7日目 夜

目覚まし時計がけたたましい音を出して震えた。長い夢からの目覚めに、頭がひどく痛んだ。

しばらく時計の音が響いたところで、仕方なく音を止めた。近所迷惑になりそうなほどうるさい。頭がガンガンと痛む。泣き腫らした目で時計を見れば、7時15分をさしている。

ベッド脇に置いた携帯電話を手に取ると、違和感に気付いた。

「……?」

日付がおかしかった。正確には、自分の日付の感覚がおかしかった。

確かにそれは、自分が最後に"こちら"にいた日と同じ日付だった。"あちら"では丸二日ほど寝起きしていたはずだったが、こちらでは一日しか経っていない。なんと長い夢を見ていたのだろう。

今日はもう、大学を休んでしまいたい。今日は金曜日、勝手に三連休にしてしまうのも悪くはない。第一、こんな気分で授業を受けても頭に入る気がしない。

もう一度布団に潜り込んだ。ヒリヒリする首筋と右手首に涙が出そうになった。丸くなって、できるだけ小さくなって、頭からすっぽり布団を被った。

「ヴィンセント……」





「うわーん、ごめん、ごめんよ」

「え?」

目を開けると、可愛らしいログハウスの部屋が広がっていた。暖炉の前には柔らかな絨毯が敷かれ、木製のテーブルに木製の椅子が並べられている。

とても小さく、とても可愛らしい部屋だったが、目を覚ます度に違う部屋に居るというのはもううんざりでもあった。

「イリスさんだよね?」

声のする方を見れば、絨毯の上に小さな梟がちょこんと乗っていた。服を着て眼鏡を掛けた奇妙な梟は、言葉を話しながら忙しなく動いている。

「今日はお詫びをしなきゃいけなくて、ここへお招きしたんだ」

掌に乗ってしまいそうなその小さな梟は、囀るような声でそう言うと、テーブルの上まで羽ばたいた。くりくりとした目で見つめてくる。可愛いらしいのは認めるが、何が起こっているのかわからない。

「えっと……君は誰? なんのお詫びかな? ひょっとしてだけど、私の夢とか……」

「そう、そうなんだよ! ボクの手違いですごく迷惑を掛けてしまったみたいで……」

「手違い?」

うん、と言いながら彼は申し訳なさそうに俯いた。

「ボクたちは、色んな世界を管理してるんだけど、」

「ごめん、前提についていけてないのだけれど」

"ボクたち"は"世界を管理"しているなどと、可愛い顔をして突拍子の無いことを言う。

「あ、そっか! うんとね……話せば長いんだけど、」

テーブルの上で、両足を交互に曲げながらもじもじしている。

「イリスさんのいる世界と、全く別の世界が、イリスさんの夢を通して繋がってしまったの」

「そうみたいだね」

「ご、ごめんね……あの、ボクこのお仕事を始めたばかりで、きちんと管理出来なかったんだよね」

「……そうみたいだね」

自分でも驚くくらい冷ややかな声を出してしまった。彼もますます縮こまる。この一連の不可解な出来事について、やっと答えらしいものを聞けたと思ったが、同時にひどく虚しくなってしまった。

「本当は、この二つの世界は完全にねじれの関係にあるから、交わるなんてことは、まず起こらないんだ。だからその、ボクも注意を怠っていて……」

「これから、どうなるのかな、私」

「あ、それはもう、ちゃんと元に戻しておいたよ!もうあっちに行かないように、ちゃんと!……って、ちょっと、あ、どうしよう」

自慢げに話す彼の意に反して、自分の表情はどんどん曇っていった。もうあちらに行かないように、きちんと元に戻した、ということはきっともう彼等に会うことは叶わないのだ。愛しい彼にも、会うことは出来ないのだ。

「え、え、イリスさん……? 泣かないでイリスさん」

「大切な人が、いたの」

「えっ」

「愛していたの、その人のこと。夢の中だったけど、確かに生きてたの、私」

「イリスさん、あの……あわわ」

両手で顔を覆う自分を見て、彼はカタカタと足を動かして狼狽える。直後に、何か機械をいじるようなカチカチという音も聞こえた。最後に、バサバサという音が聞こえて、左腕に僅かに重みを感じた。

「イリスさん、あのね」

彼はこちらの左腕にとまると、顔を目を上げて口を開く。

「イリスさんの、何かしらの強い想いと、ボクの怠慢でこういう事態に陥ってしまった訳なんだけど」

「強い想い?」

「うん。他の世界への憧れとか、羨望とか、今の世界から逃げ出したいっていう強い想い」

それは現実逃避のことだろうかと、目に涙を溜めたまま苦笑してしまう。自分には一体どれほどの現実逃避願望あったのかと呆れてしまう。

「だから、これからイリスさんの、"むこうの世界"@の記憶を消して、二つの世界の切り離し作業にかからなきゃいけないんだけど……」

「え、そんな……」

「で、でもね! 今回は完全にボクに落ち度がある訳だし、それに元はといえば夢から始まったことだし……」

「……?」

「だから、その、もしイリスさんが望むのなら、内緒で繋げたままにしておくよ」

「本当に!?」

彼の提案に、思わず身を乗り出してしまった。彼は大きく揺れた腕の上で、バサバサと羽根を動かしてバランスをとっていた。

「あ、ごめん、急に動いたりして……」

「と、とにかく、そういうことで今回の件は目を瞑ってほしいの! この通り」

「あなたはそれで大丈夫なの?」

「うん、それは大丈夫。ちゃんと秘密にするから!」

彼が一体誰に対して秘密にしようとしているのか、彼の"仕事"に関する疑問は後を絶たなかったが、真っ直ぐな目で見つめられてしまっては何を言う気も起きない。

「でもね、ひとつ、注意してほしいのは」

「うん……?」

「イリスさんはこれからも夢であちらの世界へ行けるよ! でも、あちらの世界でイリスさんの身に起きたことは、こちらの世界にも影響するんだ。向こうで命を落とせば、こちらでもただでは済まないかもしれない。だからそれは気をつけて欲しいんだ」

「うん、わかった」

あちらの世界で彼に貰った耳飾りを身に付けたままになっていたことや、彼に付けられた首筋の痕が残っていることを考えても、その現象は既に起こっていたのだろう。

「それと……そもそも交わるはずのない世界が交わると、だんだんと綻びが大きくなっていってしまうかもしれないんだ」

「綻び?」

「二つの世界の交わりが強くなるというか、とにかくそのリスクは伴うってことは伝えておかなきゃいけないと思って……あ、でもそれはイリスさんじゃなくてボクが気を付けることか!」

「よくわからないけど、わかったよ」

世界の交わりが強まる、という言葉の意味するところはわからなかったが、今はまた彼等に会えるかもしれないということに心が踊っていた。

「他の夢はもう見られなくなってしまうと思うけれど」

「いいよ」

「さっき言ったようなリスクもあるし」

「構わないよ」

彼の注意に、食い気味に返事をした。眠っている間に他の夢が見られないことくらい、大した問題ではない。

「本当にごめんなさい、イリスさん」

「いいよ、私にも責任はあるみたいだし」

もう一度苦笑いをして見せれば、彼はやっと落ち着いたように息をこぼした。ある意味お互い様、ということだろうか。

「じゃあ、また不具合が生じたりしたらここへ来てね」

来てねと言われても、どうやって来ればいいのか検討もつかない。まだ聞き足りないことはいくらでもあったが、だんだんと可愛らしい部屋が視界から薄れていってしまったので、それ以上は何も言えなかった。最後に見た彼はまた、忙しなく時計をカチカチと動かしていた。

わからないことだらけだったが、前提からわかっていなかったのだから、深く考えるのはやめておこう。今はただ、また彼等に会える喜びに浸っていたい。

小さな梟と話をして、夢と現実の行き来が出来るようになった、などと友人に言ってみたら、きっと気が変になったと思われるのだろう。しかし、誰も知らなくても構わない。彼に会えるのであれば、この不可解な出来事を誰かに理解されなくても構わない。


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