朱の色を滲ませて


 何かが爆発したような音でぱちりと目が覚めた。慣れないことをした反動か、椅子に座ったまま眠っていたみたいだ。身体に緑色の制服の上着が掛けられており、柔らかな花のような香りがして少しだけ安心感を抱く。持ち主であろうあんなに怖いひとに安心感を抱くだなんて、変かもしれないけど。のろのろと立ち上がると左手に何か紙を持たされていたことに気が付いた。起きたら上に来るように、と書かれた紙は彼の異国の相貌の割にとても綺麗な日本語の字。インクが少し滲んだ文字をゆるりとなぞる。益々彼がどんな人なのか分からなくなって、もやりとした思考を払うように頭を横に振った。

 寂れた薄暗い廊下を通り、瓦礫に気を付けながら上へと続く梯子を目指す。辺りの階段は軒並み途中の部分から崩れていたため、スカートの裾を引っ掛けないように気を配りながらもゆっくりと非常階段の梯子を登っていく。スカートや上着に着いた埃を手で払い、ひとつ深呼吸をして一番大きな扉を開いた。

「し、失礼します」
「おや、君の方が先でしたか」

 一番奥のソファに足を組んで座る姿がぼんやりと見える。薄暗く広々とした部屋をぱきりと何かを踏む音を立てながら彼の元へと歩みを進めた。先、と言うことは柿本くんや城島くんも来る予定なのだろうか。それとも、彼の言う目的に関わる誰かが来るのか。結局まだ何も聞けてないじゃないかと考えながらもゆっくりと壇上へ登る。

「これ、ありがとうございました」
「上着ですか、そのまま置いてても構わなかったのですが」
「いえ、それは申し訳ないです」

 借りたものはきちんと返さないと、そう言うと彼は目を細め楽しそうに口角を上げた。手短に礼を言って立ち上がり、私から上着を受け取る。迷彩柄のシャツの上から上着を羽織る姿をぼんやりと見ているとぐっと引っ張られ、バランスを崩してそのままソファへと倒れ込んだ。思わず閉じてしまっていた目をゆっくり開くと、僅か数センチの距離にある宝石のように美しくきらめく瞳と視線が交わった。

「…あの、は、離してください」
「何故ですか?」
「とてもその、近いので…あと私絶対重いです」
「…そんなに僕は軟弱に見えますか?君一人ぐらい余裕ですよ」
「そういうことではなく…!」

 手首を掴んだまま、もう片方の手がさらりと髪の毛の先をくるりと弄ぶ。擽ったさに身を捩ると動くなと言うように掴まれる力が僅かに強まった。男のひとがこんなに近くに居るだなんて家族以外初めてで、恥ずかしさやら緊張やらで心臓が煩く音を立てる。端正な顔立ちが目に入り、自分の顔が熱を帯びていくことが嫌でもわかった。

「緊張していますか?」
「…そりゃあそうですよ、綺麗な顔がこんなに近くにあるんですから」
「相変わらず正直な方ですね」
「自分に正直がモットーです」
「それは素晴らしい、正直に生きることは良いことです」

 グッと力が込められた手は離してくれる気配がない。逃げられる範囲内でギリギリまで顔を遠ざけて距離をとる。異国のひとの距離感なのだろうが、こうも近くでは心臓がもたない。先程よりもずっとマシになった距離感に安堵し、真っ直ぐに目の前にある鮮やかな色彩を見つめて問い掛けた。

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