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 特に目的も無いまま外に出かけた週末のこと。

 家族連れで混み合う時間を避けて入店したお店で早めのランチを楽しむ私の前を、一組のカップルが通り過ぎた。熱々のコーヒーに口をつけながら何気なく女性の顔をちらりと見る。するとどうだろう、私の記憶に一致する人物だった。
 名前を呼ぼうとしてカップをテーブルに置く。「久しぶり」と声を上げかけて、彼女が晴れやかな表情で見上げる隣の男性の顔を確認してハッとした。挙げかけた右手をそっと膝の上に戻す。
 彼女たちが楽し気に店の奥に消えるまで息を殺していた私は、処理の追いつかない脳みそを必死に回していた。

 彼女は大学時代、同じサークルに所属していた先輩で、卒業とほぼ同時に結婚した。式場で撮られた新郎新婦のはじける笑顔が眩しい写真は、今も実家の引き出しに眠っている。旦那さんは私たちよりも年上で、彼女の卒業を待っての入籍だったという情報はサークル内を席巻した。
 社会人で年上の男性との結婚。しかも旦那さんの勤めている会社は誰もが一度は耳にしたことのある有名企業となれば、本人には聞こえないところで「玉の輿」なんてワードも上がったりして、記憶に新しい。あの時は女子同士できゃーきゃー盛り上がった。

 それがどうだろう、ついさっき彼女が手を繋いで歩いていた彼氏は、明らかに自分よりも年下の男性だった。せいぜい上に見積もっても大学生、下手をすると高校生かもしれない。少し長めの前髪を横に流して嫌味なくアクセサリーを身に着ける、キラキラした雰囲気の今時な「男の子」だった。

 背中を嫌な汗が伝い落ちる。
 これは、浮気現場を目撃してしまったのかもしれない。
 彼女に年の離れた弟はいたかとか、義理の弟や親戚の子の可能性とか、余計な詮索を始めそうになり慌てて頭を振った。
 考えたところで答えは出ないし、もし仮に本当の浮気現場に遭遇してしまったのだとしたら、見て見ぬふりをするのが一番だ。
 少しぬるくなったコーヒーを飲み込み、よく晴れた外の景色を見て気持ちをリフレッシュしよう。顔を上げて窓を見る。


 後になって思い返せばこれがいけなかった。
 程よい苦みが喉をすべり瞬きをひとつ。窓に視線を投げて眺める青空の下を交差する人、人、人……の合間にとりわけ目立つ銀髪の長身。

「悟さん?」

 思いがけない人物が視界に入ったことであふれた声に応えるみたいに、彼の顔がこちらを向いた。額から鼻上を覆う黒い目隠し。不敵に口角の上がった唇。間違いなく悟さんだった。
 今日がお休みなら教えてくれれば良かったのに。今からでも二人一緒の休日を、なんて甘く思って見つめた先に新しい人影が映りこむ。
 肩を流れるさらさらの髪をなびかせた美女が悟さんの隣を歩いていた。
 悟さんはいつも私に見せる気心の知れた相手に対するほほ笑みを唇にのせて、その女性を見下ろしている。私より年上の女の人はちょっと疲れた様子だけど、慣れた調子で悟さんをあしらって歩く。長いまつ毛を伏せた表情が物憂げな、美しい人。
 二人が親しい間柄にあることは誰が見ても明らかだった。


 心臓が大きくのたうつ。
 見てはいけないものを見てしまった罪悪感めいた苦い感情がわき上がって、それをなんとか冷めたコーヒーの渋みで上塗りした。
 悟さんのお友達、なのかな。私には詳しく教えてくれないお仕事関係の人かな。それか、それか……悟さんのご実家はその界隈ではかなり有名な家で、後継ぎやお家問題があるらしいから……そういう人、かな。

 足の長い二人はあっという間にカフェの窓際を通り過ぎて行った。
 二人の姿が消え去ると同時に、頭がぐわんと重くなって耐えきれず下を向く。

 悟さんは、私と生きている世界が違うひと。私よりはるかに多くの人と繋がりがあって、いろいろな付き合い方もあって。あれは多分、全然、浮気とかじゃなくて。そもそも私が本命? とかいうものじゃないかもしれなくて。でも、悟さんは私を好きだって言ってくれて……。なんかもう、よく分からない。私が悟さんを好きな気持ちと、悟さんが私を好きな気持ちって、同じじゃないのかな。

 得体の知れない気持ちが胸の内でとぐろを巻く。それをどうにか解いてバラバラにしたいのに、考えるほどに難しくこんがらがっていく。

 悟さんとあの人、どっちもキラキラしてて、お似合いの二人って感じだった。
 それが一番、つらいな。