04:部活と委員会とシューベルト



 自分の名字や名前にこれといった思い入れを感じたことはない。名字でも名前でも、どちらでも好きに呼んでくれればいいと思っている。
 なのに木手くんに隣の席から呼びかけられると、自分の名字がなんだか特別なものになるような感じがするのが不思議だった。
 その理由が知りたいからだろうか。私は「木手くん」と呼びかける時、特に丁寧に響くように口にしてしまう。この謎が解けるのは、まだずっと先のことになりそうだった。



「何を見てるんです?」
 私の手元を覗き込んだ木手くんは「部活動一覧」と小さく読み上げた。今朝担任から「忘れてた」と手渡されたプリントだった。運動部と文化部。それぞれいくつかの名称と、簡単な紹介文が書かれている。文化部のところにあるこの「瞑想部」というのがものすごく気になる。この前案内してもらった時に「瞑想部屋」という見過ごせない表記を目にした記憶があった。あの時は結局聞きそびれてしまったのだ。
「まあ、文字通りの部活ですよ」
「なんとなくそんな気はしてた」
 体力的にも性格的にも、自分が運動部に向いていないことはわかっていた。
「入りたいんですか? 瞑想部」
「そういうわけじゃないけど」
 文芸部か読書部でもあったらちょっと興味があったんだけどね。私の言葉に木手くんは軽く頷いた。
「まあ別にうちは部活動強制じゃないですから」
「あ、そうなんだ。助かる」
「委員会は決めたんですか」
「そっちは決めた。図書委員」
 図書室を見学した時に勧誘されたからというのもある。図書委員は本のリクエストが通りやすいと囁かれ、その場で即決したのだった。
「評定委員会にすればよかったのに」
「あんまり聞いたことないけど、何する委員なの?」
「色々ですよ。……色々ね」
 木手くんが悪い顔をしている。
「もしかして木手くん評定委員?」
「そうですよ。あなたが入ればこの前からの貸しにこき使ってやろうと思ったのに」
 本気で残念そうに言う。それ、本人に告げていいやつなのかな……。
「いいやつですよ」
 確かに私は木手くんに色々とお世話になっているので、その恩返しをするのはやぶさかではない。もう図書委員にしますと先生に言ってしまったけれど、今からでも委員会って変えられるのかな。
「別にそこまでしなくてもいいです」
「そう? まだ間に合うと思うよ?」
「俺の手先になりたいなら、来年俺が評定委員長になってからにしなさい」
「手先って」
「それからでも遅くはないですから」
「ねえ、手先って」
 ほんとに何をする委員なんだ。評定委員会。



 評定委員会の謎が解けないまま数日後。図書委員の仕事中、木手くんの役に立てるかもしれない情報を手に入れた。浮足立った私は、翌朝さっそく隣の席に話しかけた。
「木手くん、木手くん」
「おはようございます。機嫌がよさそうですね」
「おはよう。あのね、いいこと教えてあげる」
 秘密をそっと打ち明けるかのように声をひそめる。ついでにちょっと身もかがめた。別に誰かに聞かれたところで困る話でもないのだけれど、木手くんも私に合わせて体勢を低くしてくれて、付き合いがいいなあと思ったのは秘密だ。
「実はなんと我が比嘉中の図書室の、視聴覚コーナーがリニューアルされました!」
「はあ」
 リアクションが薄い。まあ確かにこれだけでは木手くんにはあまり関係のなさそうな情報だし、この反応も頷ける。しかしそんなことで私はめげないので、続けて木手くんに情報公開をしてゆく。
「CDの種類が増えたんだよ。クラシックも」
「そうなんですね」
「なんとシューベルトもあります!」
「ああ、それで」
 ようやく納得したといった様子で、木手くんは頷いた。彼がシューベルトの音楽を好んで聴いているという情報はリサーチ済だった。音楽の授業でも使うということで、今までもそれなりの枚数が揃っていたのだが、この度のリニューアルを機に一気に枚数が増えたのだった。以前私が釣られた、図書委員のリクエスト優先権を使ったのは言うまでもない。
「いつでも借りに来てね」
「そうさせてもらいます。けど……」
「けど?」
 怪訝な表情を浮かべたまま、木手くんは軽く首を傾げた。
「どうして俺がシューベルトを好きだと知っているんです?」
「そ、れは」
 しまった。何も考えずに発言した、数分前の自分を恨むが今更取り返しがつくはずもない。なんとシューベルトもあります! じゃないよ。全力のドヤ顔を披露したのがとても気まずい。だって、その情報源って。
「その……諸事情で」
「それで俺が納得すると思います?」
「思わないです……」
 しおしおとしおれつつ、仕方がないので白状した。どことなく小声になってしまうのは許してほしい。
「この前、木手くんがテニス部の子たちとそんなような話をしてるのを聞いちゃって」
 音楽の教科書を持っていたから、移動教室の帰りだったような記憶がある。廊下で別のクラスの生徒に声をかけられた木手くんは、ちょうど私の後ろを歩いていた。木手くんの声は私の耳によく響く。会話の内容を聞いてしまうのはいけない気がして、距離を取ろうとしたのだが何しろ脚の長さが絶望的に違う。早歩きを試みたらちょうど速度が噛み合ってしまって、会話の内容が丸聞こえだったというか。つまり、だから。
「あの、ごめんね……」
 大変気まずい。私の自白を、木手くんはどう思っただろうか。逸らしていた視線をそっと木手くんの方へと向ける。
「別に謝ることじゃないですけどね」
「でもなんか、盗み聞きみたいっていうか」
「廊下で話している時点で隠すようなことでもないですし。あなたに聞かれて困るようなものでもない」
 多分これはきっと、へこむ私をフォローしてくれているのだと思った。眼鏡の向こうの瞳が、若干だけど細められた。
「律儀な方ですねぇ」
 吐息が漏れるみたいにして笑う。自分が笑われているのに、ほっとするのはどうしてだろうか。
「それでわざわざ知らせてくれたんですか」
「うん」
 今度は素直に頷いた。
「俺が好きだから?」
「す、ッ!?」
 今度は頷けるわけがなかった。
 言葉を失った私が、口を開けたり閉じたりするのを見て、木手くんの表情がさっと変わる。
「あ、いえ。違います。俺が、シューベルトを、です」
 彼の言葉を理解するのに、しばらくの時間が必要だっだ。理解するにつれて、今更のように顔面すべてに熱が集まっていくのを感じた。
「あ、う、」
「……すみません、まぎらわしいことを言いました」
 いつも私をまっすぐ見据える木手くんの瞳が、珍しく逸らされた。正直助かる。だって、どんな顔をしたらいいかわからないから。
 どんな顔をしたらいいかもわからないし、なんて答えたらいいのかもわからない。別にいいよ、は違う気がする。
「ううん。あの、私もまぎらわしい反応を……」
 頬にあてた左手がすごく冷たい。多分、手が冷たいわけじゃないんだろうけど。
 そこから先は二人揃って無言になってしまって、気まずい雰囲気がその場を支配した。早くチャイムが鳴ってほしい。朝のホームルームまでのあと数分間、私は身体の左半分に感じるもの言いたげな気配に耐え忍ぶことになったのだった。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -