浴びた優しさ

どれほどの時間が経った後か、ボートに掴まる男性陣に疲れが見え始めたとき、その上空を飛空艇が旋回しているのが見えた。懐かしいその機体を目にするなり、皆は大声を張り上げ、手を大きく振っては居場所を知らせる。

「これでやっと助かるな」

「おーーーい! こっちだ!!」

やっとこの冷たい海水から解放されるのかと思うと、力が抜けそうになってしまう。しかし、飛空艇に乗り込むまで油断はできないと、一層気を引き締めて、縄梯子が下ろされるのを待った。

すぐにこちらに気付いた飛空艇の乗組員達は、慌てたように浮き輪を投げ、縄梯子を下ろし、一人ずつ確実に飛空艇に引き上げてゆく。

「レッド、ちゃんと登れる!?」

「だ、大丈夫だよう」

「イリスは私が背負って登ろう」

全員が仲間を気遣い合いながら、なんとか梯子を上りきった。片腕でイリスを背負いながらも、するすると梯子を上ってゆくヴィンセントに、乗組員達は羨望の眼差しを投げ掛けていた。

それを気まずそうに回避しながら、彼はイリスを背負い直し、二人にあてがわれた寝室へと足を運んだ。

「これでほんとに帰ってきた、ってカンジ!」

「とりあえず風呂だ! 飯より風呂が先だ!」

いつもならば真っ先に飯だ、酒だ、と声を上げるバレットでさえ、ずかずかとシャワールームへ向かっていた。長時間海水に浸かり、身体はもちろん、衣服も全て丸洗いしたいのだろう。彼のその気持ちは皆も痛いほどわかっていた。

結局、無事飛空艇に帰還するや否や、全員がてんでばらばらにシャワー室へ駆け込むという、慌ただしい事態が発生していた。



「イリス……」

ヴィンセントはイリスを抱えて部屋に入るなり、彼女を簡易なソファーに横たえた。衣服が身体に張り付き、身体も髪も濡れてしまっている。

彼は自分のマントをやや乱暴に脱ぎ捨てると、濡れて冷えた彼女の身体をそっと抱き締めた。やはり何の反応も示さないその様子に、ますます不安が募ってゆく。

ひょっとしたら彼女はもう、永遠に意識を取り戻さないのではないか、もう二度と会話をすることができないのではないかと、良くない思考ばかりが頭をよぎる。

「イリス、風呂へ入れるか?」

「……」

座っている彼女に目線を合わせるようにして屈み、その目を見つめながら、返ってくるはずのない返事を待った。

「……ん」

そう思いながらじっと見つめていた彼女は、小さく声を漏らし、首を少し傾けた。会話はできなくとも、自分の声が彼女に届いている。言葉の意味を理解しているのか、それすらわからない状況でも、彼女が微かに取った行動に、彼は目を丸くした。

「私の声が聞こえているのか……?」

恐る恐る尋ねれば、彼女はまた少し首を傾け、彼を見つめ返していた。確かに二人の視線は交わり、お互いをその瞳に映し合っている。

「……イリス」

それを喜びと捉えてよいものか、彼の中に迷いが生じていない訳ではなかった。それでも、先程のように焦点の合わない彼女の視線はもうない。しっかりと自分を見つめ、声を掛ける度に首を動かしている。

「……許せイリス」

それは彼女に向けて発した言葉であり、同時に彼自身の罪悪感を減らすための言葉でもあったのかもしれない。

彼はイリスを再び抱きかかえ、部屋を出て、浴室のある場所まで彼女を運んだ。誰も使用していない脱衣所の扉を開けると、慎重に彼女の衣服に手を掛けた。

「……」

「……ん、」

何か伝えたいことがあるのか、それとも身体に触れられたことで反射的に声を漏らしているのか、彼女は衣服を脱がされている間ずっと彼を見つめていた。決して嫌がるでもなく、ただ目の前の事実を他人事のように見ているようでもあった。

「すまない」

何度も謝罪の言葉を口にしながら、彼は彼女の着ていたシャツを脱がした。アイシクルロッジで仕立てたその服は、当時の面影もなく汚れてしまっている。ここまで随分と苛酷な旅をしてきたということを、その衣服が物語っていた。

「身体を温めたらすぐに元に戻す」

自分に言い聞かせるようにしながら、彼女のズボンにも手を掛けた。ズボンがするりと足元に落ちると、白く透き通った肌が露わになった。下着を身に纏っただけの彼女の姿は、いつになく妖艶で、憂いた表情がより一層彼女の美しさを際立たせているようでもあった。

「……」

ホックに掛けた手が僅かに震えていることに、彼は気付いていた。

イリスがジュノンの実験室に捉えられていた時、彼女はやはり一糸纏わぬ姿でガラスケースに入れられていた。彼女の裸体を目にするのは初めてのことではないはずだった。

当時は、一刻を争う状況で彼女を救出し、すぐさまマントで彼女の身体を覆っていた。しかし今は、理由はどうあれ、自分自身が彼女の衣服を脱がしている。海水に浸かってしまった身体を洗い流し、冷えた身体を温める。純粋な目的のためにしているこの行為が、どうにも彼を躊躇させていた。

「……さあ、こっちだ」

ふらふらと歩く彼女の手を引いて、彼は浴室へと彼女を引き入れた。彼自身は衣服を着たまま、彼女を小さな椅子に座らせる。備え付けてあるシャンプーでその艶やかな髪を泡立てれば、目を閉じてじっとしている彼女が、鏡越しに映って見える。

「大変な思いをさせてしまったな」

「……」

声を掛けながら慈しむように髪を洗う。一通り洗い終えると、シャワーを捻り、そっと湯を掛けて泡を落とした。彼女の顔にできる限り湯が掛からないよう、片手で庇いながら洗い流してゆく。自分の衣服が濡れることなど気にも留めずに、ただ彼女のためを思って髪に指を差し込む。

「これほど傷を作って……」

「……」

石鹸を手に取り、彼女の身体をそっと撫でるように擦った。普段衣服に隠れて見えない箇所にも、擦り傷や打撲の痕がある。それがいつ付いたものなのか最早わからないほどに、皆は苛酷な旅をしていたのだと再認識した。

山道を歩く途中でも、戦闘の最中も、彼女は傷を負っても、そのことを口には出さずにいた。誰にも迷惑を掛けないようにと、ずっと気を遣っていたのかもしれない。

「お前はいつも仲間のことばかり気に掛けているな」

「……」

「もう少し私を……仲間を頼れ」

泡立てた石鹸でゆっくりと身体を洗いながら、彼は言葉を投げ掛け続けた。洗われている様子をぼうっと見つめる彼女は、時折首を傾ける以外にはやはり反応を示さない。

細く白い腕を洗い、小さな背中を洗い、そのやんわりとした胸を洗った。まさかこのような状況で彼女の身体に触れることになるとは思っていもいなかったと、苦笑しながらも理性を抑え込む。

雑念を捨てるように一度頭を振ると、再びシャワーを捻って身体中の泡を流した。海水に浸かりべとついた身体は、石鹸の香りに包まれ、本来のなめらかさを取り戻したようだった。

「立てるか?」

全身を洗い終えた彼女の手を取り、そっと浴室から脱衣所へと向かった。あらかじめ置いておいたバスタオルで彼女の身体を包んだ。別のタオルを取り出すと、髪の水分を丁寧に拭き取る。

髪をあらかた拭き終えると、彼女の濡れた顔へ、そっとタオルを押し当てた。大人しくじっとしているところを見ると、それほど嫌がっている訳ではなさそうだった。

あとは身体を拭いて衣服を着せたら終わりだと、タオルを彼女の顔から離したとき、ぱっちりと目を開けている彼女と視線が合った。

「イリス?」

彼女は相変わらず何も言葉を発しなかったものの、その目は驚いたように見開かれ、きょろきょろと辺りを見渡していた。脱衣所で裸の状態という、どうにも説明し難い状況で彼女が意識を取り戻しつつあることで、彼は珍しく狼狽えている。

「イリス、これは──」

「……っ」

恋人を目の前にしてバスタオル一枚を身に纏っただけの姿であることに気が付くなり、彼女は顔を真っ赤にしてしゃがみ込んでしまった。両手で顔を覆うようにして隠し、恥ずかしさからか首を横にぶんぶんと振っている。

「……外に、出ておく」

そう声を掛ければ、潤んだ目を彼に向けて、今度は首を縦にぶんぶんと振っていた。半ば追い出されるようにして、彼は脱衣所の外へと出て行った。

彼女が何か誤解をしていなければ良いと、若干の不安を感じていたのは確かだった。しかしそれよりも、またいつものように顔を赤らめ、大きく首を振り、恥ずかしがるような、或いは照れたような潤んだ瞳を見られたことで、彼の心はやっと落ち着きを取り戻していた。彼女が彼女の意思で、身振り手振りをしている。彼女は意識を取り戻したのだ。

「……」

誰もいない廊下に立っていた彼だったが、安心で緊張が解けたのか、脱衣所の扉に背を預けるようにして、ずるずると座り込んだ。マントに隠れたその表情は、イリスを想う柔らかなものだった。


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