別れる
『すまない』
『何で、どうして……?』
『よく考えた結果だ』
『そんな突然……わ、私の意見は?』
『突然ではない。前から考えていたことだ』
『嘘、そんなことない。ヴィンセントはそんなこと言わない』
『すまないイリス……これまでだ』
『ヴィンセント、待って、置いていかないで……お願い、独りにしないで……』
「……、イリス、」
「っ……あ、ヴィンセント……」
「うなされていた」
目の前にはいつも通り彼がいた。不安そうな顔をしてこちらを見ている。
「ごめん、怖い夢を見たの」
そう言って布団を肩まで引き上げた。窓の外は暗く、まだ夜中だったのかと思いながら額に滲んだ汗を拭った。
「どんな夢だ」
髪を撫でながら優しい声でそう言う彼の顔は、先程よりも安心したように見えた。しかし、今見た夢の内容を正直に話すべきか躊躇してしまう。
これではまるで、彼のことを信用していないみたいではないか。
「えっと……」
口ごもってしまっても彼は相変わらず髪を撫でてくれている。これほどまでに愛してくれている彼が、あんなことを言うはずがないのに。
「えっとね……ヴィンセントの夢を見たの」
「……何故それでうなされる」
「あ、いや! 違うの!」
今度は少し悲しそうな顔をする彼に、申し訳なさが湧いてくる。今夜の彼はいつもより表情豊かで、それが却って心を落ち着かなくさせている。
「怒らないでほしいんだけど……」
「ああ」
「ヴィンにさよならを言われる夢だった」
そう言うと同時に、彼の手がぴたりと止まった。驚くでもなく、怒るでもなく、じっと瞳を見つめられる。
やはり妙な誤解を生んだだろうかと謝ろうとしたが、それよりも先に彼が口を開く。
「それでうなされていたのか?」
「う、うん……」
「そうか」
あれほど豊かだった彼の表情が、今となっては読めなくなってしまった。そわそわした気持ちから目を泳がせてしまう。
「私との別れが辛かったのか?」
「え……当たり前だよ! これでお別れ、って私を置いて遠くに行っちゃうの。私はヴィンセントを追い掛けたいのに、脚が固まったみたいに動かなくて、それですごく辛かった」
「ふっ……そうか」
予想外なことに、彼はふっと笑ってまた頭を撫で始めた。今の話を聞いて彼はなんとも思わなかっただろうか。
「あの、私、ヴィンセントに不満があるとかそんなことはないし、捨てられちゃうかもっていう不安もないし、ヴィンセントのこと信用してるよ」
誤解があるならばそれを解いておこうと必死になって説明するが、彼の方は可笑しそうに聞いている。
「なんで怒らないの?」
「怒ってほしいのか?」
「そうじゃなくて! なんでそんな楽しそうなのかなって」
こちらだけ一人で不安がっていることが、だんだんと馬鹿らしくなってきた。彼の雰囲気につられて不安が和らいだのかもしれない。
「イリスは貴重な経験をしたな」
「どうして?」
彼の方を向きながら訊ねると、また彼は撫でていた手を止めた。そして今度はやや強引に後頭部に手をまわすと、ぐっと彼の方に引き寄せた。
「現実の私は決してイリスと離れたりはしないからだ」
耳元でそう囁いた彼は、少し意地悪そうに目を細めていた。いつもよりくすぐったい息がかかったのはわざとに違いない。
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