02:転校初日の落とし穴



 いつかまた会うことになるとは思っていたけれど、再会は想像よりも早くやってきた。具体的に言うと、転校初日。
「ありがとうね木手くん。案内頼んじゃってよかったのかな」
「別に構いませんよ」
 平然と答える木手永四郎くん――数日前に会った時と同じく、口調は素っ気ないままで――と並んで廊下を歩く。なんでこんなことになったんだっけ。



 今朝教室に足を踏み入れて、ずらりと並んだ数十人のクラスメイトに緊張するよりも早く、私の目は一点に吸い寄せられた。一番後ろの窓際の席。アンダーリムの眼鏡が光ったように見えたのは私の気のせいか、それとも。
 つい先日会ったばかりの男の子がそこにいた。
 転校生として無難な挨拶を済ませた私は、予想通り木手くんの隣の席へ座るようにと言われたのだった。
 なんとなくそんな気はしていた。だって窓際の隣の隣、つまり木手くんの隣だけが空いていたので。そのせいで緊張どころではなくなったというのもある。黒板の前に一人立たされるという状況でも、すんなりと挨拶を終えることができてよかった、と思うことにしよう。
「よろしくお願いしますね」
「……」
「何か?」
「ううん。こちらこそよろしくね」
 朝のホームルームが終わってすぐ、まるであの時何もなかったみたいに、木手くんは初対面の転校生に対する完璧な受け答えをしてみせた。完璧じゃない点はひとつだけ。私は既に木手くんと顔見知りのつもりでいたから、なんとなく肩すかしを食らったような気持ちになったというだけだ。
「……なんで笑うの」
 ちゃんと私だって、ちゃんと転校生らしい挨拶をしたというのに。
「あなたが物足りなそうな顔をしていたもので」
「そんな顔……したかもしれないけど」
「すみません。ちゃんと覚えてますよ。お詫びに、困ったことがあれば俺に言いなさいよ」
 私をからかって満足したらしい。納得いかないような気もするけれど、木手くんの言葉は確かにありがたかったので、私は素直に頷いた。
「ありがと……木手くん、眼鏡なのに席が後ろなんだね」
 比嘉中の席替えのシステムはわからないけれど、普通目の悪い生徒は自己申告して前方席に座ることが多い。目が悪くても前の席は嫌だといって、後ろの席に座る子も多かったけれども。私もどちらかといえばそのタイプだ。
「矯正視力は問題ないです。あなたまさか目が悪いんですか? コンタクト?」
 訝しげに眉をひそめる木手くん。瞳の中をのぞき込むようにされて思わずどきどきした。
「普段は裸眼。授業中だけ眼鏡かけるよ」
 わざわざ申告して前に移動するほどの視力ではない。後ろの席の方が落ち着くし。そう答えると木手くんは「そうですか。ならいいですけど」と一人頷いている。
「ああそうだ」
 授業の準備をしながら、木手くんはこちらに目線をよこした。
「昼食を終えたら俺についてきなさい」



 木手くんと既に出会っていなければ、転校初日に不良に呼び出されたと震えたと思う。しかしながら、私は既に木手くんの人となりを少しとはいえ理解している。彼がそんなことをするはずもないと思ったので、おとなしくついていくことにした。そして実際木手くんの目的は「校内を案内します」だったわけだ。
 そして冒頭の、
「ありがとうね木手くん。案内頼んじゃってよかったのかな」
「別に構いませんよ」
 という会話になったというわけだった。
 普通こういうのって同性の学級委員とかが引き受けてくれるもの、というイメージがあったのだけれども。
「他に用事があるそうですよ」
 なるほど、と頷く。自分の中の記憶を掘り起こすと、確かに転校生の案内は周囲のクラスメイトが適当に声をかけていたこともあった。私の場合は他の人と会話をするまでもなく木手くんが引き受けてくれたわけだけど。それとも木手くんも学級委員なのかな。不意にそんな疑問が湧いたけれど、結局聞きそびれてしまった。それよりももっと気になることがあったからだ。
「ねぇ……聞いてもいい?」
「構いませんよ」
「これ何……?」
 案内されながら、ずっと手に持っていた学校案内のパンフレットを開く。この前転校手続きと簡単な学校見学を済ませた時に渡されて、中を読んだ時からずっとずっとずっと気になっていたのだ。学校の敷地の見取り図や簡素な地図なんかと一緒に、当たり前のように記載されていた「それ」。
「カラクリ渡り通路って何!?」
 比嘉中学校には校舎から資料室へと続く道中に、落とし穴があるらしい。何でだよ。
「カラクリ渡り通路はカラクリ渡り通路ですけど……?」
「怪訝な顔をしないでほしい」
 私がおかしなことを聞いてるみたいな気持ちになってくる。どうして中学校に落とし穴があるのかが知りたい。そしてそれを避けるためにわざわざ二階に渡り廊下を作った理由も。少なくとも私の転校前の中学校にそんなものはなかった。あったとしたってせいぜいピロティくらいのものである。それだって決して落とし穴を避けるためのものじゃない。
「ちょうどここの下辺りですよ」
 ほら、と窓に寄った木手くんは下を指さす。
 私も窓から顔を出して下をのぞき込むようにすると、何の変哲もないただの地面がそこにあった。
「ただの地面みたいでしょう?」
 私の頭の中を読んだみたいに木手くんは言う。
「誰も通ってないね」
 昼休みなんて、校舎のどこにだって人がいそうなものだけれど、そこには誰もいなかった。
「普通に通ると落ちますからね」
「落とし穴じゃん!」
「落とし穴ですよ?」
 だからそこで不思議そうな顔をされると、私がおかしなことを言ったみたいな空気になるんだけど。
「激しく着地しないように、素早く渡ると落ちないようにできているんです。油断すると落ちますけど」
「やっぱり落ちるんだね……」
「落ちないように渡ればいいんですよ」
 そんな、空を飛んだら空を飛べますみたいなことを言わないでほしい。聞けば身体を鍛えるための一環だとかで、私はいよいよ混乱する。沖縄がおかしいのか、比嘉中がおかしいのか、木手くんがおかしいのか、私がおかしいのかの四択だと思った。
「深さは10メートルあるのでね。気をつけなさいよ
「この学校は生徒を殺しにかかってるの?」
「今のところ死人が出たという話は耳に入ってきませんねぇ」
 木手くんの耳に入ってないだけで、年間何人か消えてそうだと思った。10メートルの高さを落ちていく自分を想像するだけで恐ろしい。
「俺から離れず歩けば痛い目にはあいませんよ。校内のどこでもね」
 そういうことじゃないんだけど、私は何も言えなくなった。だってなんだか、木手くんのその言葉がかっこよく聞こえてしまったのである。俺から離れず、とか。例えそれが落とし穴に落ちないためだとしても。
「まあ俺は基本的に下の通路を使いますけど」
「じゃあ駄目じゃない」
 なぜわざわざ危険を犯してまで……。
「あなたがいる時は、ちゃんとこっちの渡り廊下を歩いてあげますよ」
「……うん」
 言ってることはわりとめちゃくちゃなのに。なんでこんなに、いちいちどきどきさせられるんだろう。多分木手くんの声がよくない。耳の奥までなんだか響く。低くて甘くて、頭の芯がしびれそうだった。
 こんな調子で身がもつだろうか。
 転校初日にして、人生初めてのこんな悩みを抱えることになるなんて思わなかった。
 小さくため息をついた私を見て、木手くんは不思議そうに首をかしげていた。

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