15:避難訓練の夜



 おさないかけないしゃべらない。あと「もどらない」もだっけ。
 昔避難訓練の度に先生から教わっていた呪文を頭の中で繰り返した。今日はその避難訓練である。
 朝からなんとなくそわそわしてしまって、木手くんに早速呆れられた。
「落ち着きがないですねえ」
「こういうの、非日常って感じがしてドキドキする」
「非日常に興奮するタイプなんですか?」
 日常生活で私をドキドキさせてばかりの男の子が言った。確かに木手くんとなら非日常でも興奮するだろうけど、彼が言っているのは多分そういうことじゃないのだろう。
「昔ね、上履きで外に出ていいっていうのがちょっと楽しかったんだよね」
「子供じゃないんですから」
「その時は子供だったからいいの」
「その時は、ねえ」
 やたらと「は」を強調する木手くんをスルーして話を続ける。
 小学生の私にとって、上履きのまま外に出るのは大罪だった。見つかった瞬間先生に言いつけられて何もかもが終わる。それが堂々と許される数少ない機会だったから、整列しながら校庭を目指す足取りも落ち着かなかったというか。
「でもね、放課後の掃除がものすごく大変だったんだよ」
 終わった後に雑巾で上履きの裏を拭くのも嫌いだった。汚れたままでいるわけにはいかないから仕方ないのだけれど、雑巾が瞬く間にざりざりに汚れていくのも、それを何度も洗い直すのも嫌だった。
「今日もあれやるのかなあ。比嘉中の避難訓練って何か特別だったりしない?」
「しないと思いますけど」
「比嘉中なのに?」
「あなた比嘉中を何だと思ってるんですか?」
 転校初日のインパクトが強すぎたせいだ。私の知る限り、校内に落とし穴や開かずの地下室や独房のある中学校はここだけである。
「いいですけどね。訓練とはいえ油断するんじゃありませんよ」
 万が一があるんですからね、と重ねて言い聞かせる木手くんは先生みたいだ。私が真面目な顔をして頷くのを見て、木手くんも納得したように頷き返してくれる。
「いつも思うんですけど、あなた本当に俺の言うことよく聞きますねぇ」
 言われて初めて気がついた……ということはない。既に自覚済みである。
「私が言うこと聞くと木手くんがちょっと笑って頷いてくれるのが好きなの」
 よくできましたと言われているみたいで。これではまるで飼いならされているようだったけれど、当たらずとも遠からずというのは多分こういう時に使う言葉だ。
「…………本当にそろそろいい加減にしなさいよ」
「ごめん?」
「別に謝ってほしいわけじゃないですし、実際にはそこまでやめてほしいわけでもないんですよ」
 木手くんはたまによくわからないことを言う。
「複雑な男心だと思っておきなさい」
 よくわからないけど、そう思っておくことにした。やはり私は木手くんに命じられると弱い。
 木手くんは深くため息をつきながら、視線を窓の外にやる。つられて私もそちらを見ると、朝家を出る時にはよく晴れていた空が、少しずつ曇ってきていた。
「ちょっと怪しくなってきましたね……降るかもしれませんよ」
 木手くんのこの予想は、数時間後に的中することになる。



「皆さん! 落ち着いて避難してください!」
 よく通る声が廊下に響いていた。
 誰のものかは言うまでもなく、木手くんは廊下の端に立って生徒たちを誘導しながら声を張り上げている。
 これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。
 避難訓練当日にこの島を襲った台風が、見事なまでに直撃していた。

 沖縄は本土よりも台風が多いと聞いていた。それでもこの規模はなかなかないレベルだそうで、周囲のクラスメイトの不安そうな空気に、私はしっかり飲まれた。
 昼休みを終えて午後の授業が始まる頃には雨が落ちてきて、生ぬるく湿った風がどんどん強くなっていく。五時間目の授業を始めようとしていた先生も「これはちょっと」と表情を曇らせていた。隣のクラスから別の先生もやって来て、生徒たちを帰らせるかどうかの相談を始めていた。
 結局のところ先生たちだけでは判断がつかず、職員室へ行ってくると言い残して去っていく後ろ姿を、私達は見送ることしかできなかった。
 後に残されたのは不安そうな表情を浮かべた数十人の生徒たちである。もちろん私もその一人だ。例外は私の左隣にいる彼くらいのものである。
「……大丈夫ですよ」
 いつもと変わらない様子なのに、いつもより優しい声が響いた。私はそんなに情けない顔をしていたのだろうか。
 木手くんの声の効果は絶大で、私はようやく周囲を観察する余裕を取り戻す。
「だってあのヤシの木、すごいしなり方してるよ」
 指差したずっと向こう、校庭の端に並んで植えられているヤシの木は、何だかもうぎりぎりの状態に見える。大粒の雨はばちばちと窓ガラスを叩いていたし、この風に煽られたらひとたまりもない。
「飛んでくるかも」
「ここまでは届きませんし、万が一届いて窓が割れてもガラスに当たるのはあなたじゃなくて窓際の俺ですから平気ですよ」
「ちっとも平気じゃない!」
 むしろ木手くんにガラス片が降り注ぐ方が心配だった。私の声に呼応するかのように、天井の電灯がちかちかと点滅する。電力が不安定になっているのだと思った。いつも私達を炙る勢いで照らしつける太陽はすっかり暗い雲に包まれて、廊下などもうほとんど夜みたいな有様だった。この状況で暗闇に包まれるのはちょっと、いやかなり勘弁してほしい。
「大丈夫ですよ」
 先程と同じ言葉を木手くんが繰り返す。
 何の根拠もなかったけれど、その声は私の心を少しだけ落ち着かせる。いつもと同じだった。
「木手くんがいてくれるから?」
「そう思ってなさい」
 吐息混じりの笑い方は、いつも私を安堵させてくれるものだ。木手くんの声は落ち着くし、逆に私を落ち着かない気分にもさせる。今のは前者だ。私を宥めて安心させようとしているのだとわかった。
 教室の前、黒板の上に時計と並んで壁に取り付けられているスピーカーが突然音を立てた。さっきまでざわついていた教室の中がしんと静まり返って、放送の内容を聞き漏らさないようにみんな集中したのがわかる。
「――本日は休校になりました。生徒の皆さんは先生の指示に従ってすみやかに」
 聞こえたのはそこまでだった。
 点滅を繰り返していた蛍光灯が突然消えた。それと同時にスピーカーの音も。
 一瞬の間があいて、教室にざわめきが戻る。女子の小さな悲鳴まじりの声も。教室の中は薄闇に包まれていた。まだかろうじて辺りの様子は窺えたけれど、もうすぐきっとそれもわからなくなる。どうする? どうしよう。そんな声があちこちから聞こえてきた。
 停電からの復帰を待つか、先生が明かりを持ってきてくれるのを待つか。でもこんな時にこの人数を抱えて、懐中電灯ひとつで何ができるだろう。
 ぐるぐると頭の中で考えていたら、隣の席で立ち上がる気配がした。見上げるとやはり木手くんは教室の喧騒の中立ち上がり、私の耳元で小さく「大丈夫ですから」と今日何度目かの台詞を口にした。左肩に乗せられた手のひらに一瞬だけ力がこもる。
「大丈夫ですから、ここにいて」
 それだけ言い残して、木手くんは迷いのない足取りで教室の前へと進む。薄暗い中、それを苦にせず黒板の前にたどり着いた木手くんは、拳を作ってノックするみたいに黒板を叩いた。
 その音は不安とざわめきに支配されかかっていた教室の中に響き渡って、一瞬で全員が木手くんに注目した。教室を見回してみんなが静かになったのを確認すると、木手くんは小さく頷く。そしておもむろに口を開いた。
「落ち着いて廊下に出て。この天候で校庭に避難するのは無理でしょうから、体育館に向かいましょう。あちらなら校舎とは別の電源が生きています。まだ周囲が見えている内に移動した方がいい」
 冷静な声だった。それを聞いたみんなは小さく頷きながらノートをしまったり、鞄を手にして立ち上がり始めている。私もとりあえず帰り支度だけはしておいた。立ち上がらなかったのは先程の木手くんの「ここにいて」の言葉があったからだ。おとなしく座ったまま教室の前に目をやると、ちょうどこちらを見た木手くんと目が合った。軽く頷いたので、おそらくそのままでいろということなのだろう。
「いいですね。走らないで、落ち着いて行動してくださいよ」
 木手くんの言葉に促されながら、クラスのみんなは廊下へと出ていく。廊下に出た木手くんはみんなを誘導しながら周囲を見回していた。
「――甲斐くん! 平古場くん!」
 やがて目的の人物を見つけ出したのか、木手くんは声を張り上げた。それにすぐさま駆け寄った二人は、別のクラスから様子を窺っていたようだ。
「田仁志くんと知念くんと不知火くんのクラスへ行って、体育館へ誘導するように伝えてください。あなた達のクラスの方もお願いします。やれますね?」
 頷いた二人がそれぞれ散ってからしばらくして、他のクラスからも生徒が移動し始めたようだった。廊下からは木手くんだけじゃなくて、テニス部のみんなの声も聞こえる。
 席に座ったまま移動しようとしない私を何人かが不思議そうに振り返った。けれどみんな廊下の木手くんに促されるまま避難して、気づけば教室に残っているのは私だけになっている。
 電灯の消えた教室の中は薄暗くて、外は暴風雨で荒れ狂っていた。なのに私が落ち着いて座っていられたのは、木手くんの「大丈夫」があったからだ。
 窓ガラスにあたる大粒の雨は、既に粒どころか滝のようになっていた。それを見つめながらゆっくりと机にもたれかかる。つめたくて、湿度のせいか少し湿っていた。ひやりとした木の感触が、火照った頬を冷やしていく。この状況に少なからず動揺していた頭まで、冷ましてくれるみたいだった。
「……まさか寝てるんじゃないでしょうね」
 雨と風の音ばかりが存在していた教室に、聞き慣れた声が響いた。
「よかった。来てくれた」
 言いながら身を起こした私は、予想通りの人がそこにいたのを見て表情を緩めた。別に置いていかれるとは思っていなかったけど、戻ってきてくれた、そう思って。
「待てと言ったまま置いていくわけないでしょう。ハチ公じゃあるまいし」
「あれ飼い主死んじゃうからやだ」
「やだと言われても困りますよ」
「私を置いて死んじゃうくらいなら困ったままで生きててほしい」
「死にませんよ縁起でもない。ものの例えですから流しなさい適当に」
 非日常の空間での、日常の軽口だった。誰もいなくなった教室でこうして話していると、外の世界の荒れ模様が嘘みたいに思える。
「俺たちもそろそろ行きましょうか」
「うん――あ、懐中電灯あったんだね」
 木手くんの手元でカチカチとスイッチを切り替えられていたそれに目をやると、先生から預かりましたという答えが返ってきた。どうやら職員室の先生たちもこの事態に気づいてくれたようで、体育館で集まった生徒たちの対応をしているようだった。
「知念くんが理科室からアルコールランプを持ってきて並べると言っていたんですがね。流石に手間がかかりすぎるので止めました」
「アロマキャンドルみたいで雰囲気出そう」
「カジフチの中で雰囲気出してどうするんですか」
「かじふち?」
「台風です。まさか避難訓練当日に遭遇するとは思いませんでしたよ」
「木手くんにも予想できないことがあるんだね」
 考えてみれば当然なんだけど、私はよく木手くんなら何でもできるんじゃないかなという錯覚に陥る。
「気象予報士じゃあるまいし」
 木手くんの呆れた声が今日も心地いい。仕方のない人ですねって言われながら、庇護されているような気持ちになるから不思議だった。
「体育館に集まった後ってどうするの?」
「点呼をとって各自帰宅です。親御さんが迎えに来られる人はそうしてもらっているみたいですよ。あなたは?」
 言われて初めてスマホの存在を思い出した。取り出して確認してみても母からの連絡はない。おそらく仕事中だし、少なくともしばらく迎えに来るのは無理だろうと思ったのでそう言った。
「帰っても一人なら、学校に残っていた方がいいかもしれませんね」
 一応置き傘はあるけど、この天候の中で役に立つとも思えない。教科書やノートは全部置いて、濡れるの上等で帰るにしてももう少し風雨が収まってくれるのを待ちたいところではあった。
「木手くんの家は?」
「この天候なら親が迎えに行って妹も帰ってるでしょうね。でもまだ残りますよ」
「どうして?」
「……それ本気で言ってます?」
 半眼の木手くんが私を見下ろす。一瞬にして様々なあれこれを理解した私は、自分の頬がたちまち熱をもつのがわかった。
「私が帰れないから一緒にいてくれるんだよね。優しい……ありがと、嬉しい。木手くんがいてくれたら安心だもんね」
 木手くんの優しさはこういう時にはわりと直球だ。それに包まれると私は途端にふわふわする。周囲の空気とか頭とかが。
「あなたのそれ」
「どれ?」
「思っていることを片っ端から口に出すやつです」
「駄目……じゃないって前に言ってたっけ」
「そうです。駄目じゃないです。俺に対して何か思ったら包み隠さず教えなさい。ただですね……その」
 木手くんが口ごもるのは珍しい。いつもはっきりと物事を言う人だからだ。突き放すような口調で包み込むようなことを言うから、最初の内はどうしていいかわからなかった。最近はそういうものなんだなと理解できるようになったからよかったと思う。
「最近それへの耐性が弱くなってるんですよ」
「耐性」
「人のいる場所では出来ればやめてくださいという話です。取り繕えなくなりそうなので」
 口元を押さえて天井の隅の方を見つめる木手くんの表情は、暗くてよく見えない。それが少し残念だと思った。
「今はいい?」
「まあ……構いませんけど」
 何か言いたいことがあるんですかと木手くんは言った。改めて言われると、色々あるはずなのにぱっと出てこない。
「いつも優しくしてくれてありがとうとか、今日も木手くんのおかげで怖くなかったとか、一緒にいてくれると安心できるとか、たまに意地悪言うけど最近それがないと何か調子が出ないっていうか……もっと色々あるんだけどね、あとは」
 思いつくままに挙げていった言葉の数々は、強制的に終了させられた。私の肩をつよく掴んだ木手くんの左手によって。
「木手くん?」
「俺の照れと羞恥の許容量にも限度というものがあるんですよ!」
 暗闇でもわかる程度に木手くんの顔は赤い。照れているのと荒げる声と、その両方が珍しくてつい表情が緩んだ。強めに肩を押されたのは多分木手くんなりの抗議なのだと思う。
「……その濁流みたいなあれこれを、一言で表せたりはしないんですか」
 不意に木手くんの表情が歪む。縋るような声だった。
 私が木手くんについて思うたくさんのこと。それをまとめて一言にしようとするならば、それは。
 頭の中でひとつに集約していくものがある。形にして言葉にして、告げたら全部それで終わる。だけど私は、木手くんがそれを望むなら。
「私……私は、」
 喉が鳴ったのは、果たしてどちらの音か。それすらわからないほどの緊張感を、電子音が切り裂いた。
「……はあ。出た方がいいですよ、それ」
 ため息と同時に、張り詰めた空気が弛緩した。音の正体は言わずもがな私のスマホからで、光る画面には「母」の文字が表示されている。
 二、三言の会話で電話は切れた。驚くほどあっさりと。
「これから迎えにくるって」
「よかったですね。なら点呼に行きましょうか……なんですかその顔」
 苦笑を浮かべる木手くんは、いつの間にか普段通りに戻ってしまっている。さっきまでの雰囲気はどこかへ行ってしまって、今更私が何を言おうとしてもだめなんだと思った。
「すみません。俺が焦りすぎました」
「木手くんが謝ることなんて、何も」
 私がもっと思っていることをきちんとまとめて言葉にできたらよかったのに。全部書き出したらきっと何万文字あっても足りない言葉を、一言にできたら。
「いいんですよ。あなたのその言葉の数々を浴びるのが俺だけだと思えば、その方がいいです」
 なのに今日も私は木手くんの優しさに甘えて口をつぐむ。こくりと無言で頷く私を促して、木手くんは体育館へ向かおうと歩き出した。
「あのね、木手くんの家まで送っていくって」
 母に「一緒に待っていてくれた子がいる」と伝えたらそう言われたのだ。けれど木手くんはゆるく首を振った。
「俺なら大丈夫ですよ。遠回りになりますから」
 こんな天候だから、早く帰った方がいいと木手くんは言う。その言葉は確かに正しかったかもしれないけれど、今の私には正しさよりも優先したいものがある。
「でも、さっき変な感じになっちゃったから、もうちょっと一緒にいたい……」
 私の隣で歩幅をあわせてくれていた木手くんの足が止まる。きゅ、と上履きの底が音を立てた。
「木手くん?」
 無言のまま立ち止まる彼を見上げようとすると、両目を手のひらで塞がれた。触れるか触れないかの感覚に思わず身を震わせると、低くうめくような声が聞こえた。
「正直なのもいい加減にしなさいよ……!」
 包み隠さず教えろと言ったその口で怒られた。
 でも多分これは怒られた方が嬉しいやつだと思ったので、私は甘んじて受け入れることにする。



 台風一過。
 いつの間にか台風一家と勘違いしなくなってから数年経っていた私は、見事なまでの青空と太陽を享受していた。
 この辺り一帯を直撃した台風は思っていたより被害も出さずに通過して、翌日は朝から登校することができた。教室で会った木手くんは、私の少しぎこちない「おはよう」にもいつもと同じ調子で「おはようございます」を返してくれたし、その後もいつもと同じように接してくれた。あのままおかしな状態が続いたら私の心が折れてしまうと思ったから、密かに私は胸を撫で下ろしたのは秘密だ。
 ――そんな風にして日常を取り戻してから数日、今朝の全校集会を前にして、私は一人緊張していた。
「あなたが緊張してどうするんですか」
「だって!」
 私の隣の席で呆れた様子の木手永四郎くん。彼がこれから表彰されるというのだ。それも、全校生徒の前で。
 この前の台風で生徒を冷静に避難誘導したからというのが表彰の理由だった。確かにあの時の木手くんはすごかった。木手くんはいつもすごいけど。別に私は何もしていないからすごくないのに、なぜか誇らしい気持ちになった。
「おめでとう木手くん……!」
「まだ表彰される前ですけどね。ほら、行きますよ」
 体育館に向かう生徒たちに紛れて、私達も教室を後にした。



「……で、何で今度は不機嫌なんですか。あなたの情緒どうなってるんです?」
「別に不機嫌じゃない……」
 我ながら、心の底から拗ね倒している声が出た。
 全校集会を終えて、木手くんの晴れ姿も見た。表彰される木手くんは真面目な顔と綺麗な姿勢で壇上にあがって、それを見ている私は当然視線を吸い寄せられてしまっていたわけだけれども。
「ほら、賞状ですよ」
「おめでと……」
「そんなに心がこもらないお祝いってあります?」
 木手くんへのおめでとうの気持ちがないわけじゃない。その気持ちがうまく声に乗らないだけで。先程からずっと目を合わせないようにしている私にしびれを切らしたのか、木手くんが静かに「こっちを見て」と囁いた。見なさい、じゃなくて。私はもう命令形じゃなくても木手くんの言葉に逆らえない。それがわかったのはおずおずと見上げた先で木手くんと目が合った瞬間だった。
「何があったか言えますね?」
 諭すみたいな声だった。そんな言い方をされてしまったら、もう私はだめだった。
「……集会でね、」
 それで私はぽつりぽつりと白状した。
 ――木手くんが壇上にいる姿はとにかく目を惹いた。私が木手くんのことをいつも見ているからというだけじゃないと思う。だって周囲の女子が囁く声が、私の耳に聞こえてきたからだ。
「――木手ちょっとかっこよくない?」
 ひそひそと交わされる会話に、私の身体は完全に固まった。木手くんをかっこいいと褒める言葉。それに同調する言葉も。
 多分今までの私なら「わかるー!」と全力で同意した。もしかしたら会話に混ざってしまったかもしれない。だって木手くんはかっこいい。そして木手くんが褒められているのは嬉しい。だからその時もそうなると思ったのに。
 実際の私は彼女たちの言葉が頭をぐるぐる回って、壇上から降りてくる木手くんと目が合っても、ぎこちない表情を浮かべることしかできなかった。
「今うちらと目合った?」
 周囲のひそひそ声が更に私を打ち砕いた。
 ――それから私はずっと立ち直れないでいる。
「…………言いたいことがあるなら遠慮しないで言えばいいと思う」
 拗ね倒したままの私の声が静かに響いた。もうずっと私はこんな声だ。だってもう木手くんの表情といったら。
「あなたがそんなにわかりやすく思い切り全力で嫉妬してるのが珍しくて驚いたんですけど、今ものすごく気分がいいです」
「遠慮してよ!」
 私の半泣きの声がその場に響く。恥ずかしい。死んでしまう。
「そうですか。俺がモテるのが気に入らないんですか。ふぅん。そうですか……」
 やれやれなんて言いながら、口角が上がりっぱなしの木手くんはもうこの件で私をいじくり回すと決めたらしい。
「この前のお返しですよ」
 私が一体何をしたというのか。
 そこからしばらく木手くんの羞恥責めは続いて、私のメンタルは削れ放題だったのである。もうズタボロになった私の耳元で、最後に木手くんは言った。
「安心しなさいよ。他の人になびく気はないのでね」
 その言葉の意味を理解する前に、木手くんは去っていってしまった。
 残された私が机に倒れ伏すのを見て、楽しそうに笑いながら。

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