あのことは当分ひみつ

 十代目のいないクラスには未だに馴れない。隣のクラスとはいえ普段そばに居られないというのはやはり不満だ。少し高い気温も相まっていつも以上に授業は気だるく、やる気なんてどこかに飛んで行ってしまった。次の時間はありがたいことに職員会議があるらしく自習らしい。睡眠時間に決定だな、なんて思っているとかさりとノートの端切れが机の隅に乗せられた。

「…なんだよ苗字」
「ふふ、あけてみて」

 前の席に座る苗字はこちらを見て楽しそうに笑うとすぐにくるりと姿勢を正した。女子はこういうひっそりとしたやりとりが不思議と好きだよな、と思いながらも仕方なく紙を開いてみる。そこには読みやすくきれいな文字の「次の時間、抜け出さない?いちごみるく飲みたい」という文と、いちごみるくと書かれたパックジュースのイラスト。優等生に見えて実は自由気ままなこいつらしい提案に少しだけ口角が上がる。

「おら、行くぞ」
「お、今日はノリがいいね獄寺くん」
「そういう気分なんだよ」
「そうこなくっちゃ」

 休み時間になると同時にがたりと席を立って振り向かずに声をかける。通りかかった廊下から十代目に軽く会釈をすると苗字もひらひらと手を振っていた。一階にある自販機まで行くと、苗字は早速目をキラキラと輝かせながらいちごみるくを買う。どうやら今日一日ずっと飲みたかったらしい。あんなに甘ったるいものがいいなんて変わったやつ。
 階段を登り少し重ための扉を開けるとぶわりと強めの風が通り抜ける。乱れた髪を気にせずに少し小走りで定位置のフェンス近くの段差に向かう後ろ姿が視界に映った。

「はあ…生き返る…」
「大げさな奴だな」
「そう?でも疲れた時には甘いもの、って言うでしょ?」
「んぐっ、おま、急にストロー突っ込むな!」
「へへ、私のお気に入りのお味はどう?」
「…甘ったりい」
「うーん残念!」

 そう言ってからりと笑う姿がなんだか眩しくて、日差しの眩しさのせいにして目を細めた。ついでにと買った缶コーヒーを開けて一口飲むといつもよりずっと苦味が強く感じる。さっきのいちごみるくのせいだ。次したらお前の苦手なブラックコーヒー、無理やりにでも飲ませてやる。
 ちびちびとお互い飲み進めながらたわいのない話は続く。不思議と会話は途切れなくて、たまに頬を撫でる風が心地よかった。気が付けば缶の中身は空っぽ。耳を掠めたチャイムの音で授業時間が終わるぐらい長い間居座ってしまっていたようだ。

「やべ、もうこんな時間かよ」
「わ、ほんとだ。思ったより居座っちゃった」
「これ絶対サボりだってばれてんぞ」
「仕方ない、気分悪くて保健室行ってました作戦にしますか」
「おいおい良いのかよ保健委員長サンよお」
「ふふ、これぞ特権ってやつよ獄寺くん」

 得意げに言うけれどそれ職権乱用だろ。呆れてため息をつくと、苗字は黙ってればバレないって!と言い、立ち上がって背伸びをひとつした。ずりいやつ。でもそのほうが俺にとっても都合はいいため黙っておく。あまり内申点とやらを下げられると呼び出しをくらって面倒なことになる、既に経験済みだ。

「ふたりだけの秘密、ってやつだね」

 人差し指を唇に当ててくしゃりと笑う。その姿はやっぱり眩しくて、また目を細めた。空を見上げると巨大な雲が太陽を覆っている。日差しがないのに眩しく思ってしまうだなんて、どうかしている。
 そう思うのに、鼻歌を歌いながら階段へと軽やかに動く足、風にふわりと揺られる髪、こちらを振り返り動かない俺をまっすぐに射抜く瞳から目が離せない。心臓が弾みだした音に気が付かないふりをしたかったのに、自然と染まっていく頬の色は誤魔化しようもなかった。
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