おおきなおとな

※生存・高専教師if



 最近、日に日に彼女が美しくなっていく気がする。
 彼女の部屋で、仕事に自分なりのやりがいを見つけたと口にした彼女は、グラスに浮かぶ氷を指でつつきながら目を細めた。呪術師界に身を置く自分には程遠い、一般社会を生きるきみ。
 氷を回す指先は綺麗に整えられていて、マニキュアの塗られた爪が蛍光灯に照らされて艶やかに光る。
 彼女は私よりも年上の、大人の女性だった。縁あって恋人同士になり紆余曲折を経て今もこうして隣に居る。
 そんな彼女が最近何気なく会話に混ぜた単語が、ずっと私の頭の中を飛び回っていた。

「ごめんね、その日は友だちの結婚式に呼ばれてるの」

 電話越しに彼女をデートに誘うと、その日は既に先約があった。一度目はその返事に心乱されることなく頷けたが、それが二度も連続すると自分の中に「結婚」というワードが嫌でもこびりつく。
 自分は二十八、彼女は二十九。
 お互い、そろそろ一緒になってもおかしくない年齢だ。

「こういうのって、タイミングが重なると連続で起きるものだね」

 隣に座る彼女がグラスのアルコールを一口含んだ後にぽつりとそうこぼした。
 自分も同じことを考えていたのでドキリとしたが、彼女の方は特に意味深長な発言でも無いらしく、二口、三口と果実酒を口に運ぶ。ほろ酔い気分の彼女の頬が少しずつ赤みを帯びていく。

「今年だけでもう二度も結婚式に行ったけど、同じ結婚式なんて一つもないんだなあって感じる。傑くんは結婚式に出たことってある?」
「小さい時に一度だけ、遠縁の式に呼ばれたことがあるだけかな」

 家柄や血脈が幅を利かせる古い考えの呪術界では、結婚も気軽に出来るものじゃない。どこの家と家が繋がったとか、相手が非呪術師は許さない家とか、本人の意思を無視した結婚話を山ほど聞かされて、その度にウンザリする。でもそれを言えば名前に結婚に消極的な男だと思われそうで、言わなかった。

「その時のことは覚えてるの?」
「あまり記憶に無いね。なにせ本当に、物心ついてすぐだったから。ただぼんやり、白無垢を着た新婦の姿は思い出せるよ」
「白無垢かあ。義理のお姉さんが着てたけど綺麗で、素敵だった」
「……きみは結婚するなら白無垢とウエディングドレス、どっちが良い?」

 一世一代、いや、その半歩先にも及ぶ勇気を振り絞って、我ながら情けなるぐらいの小さな声でそう尋ねた。悟と硝子あたりにこんな姿を見られたら大笑いして「ぶってんじゃねーよ」なんて言われそうだ。いや、絶対に言われる。どっかいけ、頭の中の迷惑な二人め。
 彼女は目を閉じて首を傾け、真剣に考えている。小さく開かれた唇から「あー」とか「うー」とか、小さい唸り声が漏れた。
 その様子もなんだか艶めかしくて、私はらしくもない緊張から自分のグラスに口をつける。

「強いて言えばドレス、かな。私昔から和服が似合わなくて、成人式の時の着物も似合わなかったの」
「そうなんだ」

 目を開けた彼女は、ウエディングドレスが良いと言う。
 その言葉をしっかりと頭の中にメモして、続けようと意気込んだ言葉に躊躇った。

「そうだ、これ見て」

 彼女は立ち上がると棚の上に飾られていたものを持って戻って来た。
 以前来た時には無かったそれは式のブーケトスで貰った花束らしい。ガラスの花瓶に活けられた色とりどりの花をテーブルに置いた。

「ブーケトスでキャッチしたの。将来、誰かと結ばれたら今度は私がこうして誰かに幸せを運ぶのかな。なんて思っちゃったり」

 ブーケを眺める彼女がうっとりと口にする。
 私は名前の口から出た「誰か」という不特定多数を指す言葉にガツンと頭を打たれた。

「……きみは」
「ん?」
「きみは、私と……呪術師と結婚するのは嫌かい」
「ええ?」

 改まった態度に彼女はいったいどうしたのかと私を見つめる。彼女の視線に耐えながら必死の思いで喋る。

「後輩の口癖でね、呪術師なんてクソだって。私はそこまで思わないけれど、きみみたいな普通の人間から見れば、結婚相手としてクソだと思われてもしょうがない生業だ。命の危険と常に隣り合わせだし、怪我も多い、服はすぐ汚れる、きみとのデートの約束にも穴をあける。呪術界の上層部は頭の古いじじいばっかりで、保身とかび臭い伝統を守るのに躍起になって、下の世代の育成を怠るクソやろうだ。最悪だ、欠点をあげたらキリがない」
「傑くん?」
「でも、私はきみを愛してるんだ。だからどうか、私と結婚してください」
「も、もう、ええ? 飲みすぎた? まだそんなに飲んでないでしょう」

 矢継ぎ早に決心したプロポーズの言葉を口にして隣の彼女の腰に抱き着いた。
 二十センチ近く大きい男に上体を拘束され、彼女は酔いの覚めた目をパチパチと瞬かせた。やはり呪術師と結婚などもってのほかと考えているのだろうか。

「呪術師だってこと気にしてたの?」
「もちろんだよ。血生臭い職だし、普通じゃない」
「そう……。ごめんね、気づかない鈍感で。でも私は傑くんが呪術師だってことを分かってお付き合いしてるの。傑くんからの告白にオッケーした時、傑くんとなら結婚したいなって思ったよ、ぶっちゃけ。傑くんが呪術師である事で普通の人じゃ想像も出来ないような苦しい事や辛い事もきっとあると思う。けれどね」

 ほどいた私の髪を彼女がていねいに撫でる。

「結婚してくださいって言われたの、すごく嬉しい。嬉しいよ」

 自分は年齢よりも成熟した人間だと思っていたのは驕りだったようで、あやすように頭の上を往復する彼女の手にほだされて、抱きしめる力を強くした。

「傑くんが呪術師だからって私の愛は変わらないよ。不安なら、それこそ結婚してあなたの隣で、ずっと証明し続けてあげる」
「名前」

 ほんのり温かな細い指先が私の髪をすくって耳のふちにかける。あらわれた白いひたいを手の甲でやさしく撫でて、名前はとびきり美しく笑ってみせた。