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「なあああにいいいいい?!」
「善逸、もう少し静かに叫んでくれ」
「静かに叫ぶってどうやんの?! いやいやいや、それよりもマジで?マジなの炭治郎あのド畜生スパルタの名を借りた暴力の化身が既婚者ァ?! 絶対に嘘だ、だって外階段でボッチごはんしてる時に食ってたのパンだけじゃねえか!! 指輪だってしてるの見てないし俺は信じないからな!!」
「煉獄先生が言っていたから本当だと思うぞ」

『冨岡の奥方なら俺もよく知っているぞ!ここの卒業生だからな!』

「そっそんな……しかも卒業生ってことは、年下奥さん…?イマジナリーじゃなくて?」

 善逸の中で何か大切なものがガラガラと音を立てて崩れ落ちた春のある日。





「大根は作れるのか」
「大根?」
「ああ」
「土壌的には出来ますけど、深さが足りないので微妙ですね」

 シャベルに足を引っ掛けて踏みつける、やっぱり先生の希望する大根を育てるには浅い。ついでにシャベルの先に当たった石ころを掘り起こして、花壇の外に投げた。

 四月、新入生の部員を獲得出来なかった園芸部は部活から愛好会に変更された。三年生の先輩が卒業してしまい、部員は二年の私一人。愛想の無い私が積極的に部のPRもしなかったせいだし、仕方がない。それにお歴々の先輩も風変りな人達ばかりで、部外からは「家庭菜園部」とさえ呼ばれている、好き勝手に土いじりをする部活動だ。なので、部員が私一人でも特に問題は無かった。愛好会に降格しても先生たちの計らいで二つの花壇の使用許可も貰え、十分な耕作面積を確保出来た。
 問題があるとすれば、今年から掛け持ちで顧問になった先生があの冨岡先生という事だ。

「こっちの花壇は野菜を育てるつもりなので、先生が食べたいものがあれば他にどうぞ」
「大根は」
「そんなに大根が食べたいんですか?」
「当たり前だ」

 何が当たり前なのか分からないし、ジャージを着てこちらをじっと見つめる冨岡先生の目を見返してやっても、何を考えているのかさっぱり分からない。
 体育教師の冨岡義勇と言えば、PTAの保護者達が一斉に顔色を変える超スパルタ先生として一気に有名になった期待の新人教師だ。風紀委員の顧問も務める冨岡先生はとにかく校則に厳しい。良く言えば生徒思いの先生とも思えるけれど、去年この学園に赴任して早々に身だしなみ強化週間を設け、違反した生徒を次々と殴り倒したのは記憶に新しい。
 人の心が無いのか? と思いきや、バレンタインデーに山ほどチョコを貰っているのを目撃してしまい、先生のどこにそんな魅力があるのかよく分からない私はひたすら首を傾げた。

「どうしても大根を育てたいなら先生がやってください。土を耕すのは重労働なんですよ」

 一介の学校に耕耘機なんて無いから、土を耕すのは人力だ。鍬も無いのでシャベルで土を掘り起こすこの作業は足腰だけじゃなく、土を持ち上げて放るので腕にもくる。ひ弱な女子高生が一人でやるのはとても大変なのだ。
 せめて名前だけの存在だとしても顧問ならば手伝え、と視線で語ってシャベルの柄を向けると、案外すんなりと先生はシャベルを受け取りスニーカーのまま花壇の土を踏んだ。

「それで」
「それで?」
「どうする」
「とりあえずここの横一直線をこう、下から上に土を掘り起こしてください」
「分かった」

 そこまでして大根が食べたかったのか。
 流石は成人男性の腕力。私が耕すよりも深く土を抉る様子に、これなら大根もどうにかなるかなと先生に任せて私は隣の花壇に移る。こっちはもうあらかた整備が終わったから、早速買ってきた花の苗をポットから取り出して地植えを始めた。スコップで小さく掘った穴に肥料と水を少し入れて、苗の根をやわく揉んでから埋めて、さっと簡単に土をかぶせる。後ろからは軽快に、シャクシャク、土の音がする。

 せっかく誰かと土いじりをしているんだからと、カンパニュラの苗を植えながら先生に声をかけた。

「先生は大根が好きなんですか?」
「ちがう」

 えっ違うの? 大根が好きじゃないの?
 手元が狂って深々と地面に刺してしまったスコップを引き抜いて、冨岡先生を振り返る。真剣に花壇を耕す先生はどう見ても「大根が好きだから頑張ってます」としか見えないのに、大根が好きじゃないって、変なの。

「大根が好きじゃないのに頑張るんですか」
「鮭大根の為だ」

 鮭大根って料理の名前は初めて聞いたけど、名前から想像するに鰤大根のようなものかな。なるほど、冨岡先生は大根が好きなんじゃなくて、鮭大根が好きなのね。だから、大根が好きかという質問にはノーと答えたのね。
 分かりづらいなあ、ちょっと言葉が足りないよ。
 同時期に赴任した煉獄先生なんか大きな声でこれでもか!と話す人なのに、全然違う。

「大根は夏ごろに種まきをしましょう。とりあえず春は花を中心に植えて、野菜の方にはこれを植えてください」
「チンゲン菜」
「育てやすいですから。指を土に一センチぐらい突っ込んで、その穴にまくんです」
「詳しいな」
「先輩たちの受け売りです。ああ、その前に畝を作りましょう」
「うね……」
「畑ってうねうね波打ってますよね、あれです」
「ギャグか?」
「違います、先生にも分かりやすいように説明してあげたのにひどい」

 言葉が足りないくせに一言多い、この先生。
 いまいち頼りない冨岡先生にあれこれ指示を出して肥料をまいて畝を作り、種まきまで終えると日が暮れていた。日が長くなってきたとはいえ、家に着く頃には暗くなっているだろう。とはいえ、冨岡先生が手伝ってくれたおかげで思ったよりは早く作業が終わりそうだ。

「あとは水まいて終わり!手伝ってくれてありがとうございます」
「よくない」
「え、なにが? ……ですか?」

 どうして冨岡先生は単語をぶつ切りにして話すのか。つい敬語が抜けてしまい不自然にですますを付け足す。先生は私の口調を気にする素振りも無く、どこかに歩いていく。
 こっちの質問ぐらい答えてよ…。小石や雑草を取り除いて待っていると、先生が手にじょうろを持って戻ってきた。もしかして、さっきの「よくない」の前には「(最後の水まきまで手伝わないと)よくない」とか、そういう言葉が隠されていたの?
 隠し過ぎて見えないどころか、隠し過ぎて元からあったのか定かじゃない。けれど最後まで責任を持ってお手伝いをしてくれる先生の真面目なところは、ちょっと好きになった。

「そこにいると水がかかるぞ」
「あ、はい」
「楽しみだ」
「そうですね」