ひとみしり

子どもの頃に読んだ絵本の中で毛むくじゃらのかいじゅうが言っていた。
たべちゃいたいほどおまえがすきなんだ。
好きなのに食べたいとはどういう意味だ。食べてしまえば好きな人はいなくなってしまうのに、どうしてその気持ちがイコールで結ばれるのか。分からないまま何度も読んだその絵本は今も実家の本棚にしまってある。


視界の端でぴょこぴょこ揺れる束ねられた髪のしっぽ。新緑の季節に揺れる葉と同じように不規則に振れるそれが気になって、ふと指でつまんで意地悪をした。

「うわっ」

驚いたマネージャーが大きく肩を跳ね上げた。体育館の窓から降り注ぐ陽光が床に切り取った彼女の影法師も、大袈裟にびくっと跳びあがっている。なかなかどうして、この一つ下のマネージャーは沢北とは違う意味で良い反応をしてくれる。
おっかなびっくり犯人を探るマネージャーが振り向くのを待つが、自分の顔を見るより先に並んだ影を目にした彼女はまた軽く跳びあがった。

「ふっ深津先輩」
「あたりだピョン」
「驚かさないでくださいよ……心臓止まるかと思いました」
「そこまで驚かせようとは思ってないピョン」
「先輩が思っていなくても私は驚くんですよお」
 
呼吸する唇。すぐ泣く沢北と同じぐらいよく泣く潤んだ目。ジャージからつき出すほっそりした足。自分の影におさまってしまう小さな体。それらを見ていると胸の奥がむずがゆい。

「なにか用事ですか、先輩」
「しっぽ」
「しっぽ?」
「かわいいピョン」
「えっ」
「鳥の尾みたいピョン」
「鳥の尾……」

おや、と思った。特に意図せず口にした「かわいい」という言葉に彼女は驚くのではなく、ぽっと耳を赤くして視線を右往左往にただよわせている。かと思えば鳥の尾に例えた途端に大袈裟に落胆した。彼女がころころ表情を変えるのに合わせてあくせくと揺れる毛先は、やはり鳥の尾のようで見ていて飽きなかった。

「深津先輩ってそうやって誰にでもかわいいって言ってるんですか? やめた方がいいですよ」
「なんでピョン」
「女の子にとってその言葉は特別なんです。男の子から言われるのはなおさら、特別に聞こえちゃうんです」

女子の考える事はよく分からないが、腰に手をあてて生意気にも先輩に女子の理屈を説いてくるマネージャーがかわいいので真面目に聞き入るふりをする。やや単純な性格をしている彼女はオレの様子に納得して大きく頷いた。また髪が揺れる。かわいい。

「沢北くんのファンの声が大きいので隠れがちですけど深津先輩のファンもたくさんいるんです。女の子への態度は慎重になってください」
「わかったピョン」
「分かっていただけて良かった」
「苗字」
「はい?」
「かわいい」

慎重に声に出したら、マネージャーがわなわな震えはじめた。また赤くなった耳は果物に似ておいしそうで、食べたいという衝動が胸の内からわき上がり、絵本の一節がよみがえる。なるほどこれが、そういうことか。

「深津先輩、さっきの話聞いてました?!」
「マネージャー」
「なんですか!」

赤く色づく彼女の耳に噛みつく。
たべちゃいたいほどおまえがすきなんだ。