いつかと似た日

ひどく息苦しく、それでいて凍えるような暗闇の中を漂っていた気がした。しかしそれは、あのガラスケースに入れられていた時とも違う、また別の不快感のようだった。体調だけでなく、思考を何者かに侵されているかのような、初めて感じるその感覚に恐ろしさを感じていた。

最後に見たのは、ロケットの保管庫で、ヒュージマテリアを回収するべく奮闘していた皆の姿だった。ロックの解除方法がわからない、とシドとクラウドが言い合っているのを見ていた。

ロケットに乗り込んでから、体調不良の予兆を感じていた。その予兆は、その保管庫にいる時になって現実のものとなってしまったようだった。

「……」

その後の記憶は何もない。気が付けば、目の前には不安の色を浮かべた彼の姿があり、対して自分は、濡れた身体に心許無いバスタオルを一枚巻いた姿で突っ立っていた。

懐かしいエンジン音が聞こえ、微かに重油の匂いがしている。ここが飛空艇の中だと理解することはできても、疑問は多く残されていた。

ひとまず、服を着よう。そう思い、巻き付けられたバスタオルを解いて身体を拭けば、石鹸の香りに包まれた。先程の状況から考えても、きっと彼が自分を介抱し、風呂に入れたに違いない。

「……っ」

改めてそう認識してしまうと、恥ずかしさから頬に熱が集まってくるのを感じた。自分が意識を失っている間に、彼はきっと、自分を庇い、気遣い、介抱してくれていたのだろう。丁寧に風呂にまで入れて。

細かな説明は彼から受けたほうが良い。その後ロケットは、メテオはどうなったのか。仲間は無事なのか。あれから一体どれほどの時間が経過したのか。そして現状、何が起こっているのか。その説明を受けるためにも、自分は早く服を着て、廊下に追い出してしまった彼の元へ向かわなければならない。

脱衣所の籠に置かれた、普段着とは別の服を身に纏った。着慣れていない衣服のごわつきも気にせず、焦る気持ちを抑えて脱衣所の扉を開けた。



「イリス……!」

脱衣所の扉を開けると、どうやらその扉に寄りかかっていたらしい彼が、驚いたように立ち上がりこちらを見つめた。彼が涙を流す場面に遭遇したこともなければ、そんな姿は想像もできない。しかし、今の彼は、その瞳を微かに潤ませ、まるで泣いているかのような表情を浮かべている。そのまま徐に抱き締められた身体は、安心感から力が抜けそうになる。

「もう、大丈夫だ」

「……い、」

彼のやや震えた声が耳元に響いた。何故か彼はマントを脱ぎ、びしょ濡れになったままの服を着ていた。それでも、久しぶりに感じる彼の腕の中はどこよりもあたたかい。

自分を安心させるように囁いた彼に返事をしようと口を開いた。しかし、言葉は声にならずに、喉の奥で消えてしまう。

「……どこか痛むか?」

「……」

どこも痛まない、そう言おうとしたが、やはり声は思い通りに出てはくれなかった。首を横に振って、口元を緩ませた。

こんなやりとりを、いつか誰かともしたような気がした。

「イリス?」

両手を頬に添えられ、しっかりと視線を合わせられた。異常がないかを確認するように、じっと覗き込まれる。その赤い瞳はいつにも増して深く色付き、彼の瞳の中に自分の姿が映っているのが見える。

「声を出すのがつらいのか……?」

「……」

言葉を発しなくとも、彼は今の自分の現状を理解してくれているらしかった。その通りだ、と自分の喉を指さす。

「……ん、せ」

「無理に話す必要はない」

なんとか声を出そうと試みたが、やはりそれは声にならない小さな音となって、エンジン音に掻き消されてしまう。そんな様子を見て、彼はやっとやわらかな笑みを見せた。口元を綻ばせながら髪を撫で、再度きつく抱き締められた。



濡れて冷たくなった彼の衣服に身体を押し付けられ、その冷たさに反射的にびくりと肩が浮いてしまった。

「すまない、私も着替えなければ」

申し訳なさそうに眉を下げ、彼はそっと身体を離した。自分と入れ替わるようにして脱衣場に足を向けている。自分も彼も、衣服ごとずぶ濡れになってしまっているということは、きっと何か良くないことが起こっていたに違いない。

「先にコックピットへ行っていると良い。皆もそこにいるはずだ」

彼は、彼のことよりも自分を優先して、身体を洗い、あたため、着替えさせようとしてくれていたのだと悟った。今もまた、自分を待たせまいと気を遣ってくれているのだろう。

「…って、…す」

「……?」

既に黒いシャツのボタンに手を掛けていた彼は、その耳をこちらの口元に近付けるようにして腰を屈めた。濡れた長髪がはらりと落ちるのがくすぐったい。

「ここで、待ってます」

彼の耳元で精一杯の声を出してそう言った。やっと声になったそれは、きっと注意して聴いていなければ聞き逃してしまうような小さなものだった。

それでもその小さな声はきちんと届いていたらしい。彼はまた口元を綻ばせて、一度頭を撫でた。優しい笑みを浮かべながら触れられる度に鼓動が速まる。

「ああ、わかった。すぐに戻る」

彼は脱衣所の扉をきちんと閉めることもせずに、次から次へとボタンを外してゆく。自分の前では多少無防備な姿を晒しても良いと、無意識下で思ってくれているのかもしれなかったが、見てはいけないものを見ているような気恥しさを感じてしまう。彼の方をあまり見ないよう視線を床に移して、そっと扉を閉めた。

それから扉のすぐ前に立って、彼を待った。シャワーを捻る音が聞こえてくる。湯が流れる音さえ心地良い。あまり生活感を感じさせない彼が、扉を挟んだ向こうでシャワーを浴びている。少しずつ、普段通りの彼を知ることができているような気がして、はにかみを抑えられないまま彼を待っていた。



「すまない、待たせたな」

暫くそうしていると、彼は乾ききっていない髪のまま脱衣所の扉を開けた。僅かに滴る水滴が、彼の美しく黒い髪をより一層美しく見せている。

「……ん」

全然待っていない、大丈夫、気にしないで。彼に返したい言葉はいくらでも見付けられるのに、それが言葉として彼に届くことはなかった。ただ笑顔を向けながら、彼にそっと手を伸ばす。

彼もきっと、こちらの内心を理解していると、そんな気がしていた。二人の間に言葉がなくとも、その心は通じ合うまでになっていた。そう考えると、この苦しくもどかしい状況でも、良い側面を見付け出してそれを共有できているのかもしれない。

「クラウド達と今後のことを話し合わなけばならない。コックピットへ行くぞ。これまでのことも、そこで話に出されるはずだ」

「……」

普段と違う黒いシャツを身に纏った彼に、また胸が熱くなるのを感じた。自分から伸ばしたはずの手は、今や彼に引かれている。

「先に私から伝えるとすれば、メテオは──」

「……」

コックピットへ向けて廊下を歩きながら、彼はこれまでの経緯を簡単にでも伝えようとしてくれているらしかった。そんな彼の手を一度強く引いて、立ち止まるよう促した。

何事かとこちらを振り返った彼は、また耳を近付けるように目線を合わせる。

「すき、です」

突拍子のない言葉を聞かされ、彼は驚き目を丸くしながらも、目元を細めてはにかんでいるように見えた。

自分の意識がない間の行動については、未だに不明なことばかりだった。しかし、彼が自分のために動き回ってくれていたであろうことは容易に想像がついた。だからこそ、言わずにはおれなかったのかもしれない。

普段ならばそこにあるはずのマントが無いからか、彼は空いた片手で口元を隠し、「私もだ」と、小さく小さく呟いた。


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