融解
部屋には相変わらず飛空艇のエンジン音が聞こえてきていた。振動がベッドを伝って身体にまで響いてたが、心地の悪いものではなかった。
「あれから7日経った」
ヴィンセントは静かに口を開いた。イリスもそれを静かに聞いていた。7日といったらかなりの日数が経ってしまっている。
その間の記憶が全くないことに恐怖を覚えた。意識があった訳でもなく、かといって夢を見ていた訳でもない。完全に意識のない状態というのがあれならば、宝条の言っていた「自我を失う」という言葉がより一層恐ろしいものに感じる。
「先程見た通り、メテオが近付いてきている」
「クラウドさんがセフィロスさんに、黒マテリアを渡してしまったんですよね……」
彼の方を向くことが出来ないままそう呟くと、視界の端で彼が頷いたのが見えた。絶望的な状況に陥ってしまったのだということがわかる。
北の空洞でクラウドがセフィロスに黒マテリアを渡し、セフィロスはそれを使ってメテオを呼び寄せたのだ。このままでは本当に、メテオがこの星に衝突してしまう。
「悪い知らせがまだある」
彼は話しづらそうにしながら小さく息を吐いた。イリスもその言葉の先に身構えてしまう。
「ウェポンが暴れ始めている。ルーファウスが迎え撃とうとしているようだが……どうだろうな」
期待薄であるというように、彼の声がいつもより小さく聞こえる。こちらもやはり、ビデオテープで見た通りウェポンが目を覚ましてしまったらしい。
メテオが近付いてきたことで、何かを感じ取って、長い眠りから覚めたのだろうか。いずれにしても、この星に暮らしている人々にとってはただでは済まない。
「……更にティファとバレットが神羅に捕らえられたままだ」
「えっ……大丈夫なんですか?」
「ケット・シーが上手くやるといいが。今まさに彼等の救出の最中だ」
事態は想像以上に悪化していた。メテオの近付いている今、何とかしてそれを食い止めるべきなのだろうが、肝心の仲間が散り散りになってしまっている。
「クラウドさんは……?」
「……わからない」
「じゃああのとき、あのまま……」
微かに覚えているのは、北の空洞から脱出するとき、ティファが泣き崩れながらクラウド、と口にしていたことだった。
彼はあのまま瓦礫の中にいるのだろうか。どうなったかがわからないということなら、それこそ絶望的な状況だった。
「何か出来ることはありませんか?」
「今は、バレット達を待つしかない。下手に動くことも出来ない」
彼も悔しげにそう言った。動きたくても動けない、仲間の無事を願って待機するしかないというのは、とても落ち着かない気持ちになった。
「大丈夫だ。私もイリスを連れ戻した」
彼はベッドの上で手を握った。ふと彼を見れば、安心させるような顔でこちらを見つめている。
彼も落ち着かないのは同じはずなのに、安心させようとしてくれているのがわかる。
「はい」
それに応えるように彼の手を握り返した。
事態は悪化したが、少しずつ改善に向かっているはずだと、そう言い聞かせる。
会いたいと願っていた彼にもう一度会えた。きっと他の仲間にも、もう一度会える。
「会いたかったです。だから、ありがとうございます」
「私もだ」
彼は一度目を見開いたかと思うと、片手を握りしめたままもう一方の手で身体を抱き寄せた。
あたたかい彼の腕の中にいる。二人ならばきっと、不安に押し潰されることもなく待っていられる。
「ヴィンセントさん……」
愛しさが溢れてしまいそうになった。彼を抱き締め返せば、彼が少し震えているのがわかった。
どうしたのかと身体を引き離そうとすれば、更に強い力で抱き締められる。握っていた手も離されて、両腕でしっかりと、包み込むように抱き締められる。顔を見られたくない、というように、胸に頭を押し付けられる。
「イリス、会いたかった」
彼らしくない、弱々しい声が耳元で聞こえた。
彼はきっとこの7日間、一人で耐えていたのだ。仲間を助け出したいが下手に動けない、その苛立ちや不安に一人で耐えていたのだ。
「ちゃんと会えました」
「ああ……」
「ちゃんと、見つけ出してくれました」
「……」
今度はこちらが彼を落ち着かせるように、そっと話し掛けた。いつも大人で、冷静で、皆から頼られる彼が、今は小さく見えた。
安心させるように、初めて彼の髪を撫でた。彼はこちらの肩に顔を埋めるようにして尚も腕を離さなかった。
「……好きです、ヴィンセントさん」
思わず溢れてしまった言葉に、イリスが一番驚いた。
自分は一体何を言っているのだ。途端に頭の中がパニックになる。掌に冷や汗が滲み、心臓がバクバクと音を立てる。
違う、何でもない、聞かなかったことにしてくれ、と、頭の中で必死に言い訳を考えた。
彼を抱き締めていることも、抱き締められていることも、何もかもがいたたまれない。
「……っ、あの…………」
情けなくなって泣きそうになる。言葉が何も出てこない。
彼は腕の力を弱めた。目を合わせようと身体を離そうとしているのがわかる。
怖い。彼の顔を、目を、その表情を見るのが怖い。
彼の善意を曲解して、勝手に好意を抱いてしまったことに呆れられるかもしれない。不快な思いに顔を歪めているかもしれない。
「先に、」
思わず目を閉じてしまった。彼はその手を、こちらの両頬に当てて、目を合わせようと上を向かせる。
涙で視界が滲む中、見上げた彼の顔は、やはり少し困ったような顔をしていた。後悔の念が押し寄せてきて、また目を閉じてしまいたくなる。逃げ出したくなる。
「先に、言われてしまったな」
彼は少し困ったように笑いながら、額に口付けた。
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