消えないあの人

洞窟内には時折、皆の笑い声が響いていた。他愛のない会話をしながら、ユフィをたしなめ、イリスとヴィンセントの二人をからかい、束の間の休息を満喫していた。

「は〜、はやくふかふかのベッドで寝たい〜〜!」

「さっきまでは『陸ならどこでもいい!』って言ってたのに、どんどん我儘になるのね。でも、私もシャワーは浴びたいかな」

「虚しくなるからやめてくれ」

少量の食料を分け合い、話に華を咲かせながらそれを頬張る。イリスはヴィンセントと隣合って座り、ちぎったパンを大事に口に運んでいた。

「前から思ってたんですけど、ヴィンセントさんとても綺麗に食べるのに、意外と食べるのはやいですよね」

「イリスが遅いだけだろう」

「ええっ、そんなことないと思いますけど」

相変わらず上品に食事をしながらも、あっという間に平らげてしまうヴィンセントを食い入るように見ていた。彼は指で口元を拭いながら、ふっと笑って目を細めている。

メテオが近付いてさえいなければ、何ということはない、平和で穏やかな風景が広がっていた。





「誰? 誰かそこにいるの?」

突然洞窟内に響いた聞き慣れない声に、皆の食事をする手は止まり、笑いが消えた。先程確認し損ねたのか、何者かがこの洞窟内に居るらしい。

ヴィンセントは咄嗟にイリスの手を握り、膝を立てて辺りを注意深く伺っている。彼女もホルスターに手を伸ばす彼の背中に隠れて、声の主を探す。

「ちょ、ちょっと! あそこ、なんかヤバいって!」

ユフィが腰を抜かしながら指差す先には、巨大な天然のマテリアがあった。しかし先程と異なるのは、まるでマテリアの中に佇んでいるかのような人影がゆらゆらと揺れていたことだった。

「幽霊!?」

「んな訳あるか!」

不気味な声と影に皆がたじろいでいた。恐怖心を抑え込みながら、人影に武器を構えている。

「……貴方達は誰?」

今度こそはっきりと聞こえた声は、澄んだ高い音色で、それでいてひどく悲しげなものだった。

直後に、そのマテリアの中から姿を現したのは、白衣を身に纏った美しい金髪の女性だった。



「ルクレツィア……?」

すぐ目の前の彼は、声の主の方をじっと見つめながらそう呟いた。彼の背中が、微かに震えている。

そしてその名前を、自分はよく知っていた。今この瞬間も手を繋いでいる目の前の恋人が、かつて「愛していた」と言っていた女性の名前だった。

「ルクレツィア……なのか……?」

彼は決して手を離すことはしなかった。それでも、彼が今見ているのは自分ではなく、突如現れた女性の姿であることがどうしようもなく苦しい。

「ヴィンセント……?」

声の主も、怯えるようにそう訊ねた。名前を呼ぶその声ですら、彼に対する親しみが込められているように感じられた。同じ空間に居るにもかかわらず、自分だけが取り残されたような疎外感に襲われる。

「ルクレツィア……生きていたのか……?」

彼は今、何を思っているのだろう。長年愛していた女性が、亡くなったとばかり思っていた女性が、突然目の前に現れ、彼の名前を呼んでいる。

ひょっとしたら、今自分と繋いでいるこの手を離して、その女性の元へ駆け出したいのかもしれない。彼女のことを想い、彼女への罪悪感を抱えながら、彼は長い年月を暗く狭い地下で過ごしていたのだ。自分さえいなければきっと、彼は彼女に駆け寄っていたに違いない。

「ヴィンセント……私……消えてしまいたかった……みんなの傍に居られなかった、死にたかった……」

ルクレツィアは涙ながらにぽつりぽつりと呟いた。声が震え、ついには涙が頬を伝って、両手で顔を覆いながら泣いている。

「でも、私の中のジェノバが、私を死なせてくれない……」

「……ああ」

彼もまた、彼女と同じように死ぬ事ができないと言っていた。彼女のその苦しみを理解できるのは、きっとこの世に彼一人だけだった。

彼の短い返事の中に、彼女の苦しみを理解し、肯定し、寄り添うような感情が含まれている気がした。

「最近、セフィロスの夢を見るの……私の可愛い子供。でも、あの子が生まれてから、私は一度もあの子をこの腕に抱いていない……」

両腕で震える肩を抱くようにしながら、彼女はセフィロスのことを話していた。それでもイリスは言葉を発することが出来ずにいた。自分の存在を、彼女に知られてはならないような気さえしてしまう。

「自分の子供も抱けない……母親だと言うことも出来ない……それが……それが、私の罪」

そこまで言うと、ルクレツィアは堰を切ったように泣き始めた。膝から崩れ落ちるようにして、両手でまた顔を覆って、声を上げて泣いている。

自分ならばきっと、愛する人の前で「死にたい」などと口にすることはできない。苦しい、つらい、と涙ながらに訴えることもできない。そんなことをしてのけるほどに、ルクレツィアはヴィンセントの恋心を確信しているのかもしれない。

「ルクレツィア……」

彼と繋いでいた手が少し引っ張られるような感覚がした。そのことが、彼の気持ちの全てを表しているような気もしてしまった。

「……ヴィンセントさん、」

小さく名前を呼んだが、彼が振り返ることはなかった。きっと彼女の元へ駆け、抱き締め、涙を拭ってあげたいはずだった。自分さえいなければ、彼は気持ちのままに動くことが出来たはずだった。



「……」

「……っ、イリス……?」

徐に、繋いでいた手をぱっと離した。ようやくこちらを見た彼は、苦しそうに眉をひそめながらも、どうしたのかと怪訝な目をしている。

「行ってあげて、ください」

それは自分に出来る精一杯の強がりだった。中途半端に彼の自由を束縛してはいけない。

出会った頃から聞いていた彼の話を思い出し、目の前の女性の様子を見て、彼の葛藤を感じた今、彼が今するべきことは自分と手を繋いでいることではない。

そして優しい彼はきっと、自らこの手を離すことは出来ない。それならば、自分から彼を送り出さなければならない。何でもないふりをして、手を離さなければならない。

「イリス……」

困ったようにこちらを見る彼に、ひどく胸が痛んだ。名前を呼ぶ声が、今はとても悲しい響きを含んでいる。それでも彼は、再び手を繋ぐことはしなかった。

きっと、これで良い。これで彼の長年の想いが叶い、重すぎる罪悪感から解放されるのならば、これ以上の幸せはないではないか。

「ルクレツィアさん、に、……」

その先に何と言おうとしたのか、自分でもわからないまま口をついてしまった。ここへきて彼女の名前を口にして、涙がせり上がってくるのを感じる。

しかし、泣いてはいけない。今泣いているのはルクレツィアであって、部外者の自分が泣いてしまっては、彼がまた困惑してしまう。

「……」

「……」

無言のまま、出来る限りの笑顔を彼に向けた。あと一言でも言葉を発したら、きっと泣き出してしまうとわかっていた。無理にでも笑顔を作らなければ、悲しさに表情が歪んでしまうこともわかっていた。

そんな表情を見て、彼は再びルクレツィアに向き直った。

「……」

やはりこれで良かったのだと、彼の背中を見つめた。抑え込んでいた涙が、静かに頬を伝うことにすら気付かなかった。


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