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 名前はいつも僕の反対側を向いて眠る人だった。
 一緒のベッドで眠る時、彼女は必ず壁側を選ぶ。壁と僕に挟まれる形が落ち着くらしい。
 しかしそうなると、名前は決まって僕に背を向けて眠るのだ。
 今まではそれでも良いと背中から彼女を抱きこんで眠っていたが、今日はどうしても僕に背を向ける理由が気になって、既に華奢な背を見せている名前に聞いてみた。

「ねー、起きてる?」
「なに?」
「どうしていつも僕に背を向けるわけ。さーみーしーいー」
「んー……」

 よほど眠いのか名前の返事はふわふわとしていて、顔が見えなくてももう瞼を閉じている事が容易に想像できた。このまま眠ってしまわないように少し強引に彼女の体を反転させて僕と向き合うようにさせる。

 最強の名を欲しいままにする僕にとってこんなのお茶の子さいさいなのである。ちなみに、これを僕より年下の彼女におどけて言ったら首を傾げられた。ジェネレーションギャップこわい。

「ねむいよ、さとるさん」
「答えたらすぐに寝て良いから」
「うん……うん」

 うんうんと頷くばかりで回答が期待できない。しかも名前はまたゴロンと寝返りをうって僕に背を向けてしまった。
 肩が緩やかに上下して明らかに眠ってしまうつもりだ、そうして答えを曖昧にさせるんだろう。
 最強の名のほかにやりたい放題の名も欲しいままの僕はそれに頷けず、眠りの縁に立つ名前を呼び起こす為に肩を押してベッドに仰向けにさせ、更にその上に跨った。
 世間一般的に言う押し倒した、というやつだ。

「さ、悟さん?」

 この体勢には眠気も吹っ飛んだのか彼女の目がようやく冴えた。両腕を曲げて顔を近づけると、彼女の長い睫毛の一本一本が震えているのがよく見えた。
 怯えではなく純粋な驚きのせいだろうが、好きな女の子のか細い仕草ってどうしてこんなに腰にクるのかな。彼女を己の支配下に置くようなこの体勢は正直興奮する。

「ねえ、なんで?」
「なんでと、言われても」
「言われても?」

 オウム返しに名前の言葉を返す。彼女はただでさえ小さいその体をさらに縮こませて、僕から視線を外そうとうと目をきょろきょろ忙しなく動かす。
 慌てふためく名前が面白くて、可愛くて、ついつい手が伸びた。
 左腕で自分の体を支えつつ、伸ばした右手で名前の顎を掴む。もちろんちゃんと力加減をしてるから痛くもないし、振り払おうと思えば振り払えるだろう。
 しかし彼女は小指の先すら動かせない。右往左往していた視線は顎を固定してるせいもあって、真っ直ぐに僕のはだかの目を見つめている。

「悟さん」
「なに?」
「なんだか、今の悟さん、こわい」
「っぷ、」
「なんで笑うの!」

 耐えきれず漏れた笑いに反応して名前は不服そうに唸った。
 こわい、だって! そりゃあこわいよ、多分君以外のほとんどの奴らが僕のことをこわがってる。
 こんな風に、頭や喉元、みぞおち、あらゆる急所をぼくの前に無防備にさらせる人間なんて名前ぐらいだ。
 すべてを僕にあらわにする弱さが可愛くて、顎を掴んでいた右手をスライドさせて優しく親指の腹で目の下あたりを撫ぜる。

「蛇に睨まれたカエルみたいで面白くってつい、わるいわるい」
「悪いって思ってない声」
「うん、思ってないよ! それで、どうして俺に背を向けて寝るの?」
「……そんなに気になるの?」
「とーっても気になる」
「……特に、理由なんてないです」

 気まずげに口を開いて、閉じて、そしてまた口を開く。

「……恥ずかしいから」
「は?」
「向かい合って寝るのって、なんか、恥ずかしいから。それに眠る時は悟さん、目隠しとるでしょ? ふっと目が覚めて悟さんの素顔が目に入ると、きれいすぎて恥ずかしくて、心臓止まりそうになる」

 今度は僕の口が開く番だった。

「もっと恥ずかしいことたくさんしてるのに?」
「そ、そこは違う! 全然!」
「恥ずかしいことなんてないでしょ、僕と君との仲なのに」
「それだけじゃなくて、自分の寝顔も見られるのとか……とにかく、なんか恥ずかしい」
「へえ〜」

 首まで赤くなるほど何が恥ずかしいのか結局僕には理解出来なかった。でも手の平に感じる熱が、本当に名前が恥ずかしがっていることを教える。
 良いこと聞いちゃたなあ。

「ほら、言ったからもう寝よう」
「はいはい、おやすみ」
「おやすみなさい……って、ちょっと」

 名前の抗議の声も素知らぬ態度で、僕は彼女を正面から自分の腕に抱きこんで目を閉じた。突っぱねる彼女の腕も僕の力に比べればそよ風レベルだ。

「悟さん、わたし、恥ずかしいって言ったよね」
「でも嫌だとは言ってないし〜」
「確かにそうだけど……でも……」
「恥ずかしくて寝られない?」
「………もういい、眠いから寝る」

 拗ねた子どもみたいな言葉と共に大人しくなる。
 僕との間に折りたたんでいた名前の両腕は行き場を失くしてもぞもぞ動いた後、僕の胸のあたりの服を掴むことで落ち着いた。
 そのかわいい行動全部を視界におさめてニタニタ笑った僕の顔は、彼女が早々に閉じたまぶたのおかげで見られずにすんだ。

「おやすみなさい、悟さん」
「おやすみ」