10:図書館・2



 いつもと違う行動をしようとすると、人は見るからに不審な動きになるものなのだろうか。
 放課後、目的地に向かおうと校門を出たところで背後から声をかけられた。
「今日は珍しく早いんですね」
 声の正体は言うまでもなく木手くんである。彼はいつも私に気づかせることなく、いつの間にかすぐそこにいる。最初の頃は毎回驚いていたような気もするけれど、今となってはだいぶ慣れたものだ。でも、今日は。
「そうかな」
「そうですよ」
「木手くんも……早くない?」
「今日は部活が休みなんです」
 木手くんの目を見られない。多分木手くんはいつものように私の目を真っ直ぐ見ているに違いない。けれども私は顔を上げられずに斜め下、木手くんの靴の辺りをじっと見つめたままでいる。やましいことは――そんなにない、のに。
「どこかへ行くつもりですね?」
「ですか、じゃないんだ……」
 確定事項のように告げられたそれは、たしかに間違ってはいない。しかしこの期に及んでも、私はまだ諦めが悪かった。
「気のせいじゃないかな。帰るだけだよ」
「あなたの家向こうじゃないですか」
 向こう、と指差したのは木手くんの背後。私の歩き出した先とは真逆である。私に弁明の隙も与えずに木手くんは更に畳み掛ける。
「そちらはバス停ですよ。で、どこへ行くの。白状しなさいよ」
 腕組みをした木手くんの左手が、二の腕のあたりを軽く叩いていた。追い詰められているのに、その姿はとても様になる。私はおそるおそる口を開くことしかできない。
「……市立図書館に行くの」
 学校の図書室も覗いてみたけど、それでは足りなかったのだ。もっと蔵書数の多い場所を求めて、平日だけど少し足をのばそうと思っていた。
「なんだ。それなら早く言いなさいよ。俺も行きます」
 なんでもないことのように木手くんは言った。実際、普段だったら何でもないことだったし、それどころか木手くんが一緒に来てくれるんだったら浮かれてしまうところだった。
 だけど、今日ばかりはまずい。
 瞬時に挙動不審になった私を見て、木手くんは一瞬で怪しんだ。
「何か不満ですか」
 不機嫌そうな表情に焦る。だってそんな、私の方に事情があるととはいえ、不満だということは全くなかったからである。
「そういうわけじゃないの。そういうんじゃ……なくて」
「なくて?」
「これやっぱり言わないとだめなやつだよね?」
「駄目なやつですね。そろそろバスが来ますよ。乗ってから白状しなさい。どちらにせよ言わされるんだから時間は有意義に使いましょうね」
「はい……」
 しおしおとバスに乗り込む私たち二人(しおしおしているのは私一人だけだったけど)は、他から一体どう見えただろうか。あまり考えたくはない。



「あっちの図書館でね、見たい本があったの」
 バスに乗り込んでしばらく経つと、無言の空間に耐えかねて私は口を開いた。
「……誰かと会うとかではなく?」
「うん? うん。会うとかではなく」
 そもそも私に学外でわざわざ待ち合わせをするような知り合いはいない。越してきてまだ日も浅いのだから別に焦ることはなかった。早速知り合いの輪を広げている母を思い出すと思わず遠くを見つめてしまいそうになるが、私にだってこうして一緒にバスに乗るくらいの相手はいるのだ。しかもそれが木手くんである。何の不満があるというのか。
「そうでしたか……いえ、すみませんちょっと誤解があったようで」
「どんな?」
「何の本が見たいんですか?」
 清々しいまでのスルーをくらった。しかしながらこういう時の木手くんに追撃しても答えてくれることは稀である。それよりも問題は、聞かれた質問の方だった。
「……顔色が変わりましたよ」
 そんな優しい声で獲物を捕らえた時の目をしないでほしい。実際木手くんが獲物を捕獲する時の目なんて見たことないから、あくまでイメージでしかないけど。
「言いなさいよ」
 右側からの声に、耳朶が震えた。
 木手くんの声は低くて甘い。たまに冷たいって言われていることもあるけど、私は逆に熱を帯びているように感じる。油断すると顔に熱が集まりそうになるからかもしれない。
 学校では私の左側の席に座っているから、そちら側からの声にはだいぶ慣れた。でもこうして、不意打ちみたいにして右から囁かれると私はだめだ。理由はわからないけど、とにかくだめだった。
 身体から力が抜けてしまった。背もたれに体重を預けて、長く細く息を吐く。それで心臓が落ち着くこともなかったけど。だから、結局私は取り繕うこともできないまま口を開いた。
「ゴーヤ料理の本が……見たくて……」
 白状させられた内容は、私にとってはまあまあ羞恥に炙られる内容だったわけなのだが、それを聞いた木手くんの表情は不満げだった。どうして。
「いつでも聞けって言ったじゃないですか」
 不機嫌な声の理由を知る。しばらく前に紫リボンのゴーヤをもらった時のことだ。あれは炒めて食べた。苦かったけど当然完食した。私の味覚を知る母は不思議そうな顔をしていたけど。
「あの時の……あの時も、なんだけど。お礼にね、木手くんの好きなのを作れるようになりたくて……」
 我ながら、消え入りそうな声だと思った。
「……木手くん」
 言わせるだけ言わせておいて、絶句するのはやめてほしい。
 まばたきすら忘れたように、木手くんは目を見開いたままで固まっていた。バスのエンジン音だけが私達の間に響いていた。そのまま長い数秒間が流れる。自分を取り戻したのだろう、しぱしぱと何度か目を瞑った木手くんは、突然流暢に喋りだした。
「なんでも食べます。作りやすいのから作ってみればいいんですよ。調理法にこだわりはありません。なんでも食べますから」
 なんでも、と木手くんは念を押した。私に言い聞かせるかのように、それはもう何回も。

 結局木手くんはバスを途中下車することもなく、市立図書館まで本当についてきてくれた。私でもなんとかなりそうな料理本を選ぶところまでやってくれる手厚さだった。料理を作ってあげたい相手にここまでしてもらうのもどうなんだろうと思ったけれども、木手くんがどことなく機嫌よく本を選んでいたので、結局私も甘えてしまう。
「楽しみにしていますよ」
 ただし木手くんは、プレッシャーをかけるところも忘れなかったわけだけど。

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