その声でなまえを呼んで

 飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。先日ようやく終わった大きな仕事を祝い、珍しくボンゴレの本部では宴会が行われていた。騒がしくはしゃぐ空気も楽しいけれど、少し疲れて外の空気を吸いたくなり、廊下からテラスへと出る。外は月がまあるく浮かんでいて、少しひんやりとした空気が心地良い。手すりに寄りかかり、深呼吸をすると気分が良くなった気がした。

「名前、こんな所にいたのか」
「わ、獄寺くん。…あの、これ」
「その格好だと冷えるだろ、着とけよ」
「…ありがとう」

 急に声を掛けられて驚いたけれど、視界に入ったその姿に頬が緩む。ぽすりと掛けられたスーツの上着は甘くてほろ苦い匂いがした。煙草の匂いと、いつも付けている香水の匂い。腕を通すと思ったよりもぶかぶかで、体格差に少し胸が高鳴る。彼も抜け出してきたのだろうか。

「綱吉くんたちのところには居なくて大丈夫?」
「十代目はリボーンさんからの提案で、跳ね馬と飲み比べでさせられてる」
「それは…大変そう…」
「師弟で話したい事もあるだろうから、少し抜けてきた」
「なるほど」

 そう言うと少しの間の沈黙を経て、手すりに寄りかかりながらこちらをじっと見つめる。翡翠のように煌く緑色の瞳が微かに潤み、私の姿を捉えていた。そのままこちらに手を伸ばしながら少しずつ、距離を詰められる。カツンとヒールと革靴の音が小さく響く。必然的に私は後ろに下がることになり、あまり大きくもないテラスの中であっという間に端まで詰められた。後ろに当たる壁が、掛けられた上着越しにひやりと触れる。

「獄寺くん…?」
「なんで、お前はずっと、」
「急に、どうしたの…気分でも悪い?」
「ちげえよ、」

 僅か数センチの距離で目が合う。とろけそうな程熱を帯びた瞳から目が離せない。どうして、そんなに慈しむような顔をしているのだろう。まるで、愛するひとに会えて浮かれているような顔。そんな期待してしまうような考えが脳裏をよぎり、小さく頭を横に振ってすぐに頭からかき消した。ゆるりと左手が頬を撫で、触り心地を楽しむかのようにふわりと包み込まれる。

「獄寺、くん」
「なあ、…名前、…俺のことも、いい加減名前で呼べよ」

 するりと身体を這う右手が擽ったくて身を捩るけれど逃れられず、出来ることは僅かに動くだけ。ゆるゆると動く手が扇情的で、意図せずに漏れた声に思わず両手で顔を覆う。けれども邪魔だと言うかのように手をすぐに退けられ、赤く熟れたように染まった顔も、涙が滲む瞳もばっちりと見られてしまった。

「ご、獄寺くん、近い、です」
「そんなことねェ」
「そんなことあるよ…!」

 私たちは恋人ではない。ただの中学からの同級生で、今は職場の同僚で、それだけの筈、なのに。こんな状況になるだなんて思ってもいなくて。思考がうまく回らない。また少し縮まる距離に、もう心臓が爆発してしまいそう。

「名前、…すきだ」
「え、…いま、なんて」

 そのままぷつりと糸が切れたように身体が倒れてきた。じわりと肩に当たる吐息が熱い。好きだ、などと言われるなんて思ってもいなくて、じわじわと頬だけでなく全身が火照っていく。なに、この状況。
 そしてようやく回り出した頭が答えを弾き出した。この男、確実に酒に酔っている。掛けてくれたジャケットからも、本人からもとても強くお酒の香りがしていた。この様子だと明日には覚えていないかもしれない。お酒の力で告白するなんて、ずるいひと。…私だって、ずっと好きなのに。
 明日もし覚えていなくたって確実に思い出させてやるんだから。そう意気込んでそっと背中に手を回し、きゅっとシャツの裾を握る。今はもう少しだけ、この体温を感じていたい。やっと貴方に触れられるのだから。肩の近くにある顔が、少しだけ嬉しそうに緩んだ気がした。
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