13:虚像に体温はない



 別に、資料室で写真を見たからじゃない。と思う。
 私の知らない木手くんとは、写真の中で会うしかない。いつだったか髪を下ろしたところが見てみたいなとねだったら「恥ずかしいので嫌です」と断られてしまった。海に入っても髪型が崩れないというのだから、普段の学校生活では不可能だろう。修学旅行を狙えばいけるだろうか。私の密かな野望である。
 過去はともかく、現在の木手くんとは写真で会えない。別に現物に会えるからいいじゃないですか。木手くんに聞かれたらきっとそう返ってくるに違いなかった。確かにそう。そうなんだけど――それはそれとして写真もほしい。
 私のスマホのロック画面もホーム画面も、沖縄の海と空だ。夕暮れのグラデーションが綺麗だったから撮った。これに不満があるわけじゃないけど、そして実際手に入ったところで壁紙に設定できるわけもないんだけど、アルバムのフォルダの奥底に一枚くらい、秘密を隠していてもいいような気がするのだ。許されたい。
 そんなことを考えたまま、もう数日が経つ。
 何も一人で悶々と考えなくたって、本人に一言聞けばいいのに。頼んだらもしかしたら「構いませんけど」といつもの調子で頷いてくれるかもしれなかったし「嫌ですけど」と言われたら流石に諦めがつく。あっ後者の想像がリアルすぎてつらい。別に本人に言われたわけじゃないのに。木手くんだって勝手につらくなられても困ると思う。
 言い出せない原因はもうひとつあった。
 理由を尋ねられたら困るからだ。
「どうして俺の写真が欲しいんです?」
 当然のようなその疑問に、今の私は答える術をもたない。
 よし。諦めよう。
 諦めがいいのが私の唯一の処世術だった。そう結論づけてしまえば気持ちも楽になる。握りしめたままだったスマホをポケットに入れて、私は次の授業の準備に取り掛かった。



 しかしながら神様は、時に人の諦めを悪くさせる。
 昼休みに菓子パンを頬張っているのを目撃されて、
「……」
「視線が痛いよ木手くん」
「ゴーヤの克服はどうしたんですか」
「ゴーヤづくしはまだちょっと早いと思うの……」
 食堂のメニューでゴーヤづくしDXを選択しなかったのをなじられた後のことだ。ちなみに明日はゴーヤの小鉢を食べますと約束もした。木手くんは一応頷いてくれたので助かったと思った。命が。
 そんな風に私が命拾いして食堂で別れた後で、再び木手くんを見かけた。
 さっきゴーヤの話をしたせいか、何となくテニス部の部室裏のゴーヤ畑が気になったのだ。教室に戻る前にちょっと見に行こうかなと思った。元気に育っていたら木手くんも喜んでいるだろうし。何しろあのゴーヤたちは木手くん直々に水をもらっている。謎のライバル心を燃やしてしまうのも仕方のないことだろう。別に私は、木手くんに水をかけられたいわけじゃないけれども。
 自分が何かを育てるのは、多分向いていないんだろうなと思った。木手くんはたぶん、愛情をかけるのが上手だ。木手くんはゴーヤだけじゃなくてインコも飼っていると聞いた。畑のゴーヤはいつも青々と実っていたし、見せてくれた写真のインコもつやつやの毛並みで、可愛がられていることがひと目でわかった。
 私はだめだ。何かを好きになったらもうそれしか目に入らなくなってしまう。愛情を注ぎ込んで注ぎ続けて注ぎすぎて、それできっとだめになってしまう。授業で育てた朝顔だってひまわりだって、水をあげすぎだといつも怒られた。
 あんな風にちょうどいい水を加減してあげることだって――あんな風に?
 目にした光景に、慌てて物陰に隠れた。咄嗟に隠れた私は、校舎の壁にぴたりと背中をつける。どうして隠れてしまったのかはわからない。ただ、日陰になっているコンクリートは冷たいなとそんなことを考えていた。
 どうして木手くんは、私の行くところにいるんだろう。
 よく考えたら私の方が彼を目で追って、いそうな場所をふらふらしているからに他ならないのだけれども、いざ本人を見かけると私はいつも冷静さを失った。
 普段なら声をかけた。きっとしっぽを振るみたいにしながら近づいて。けれど今日はこうして隠れて、心臓の鼓動をうるさくしている。思い当たる理由はひとつだ。
 今なら誰にも見つからない。
 他の人にも、木手くん本人にも。
 諦めたはずの願望を思い出させるように、ポケットの中のスマホが重さを増した気がした。いけるぞ、と主張するかのようなスマホは悪魔の手先みたいだった。私は悪魔になんて陥落しない。手先になるのだって木手くんじゃなきゃ嫌だと思った。
 思ったはずなのに、私の手はポケットの中に吸い込まれて、だめだと思うのに言うことを聞いてくれなくて、取り出してロックを解除してカメラを立ち上げた。一連の動作はなめらか過ぎるほどだった。とても自分の身体とは思えないくらいだ。
 スマホを握りしめたままで数秒静止した。願望と欲望と罪悪感と倫理観と、あといろいろなものが混ざった状態で。
 隠し撮り。
 今から自分のしようとしていることを言葉にしたら、とてもよくない。私はよくないことをしようとしている。別に私は正義の味方じゃなくて木手くんの味方なわけだし、常に必ず正しいことができるわけじゃない。でもこの場合は対象がその木手くん本人だし、そもそもどう言葉をこねくり回したところでやろうとしていることは隠し撮りである。
 そもそもここでうまくバレずに撮れたところで、今後私が木手くんに隠し通せるとでも思っているのだろうか。たまに自分でも自分のことがよくわからなくなるけれど、これだけはわかる。絶対に無理だ。木手くんに一言「白状しなさいよ」なんて言われたら、それでもう私は全面降伏で自白する。その時に怒られたり叱られたりなじられるならいいけど――嫌われたくはないのだ。絶対。
 やっぱりやめよう。私には無理だ。
 握りしめたスマホはとっくに画面が暗くなっていて、それをポケットに戻そうとして――
「随分楽しそうな百面相ですね」
 ――悲鳴をあげなかったのは奇跡だと思った。
 手から滑り落ちたスマホは、瞬時に伸びてきた木手くんの手が捕まえる。画面がバキバキになる未来から救ってもらったのはありがたいけど、今はそれよりもっと大変な状況だと思った。
「なんで。木手くん。どうして」
 さっきまで何メートルもあったはずの私達の距離は、いつの間にか縮められていた。木手くんによって。木手くんはいつも気づいた時にはすぐ側にいる。今みたいに。どうやったのと聞いても意味深に笑うだけだ。木手くんは秘密が多い。
「俺のことをずっと見ているから、声をかけてくるものだと思って待ってたんですがね。その内難しい顔をして考え込んでいるようだったので」
「嘘でしょ見えてたの」
「面白そうなのでしばらく放っておきました」
「面白がられてた……!」
 見つかっていたことも見透かされていたことも衝撃だったけど、それより何よりバレた上で放置されていたのが。
 木手くんの手の中にあるスマホに視線をやると「ああ」と気づいたように手渡してくれる。あ。返してくれるんだ。それで拍子抜けするのもひどい話だけど「これで何をするつもりだったんです?」と問い詰められるものだとばかり思っていたから。
「あなたの中の俺がどういう男なのかがよくわかりますね」
「落ちなくてすんで助かりましたありがとう木手くん!」
 口に出ていたようで眉間に皺が寄る。慌ててお礼を言う私に「いいんですけどね」と嘆息した。
「ならお望み通りにしてあげましょうね。これで、何をするつもりだったんです?」
 なんて鮮やかな自爆。
 自らの行動に対しての私の評価である。
 別に私は、木手くんに隠し事ができないわけじゃない。と思う。多分。
 そうじゃなくて、木手くんに「話せ」と言われてそれに抗うことができないのだ。頼み事が聞きたいとか願いを叶えてあげたいまでならともかく、命令を聞きたいまでいくとちょっとまずい気がした。一体私は木手くんの何を目指しているんだろうか。
「私が犯人で木手くんが警察だったら、一瞬で取り調べ終わっちゃうね」
「何を言いたいのか知りませんけど、犯行現場はここなんですか?」
 正確には犯行未遂だ。
 おそらくきっと木手くんは私のこの習性――木手くんに従順な――を理解しているに違いなくて、今更私が逃げ出すなんて夢にも思っていないだろう。その予想を裏切り、隙をついて全力で走ってみたらどうだろうか。
「木手くんて百メートル何秒?」
「あなたより五秒は速いんじゃないですか?」
 いくらなんでもそこまでは、と言えない自分が悲しかった。隙をついて逃げたらどうなるも何も、捕まる未来しか見えない。
「逃げたところでどうせ教室に帰ってくるから意味ないですしね」
「隣の席だからね!」
 やけを起こして叫ぶ私に、木手くんは不満そうな顔をした。え。そろそろ諦めて吐けとかそういうことだろうか。往生際悪くあがいても木手くんが構ってくれるのに甘えていたのはやっぱり駄目だったかな。
「どうせ最終的には白状することになるのに、諦めが悪いとは思いますがね。別にそれはいいんですよ」
 わかった上で泳がされている。その事実はある意味で私を安堵させたけれど、それより木手くんの不満の種があるとすれば、私にとってはそちらの方がよほど重要だった。
「不満そうじゃないですか」
 半眼になった木手くんが私をなじる。腕を組んで顎を上げて、身長差を生かして私を見下ろす姿は威圧感の塊だったのだけれども、それに慣れきっている私に恐怖を与えるものではなかった。
「隣の席でよかったと言っていた癖に」
 それより何より衝撃的な言葉が、木手くんの口からこぼれ落ちた。私はたちまち何もかもが吹き飛んでしまって、誤解を解かなきゃとそれだけで頭の中が支配された。
「不満じゃない!」
「へえ?」
「隣の席が嫌なんじゃなくて、絶対なくて。逃げても捕まっちゃうって思っただけで……でもあの、捕まえてもいいから木手くんの隣がいい……」
 誤解を解くために言うべきでないことまで口にしていると気づいたのは、もう全てを吐き出してしまってからのことだ。木手くんの表情に、まずいことを言ったと気づいたけれど手遅れである。珍しく視線をさまよわせた木手くんが、そっと手のひらを私に向けた。もういいです、と聞こえるか聞こえないかくらいの小さな響きで。
「すみません。わかりましたよ。わかりましたから……あなたほんとにちょっと勘弁しなさいよ」
「何かごめん……?」
「謝るようなことじゃないです。……あの、これ一応俺も言っておいた方がいいと思うんで言うんですけど、あなたまた一人で暴走して誤解して落ち込んでどうしようもなくなりそうなので」
 どうしようもなくなるのを予想されている……。
 木手くんの中の私のイメージはどんなことになっているんだろうか。多分そんなに大きく外れてはいないんだろうなと思った。
「俺も別に、あなたが隣で嫌だと思ったことありませんから」
 人間、予想しないところから予想しない内容の言葉が飛んでくると身動きが取れなくなる。たまに木手くんがしばらく考え込むように動きを止めるのも、こういうことなのかと思った。それを見ていた木手くんは、私の反応をどう捉えたのか目を逸らす。
「一応言っただけです。別に気にしてないならそれでいいんです。聞き流しなさい。というよりも忘れなさいよ。全て。いいですね――」
 木手くんはまだまだ言葉を続けたそうだったけと、私の口はいつものように勝手に言葉を吐き出した。
「嬉しい」
 そして一度溢れたら止まらなかった。
「嬉しい。木手くんも同じで嬉しい。私もね、木手くんの隣の席がいいよ。朝おはようって言ったり、授業中そっち見ちゃうとちゃんと授業聞きなさいって顔されるのも好き。困ったことがあると最初に気がついてくれるもんね。優しいなあっていつも思うの。木手くんが色んなこと話してくれるの聞くのも好きだよ。知らないこと教えてもらうのも」
 あとはね、と続けようとした私を、木手くんの手のひらが遮った。さっき見たのと同じ仕草だけど、さっきよりも手のひらの距離が近い。
「聞き流して忘れろと言ったじゃないですか!」
 珍しく声を荒げる木手くんは、見たことがないほど動揺していた。
「駄目?」
「駄目じゃないから困らされてるんですよ。いい加減にしなさいよあなた」
 あんまり経験したことのない怒られ方をした。
「何緩みきった顔してるんです」
「木手くんを困らせるのは駄目だなあって思うんだけど、これはたぶん大丈夫な困らせ方だなって思ったから」
「勝手に人の困り方を分析するんじゃありません」
 覚えていなさいよ、と低くうめいた木手くんは、不意に表情を変えた。その、あんまりよくない方向に。
 見慣れたその笑い方は、他人から見ると何か「企んでいる」と言わんばかりの表情だった。もちろん私にとっても同じだ。絶対に木手くんはよくないことを、それも私に関係のあることを考えているに違いない。
「あなたも慣れてきましたね」
「おかげさまで……」
 慣れるのが果たして良いことなのか悪いことなのか。知らない方が幸せだという言葉も世の中にはあることだし。でもたぶん今日のこれは、私を知らないままにはしておいてくれないのだろう。
「あなたが困っているようだから、今日のところは見逃してあげようかなとも思ったんですがね。こんな思いをさせられたんです。あなたもきっちり全てあますことなく吐いてもらいますよ――」
 完全に忘れていた。なぜ私と木手くんが今ここにこうしているのか、そもそもの発端を。そしてついでにこんな話になる前に私がどうして木手くんに追い詰められていたのか、その原因も。
 思い出さない方がよかったかもしれないあれこれは、木手くんの手によってしっかり元に戻ってきた。多分だけど木手くんは、最初から見逃してくれる気なんて少しもなかったと思う。
「何か言いましたか」
「何も」
 今さら私に何が言えたというのだろうか。
 私の選べる選択肢は、既にひとつしか残されていなかったのである。
 のろのろとスマホを取り出した。さっき落ちかけたのを木手くんが受け止めてくれたもの。多分木手くんがそうしてくれていなかったら、絶対に画面を下にして落ちていた自信がある。スマホとはそういう風にできているというのが私の持論だった。
「写真が、欲しくて」
 言葉を短く切って、小声になるのは後ろめたいからだ。
「俺の?」
「そうです……」
 いたたまれない。本人を目の前にして暴露されていく事実が。でもどこかで正直に言って楽になっている自分もいて、そういうところまで見越して木手くんが私を尋問しているのだとしたら、たぶん一生敵わないだろうなとも思うのだ。
「撮ったんですか?」
「勝手に撮っちゃだめだと思ったの」
 本当は散々迷って、ぎりぎりで理性が勝って断念したことまで喋らされて、全てを木手くんに聞かれてしまった。隠しておけるわけもなかったから。
「そうですか。そんなに俺の写真がね」
 ふうん、と頷く木手くんの声は穏やかで、でもその表情は私をいたぶる時の例の笑みだった。唇の片側だけを上げて、眼鏡の奥の瞳が細められている。これから私をどうやってつついてからかって辱めようか考えている表情だ。
「……あなたが俺をどういう男だと思っているのかがよくわかりましたよ」
「え。違うの」
「まあ違いませんけど」
「やっぱり!」
 悲鳴混じりの声が喉から飛び出した。もうだめだ。私は木手くんにめちゃくちゃにされてしまうのだ。
「そんなに期待されると困ります」
「期待してないし、困るならやめたらいいと思う」
「期待に応えたくなって困ります」
「応えなくていい……!」
 木手くんの方こそ、私をどういう女だと思っているんだろう。
「どう思ってるか言ってあげましょうか?」
 力の限り首を左右に振った。だってそんな、どんな答えが返ってきてもたまらないと思った。今の私にそれを聞く勇気なんてあるはずもない。
「せっかくですけど、またの機会に」
 ここぞとばかりに大人の断り方をした。
「下手に大人の真似事をすると、逆に幼く見えますよ」
 ぐうの音も出ない。木手くんはいつも私が考えた逃げ道をひとつずつ丁寧に塞いでいく。そして私が困り果てると、仕方がないですねと薄く笑いながら新たな逃げ道を示してみせるのだ。彼に用意された逃走経路は果たして本当に逃げるためのものなのか、今の私にはわからなかったけど。
「何が欲しいのか、正直に俺に言えますね?」
 言えますかじゃなくて「言えますね」だった。それは質問じゃなくて命令だと思ったけれど、私がそれに逆らったりできるはずもない。それを木手くんは誰よりも、おそらく私本人よりも理解していて、私が視線をあちこちさまよわせて口ごもっている間も、急かすことなく辛抱強く待っていた。
「…………木手くんの写真が欲しいです」
 数十秒のためらいを経て、ようやく口にできたそれは聞こえるかどうかといった大きさだったのに、木手くんはきちんと聞き取って、先程までとは少し違った種類の笑みをその整った顔に浮かべている。
「ふうん」
 さっきと同じ言葉を、さっきよりも柔らかな声が繰り返した。手のひらを私に向けた木手くんの口から「かして」と聞こえた。示されているのは私のスマホで、当然私は木手くんの言うことを聞く。手渡したスマホの画面ロックはすぐさま解除された。パスコードじゃなくて顔認証にしているのだ。手にしているのが木手くんでも、そのすぐ横に私がいたら一瞬でセキュリティは突破されてしまう。まあ、もしもパスコードを設定していたところで、木手くんが一言「教えなさい」とでも言ったら、何桁かの秘密の数字はすぐに木手くんのものになっていただろうけど。
「こっちを向いて」
「え」
 それ以上声をあげることもできなかった。
 右耳に流し込まれた言葉の意味を理解して、目の前に掲げられたスマホの画面を見上げる。そこに映る呆然とした私の顔と木手くんの顔。そのふたつの距離を縮めるために引き寄せられた私の肩。そこに感じる手のひらの感触と熱の意味は。
 木手くんの右手の親指が、画面の中のシャッターボタンに触れようとする。
「そこじゃなくて、もっと上」
 言われるがまま目線を上げた。スマホの画面の一番上、小さな黒い丸に吸い込まれるんじゃないかと思った。
 小さくシャッター音が響く。意味するものはひとつしかない。
 スマホの画面を覗き込んで、木手くんは納得したように頷いた。手渡してくれながら、何でもないことのように言う。
「はい、よかったですね。正直に言えたから欲しいものが手に入りましたよ」
 手渡された画面の中には、カメラ目線の私と木手くんが写っていた。挑むようにしてカメラのこちら側を木手くんは見据えていた。唇を軽く上げて、目を少し細めて少し眩しそうな笑顔は確かに私がどうしても欲しかったものだったけど。
「俺にも送ってくださいよ」
「駄目!」
 即答した。
 とんでもないことを木手くんは言う。
「どうしてですか」
 眉をひそめて木手くんは不可解そうな顔をした。どうしても何も、だって。
「私変な顔してるから絶対だめ」
 画像の中の私といったら、木手くんが真横にいることと木手くんと身体が密着していることと木手くんの左手が己の左肩を抱き寄せていることと、その他の色々でもう許容量がいっぱいいっぱいの顔をしていた。こんなの絶対に木手くんに見られるわけにいかない。撮られる時と画像を確認した時にしっかり見られているという事実は一旦忘れることにして。
「変? かわいいじゃないですか」
「か……っ」
「あ。……今の、聞かなかったことにできます?」
 無茶を言わないでほしかった。
 木手くんの口からこぼれ落ちた単語は、いくら木手くんが口をおさえたところで私の耳にしっかり届いてしまっていた。今更聞かなかったことにも、なかったことにも、忘れることもできそうにない。だってもう、じわじわと熱を帯びていく頬も耳朶も取り返しがつかなかったし。
「……そういうわけなので、おとなしく俺にも送るか俺のスマホでもう一枚撮らせるかしなさいよ」
 咳払いしたことで木手くんは気を取り直したかもしれないけど、私の方は今も混乱の渦中に叩き落とされたままだ。けれどこのまま固まっていたって木手くんが諦めるはずがないことは、出会ってから今までの経験で嫌というほどわからされていた。
 もう一度あの距離で木手くんと写真を撮るか、この画像を彼に送るか。私の選んだのは後者だった。だってあんなことを言われてしまった後で、もう一度木手くんとくっついて写真なんて撮ろうものなら、自分がどうなってしまうかわからなかったからだ。木手くんはそこまで見越してこの二択を用意したのだろうか。そもそもどちらを選んでも木手くんの望みは叶うのだということに、今の私はまだ気づけない。
 ぽこん、と軽い電子音がその場に響く。
 こっちの気も知らずに気軽な音を立てて――と見当外れの八つ当たりを自分のスマホにぶつけた。



 翌朝、私は教室で昨日のことを若干引きずったままスマホをいじっていた。しばらくは画面を開くだけでも思い出しそうで、欲しかったものだけじゃなくとんでもない後遺症まで手に入れてしまった。
「おはようございます」
 背後からの声の正体はすぐにわかる。振り向いた先に立っている木手くんは、そのまま定位置――私の左隣の席に腰を下ろす。朝練のある日もない日も、木手くんはいつも規則正しい。
「おはよ……」
 気まずくても恥ずかしくても、木手くんと朝の挨拶をするのは私の毎朝の習慣になっている。かといって木手くんのように何もなかったみたいな顔はできなくて、すぐに目を逸らしてスマホの画面に集中したふりをするのくらいは許されたい。
 そんな私の心境をわかっているのかいないのか、木手くんは「ねえ」と横から声をかけてきた。思わず全身がはねて椅子から飛び上がりそうになった。小さく吹き出すような声が聞こえてきて、いたたまれないことこの上ない。
「すみません」
 絶対に悪いと思っていない時の「すみません」だ。私をいじめる時の悪い顔と声。
「別にいじめたりしませんよ」
「ほんと?」
「ええ、勿論です。ところでそれ、昨日の写真を壁紙にしないんですか?」
「やっぱりいじめる!」
 机に撃沈した私を見て、木手くんは満足そうに頷いていた。

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