げた。ガタイの良いワイシャツ姿の男がうさぎの帽子を被り、ハワイ気分でトロピカルな花輪をぶら下げている……情報量の多さに眩暈がした。宇髄先生と煉獄先生の浮かれたツーショットを真顔で見るのも大変だ。

「久しぶりだな、苗字!」
「おい煉獄、今はもうコイツも冨岡だぞ」
「ぶっ」

 なにを考えているのか、煉獄先生は私に挨拶をしながら左右の紐をタイミングよく引っ張り、うさぎの耳をパタパタ動かし始めた。私は耐えきれずに噴き出し、周囲の女子生徒達は「先生可愛い〜」と笑いながらスマホのカメラを向けている。

「ちょっと先生、笑わせないでください」
「いやなに、久しぶりの教え子との再会に少々浮かれた! 元気だったか?」

 誰よりも浮かれてるの見れば分かります。という失礼な言葉をどうにか飲み込む。

「はい、先生もお元気そうでなによりです」
「たまに冨岡におまえの様子を聞くんだが『あぁ、無事だ』と要領を得ない答えが返ってくるのでな」
「代わりに胡蝶達から話は聞いてたぜ」
「はあ、義勇さんってぱ……。すみません、主人がいつもご迷惑をおかけしています」

 義勇さんの言葉不精は職場でも健在なのね、と軽く頭を下げる。
 そうして顔を上げると、なんとも微妙な顔つきで二人が見てくる。私の顔になにかついているのかと宇髄先生のサングラスに反射する自分の顔を確認したものの、特になにも無くいつも通りだ。

「これはなんつーか……ちょっとグラっときちまうな」
「うむ、教師失格だが正直ぐっとくるものがある」
「なっなんですか二人そろって」
「元とはいえ教え子に下の名前で呼ばれて主人と言われる……背徳感がやべえ」

 宇髄先生の言葉に耳までカッと熱くなる。

「今この場所で冨岡先生と呼んだ方が大問題じゃないですか!」
「それもそうだが、改めておまえと冨岡が結婚したんだなあと感慨深い!」

 どこからか「あの人、冨岡先生の奥さん?」という声が耳に入り、自分の失言と煉獄先生のバカでかい声に血の気が引いた。
 まずい、いつまでもこの二人といたら周りの注意を引いてしまう。
 別に隠す事でもないけれど、義勇さんは相変わらずバレンタインに貰うチョコレートの量が尋常じゃなく多いのだ。つまりこの学園には、義勇さんに想いを寄せる女の子がたくさんいるという事で。
 袋叩きにされちゃうかもしれない。

「それじゃあ、私はこれで!」

 脱兎のごとく校舎の中へと飛び込んだ私の背を、宇髄先生の意味深な笑い声が突き刺した。