夕暮れの中

呆然と彼の目を見つめていた。頬に添えられた手が熱い。口付けられた額が熱い。

──先に、言われてしまったな……?

彼の言葉が何度も頭の中を駆け巡る。何か言わなければと口を動かそうとするが、どれも言葉にならない。

「イリス?」

「……あ、……は、はい」

随分と間抜けな声で返事をしてしまった。彼は尚も少し困った顔をして、しかしそれでいて微笑んでいた。

自分で招いてしまった妙な事態に、自分だけが取り残されてしまっているようだった。

「私もイリスを想っている」

理解が追い付いていないことに気付いたのか、彼は再度そう口にした。照れるでもなく、恥ずかしがるでもなく、ただ真面目な顔でしっかりと目を見つめながら彼はそう言った。

「まさか、そんな」

「本人を目の前にして"まさか"はないだろう」

彼はふっと笑いながら髪を撫でた。未だ信じられないといった顔で見上げていた頬を、彼は少しだけ強く引っ張った。

「夢などとは言わせない」

からかうようにそうした彼だったが、その目は真剣そのものだった。引っ張られた頬はほんの少しだけ痛み、そしてとても熱かった。

「夢、じゃないです……ね」

彼はずっと頬を撫でたり髪をすくったりしながら、こちらの様子をおかしそうに見ていた。

「何をそんなに疑っているんだ」

「だ、だって……」

貴方には好きな人がいるのではないのか、雪山でパニックになったとき自分をその女性に重ね合わせて、ルクレツィアと名前まで呼んでいて、初めて会ったときから「愛するルクレツィアのために」と言って旅に同行していたのに。

何から話すべきなのか、どこまで聞いてもよいのか、考えあぐねているところに、彼はまた手を握った。

「あ、だめです」

「……何故?」

「今、その、緊張しすぎて冷や汗が……」

思わず手を振りほどこうとしたが、彼が一層強く握り締めたことでそれは叶わなかった。

ますます鼓動が速くなる。どうしていいかわからなくなってしまう。

「イリス」

「はい……」

「イリス」

「ヴィンセント、さん」

ただ名前を呼ばれているだけ。これまで何度も呼ばれてきたこの名前が、今は特別な魔法でもかけられているかのように心をときめかせる。



「好きでいても、いいんですか?」

未だに信じられない彼の言葉と、真剣な彼の顔と、パニックになった頭で、一体何を信じたらいいのかわからなくなっていた。

何度確認してもきっと、不安が残ってしまう気がした。彼が自分を好きでいるはずはないと、ずっと思ってきたことが邪魔をする。

「……」

彼は困った顔をするでもなく、怒るでもなく、優しい顔でこちらを見た。

後頭部に手が回されたかと思えば、彼の顔が近付いてきた。恥ずかしさから咄嗟に目を閉じる。



「おおっと……わ、悪ぃ」

突然ノックもせずに開かれた扉に、心臓が飛び出るほど驚いた。部屋の前には、シドが気まずそうに頭を掻いて立っていた。

「っと、いや、違うんだ! バレットとケット・シーが来た! 出発するから準備してくれ!」

慌てて弁解するようにそう言うと、彼はぎこちない足取りで駆けていった。

とんでもないところを見られてしまった、という恥ずかしさから顔が真っ赤になるのを感じた。

「イリス」

「は、い」

彼はこちらを一度ぎゅっと抱き締めると、すぐに離した。立ち上がって手を取る。

仲間が帰還する、そして何やら作戦の準備があるらしい。今は急いでそちらへ向かうべきだ。

「時間はいくらでもある」

「はい」

それは、今すぐに何もかもを話し尽くすことが出来なくても、これから少しずつ色んな話をしていけるということだろうか。きっとそうだ、とイリスは彼の手を握り返しながら思った。

苦しいほど胸が高鳴ってしまうのをなんとか落ち着かせる。大丈夫、大丈夫と何度も自分に言い聞かせる。

今は仲間の救出のときだ、と頭の中を整理して、彼に手を引かれながらコックピットへと急ぎ足で向かった。



「おい! どういうことだ、説明しろ!」

コックピットには焦りと苛立ちを露わにしたバレットの姿があった。凄んだ顔でケット・シーに詰め寄っている。

「バレットはん、落ち着いてください」

「落ち着いていられるか! お前がこっちだって言うからついてきたんじゃねえか! ティファはどうすんだよ、ああ!?」

状況は完全には把握できなかったが、どうやらティファがまだ捕らえられたままのようだった。一体どうやって彼女を救出するつもりなのだろうか。

「大丈夫だバレット、落ち着け! 俺様がこの飛空艇でお嬢ちゃんを助けに行くからよ!」

怒りが収まらない様子のバレットに、シドは頼もしくそう言った。

ずっと聞こえていたエンジン音は更に大きくなり、ふわりとした浮遊感に包まれる。

飛空艇はエアポートを離れて、ジュノンの神羅ビルの方向へ発進している。

「お前ら、甲板に出てハシゴ用意しとけ!」

シドは器用に舵をきりながらそう言った。皆がばたばたと甲板に走って行くのを、イリスもヴィンセントと共に追い掛ける。



甲板は想像以上に強い風が吹いていた。顔にかかる髪を払いのけて、甲板の手摺から外の様子を伺う。

「おい、あそこだ! あの大砲の先にいる!」

バレットの指差す方を見ると、とても大きな大砲の上で、ティファと何人かの姿が見えた。遠くてよく見えないが、大砲の先端に追いやられているようにも見える。

飛空艇はそちらに向かってぐんぐんと進んでいく。ティファを含め、そこにいる皆はまだ、こちらには気付いていない様子だった。

「ティファ〜!!」

ユフィが大声で叫ぶも、エンジン音にかき消されてしまうのか、距離がありすぎるのか、彼女の耳には届いていない。

近付くにつれてティファの姿がはっきりと見えてきた。彼女に向かい合っているのは数人の神羅兵と、北のクレーターで見たスカーレットという女性のようだった。

「ヤバイって、シドはやくしろよ〜!!」

手摺をばしばしと叩きながら唸るユフィの気持ちはよくわかった。早く助け出さなければ、彼女が海に突き落とされてしまうかもしれない。

ティファとスカーレットは互いに近付き、何やら揉めているように見えた。戦闘というほどではないが、素手で何かやりあっている。



「ティファ!!」

飛空艇が大砲に近付いたときになって、甲板から皆で彼女の名前を呼んだ。咄嗟にこちらを振り向いた彼女は、迷いなく一気に大砲の上を走る。

バレットが降ろした縄梯子が大きく揺れて、大砲に近付いたかと思えば、ティファは勢いよくジャンプして梯子に掴まった。

「やった!」

思わず声が溢れたのはイリスだけではなかった。間一髪、シドの飛空艇とティファの勇気がなければきっと救出できなかったであろう状況で、無事に彼女を助け出すことができた。

皆で梯子を引っ張り上げ、彼女を甲板に降ろした。久しぶりに見た彼女の顔は、少しだけやつれているように見えた。

「みんな、ありがとう!」

「ティファ、すげえジャンプだったよ!」

彼女はユフィとハイタッチをして、笑顔で皆を見渡した。びゅんびゅんと風をきって進む飛空艇の甲板で、再会を喜びあった。


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