鼓動が聞こえないよう
飛空艇の中は想像以上に広く、開放的だった。大きな窓ガラスで光が入るからか、天井が高いからか、ただでさえ広い内部は更に広々として見えた。
ヴィンセントに抱えられてそこへ足を踏み入れた瞬間、イリスはどきりとして彼にしがみついた。
何やら揃って同じ制服に身を包んだ乗組員が、目の前であたふたと作業をしていた。彼らの服の袖には神羅の文字が刺繍されている。
「……?」
しかし彼らは攻撃してくるでもなく、むしろシドの指揮に忠実に従って動いている。一体彼らは何者なのか。
「イリスさんですか……!? ご無事で何よりです!」
きょとんとしている間に、こちらに気付いた一人の乗組員が、感動した表情で目を輝かせながら挨拶をした。
何故名前を知っているのか、何故好意的なのか、経緯は不明だが味方であることは間違いなさそうだった。
イリスは戸惑いながらも感謝を口にして頭を下げる。
「ヴィンセントさん、服はお部屋に運んでおきました!」
「ああ、助かる」
その乗組員とヴィンセントが何やら話をしている間、イリスは彼の腕の中で縮こまっていた。
自分が捕らえられている間に、目まぐるしく物事が変化したらしい。しかしそれを細かく聞いている余裕は無さそうだった。
辺りを見回すと、仲間も乗組員も皆、あちこち駆け回りながら忙しなく動いている。思えば飛空艇のエンジンはずっと音を立てていた。
「イリス、部屋に服を届けてもらっておいた」
「あ……そ、そうですよね、すぐに着替えます」
彼のマントに覆われているとはいえ、自分は今何も着ていないことを思い出した。意識し始めてしまうと恥ずかしさは止まらない。今すぐにでも彼の腕から飛び降りて駆け出したい気持ちになった。
「その前にシャワーを浴びてくるといい」
「は、はい!」
正体不明の液体が身体中にはりついていたのだということも、この飛空艇にはシャワー室まで備え付けられているのかということも、どれも口にするのはやめた。
一刻も早くこの恥ずかしい状況から逃げ出したい。
「スト〜ップ! ヴィンセントが連れてく気? 変態!」
「……」
彼がシャワー室に向かって歩き出そうとしたとき、またもや元気な声が聞こえてきた。先程は泣いていたかと思えば今度は怒っている。
「アタシが連れてくから、シッシッ」
「あ、ユフィ……ゆ、ゆっくり!」
ユフィはイリスを彼の腕から奪うように降ろすと、肩を抱きながらシャワー室へと向かった。イリスは借りているマントから身体が出ないよう細心の注意を払って、床に足をついた。
「ヴィンセントさん、マント洗ってお返ししますね」
顔だけ振り返ってそう告げると、彼はやや困惑したように一度頷いた。ユフィの勢いに圧倒されているのだろうか、その気持ちはよくわかる。
「服は脱衣所に置いとくから! さっぱりしておいで。あ! でもそんなに時間ないから出来るだけ早く! ゆっくりしていいけど早くね!!」
いつになく早口で話すユフィの言っていることは滅茶苦茶なようにも聞こえたが、彼女も時間に追われているのだろう。
「わかった、急いで入ってくるね」
今はあまり細かいことを気にしている場合では無さそうだと察して、言われた通りにシャワー室へと入っていった。
浴室は思った以上に広かった。浴槽こそないものの、座って身体を洗うには十分に広い。
ユフィに言われた通り、頭から足の先まで石鹸をつけて丁寧に、しかし出来る限り素早く洗った。身体の節々が痛み、肌もあちこちがひりひりと痛んだが、それも我慢してさっさと浴室を出る。
「あ……!」
脱衣所にはユフィが用意してくれたのだろうバスタオルと、雪山の街でヴィンセントに買ってもらった服が丁寧に畳んで置いてあった。洗濯をしてアイロンがけまでしてくれているようだった。その上には、二人でもらったエアリスの家の鍵も置かれている。
「よかった……」
大切な思い出の詰まったこの服の行方はずっと気になっていたが、誰かが見つけ出してくれたのかと思うと嬉しくなり、思わず服に顔を埋めた。
久しぶりに着たその服はやはり落ち着く。店員が、温度調節ができるからと勧めていた通り、彼とこの服を選んでよかった。また服の中に鍵が入るよう首に紐をかけて、一度そっとなぞった。
「ヴィンセントさん」
素早く髪も乾かし、彼に借りたマントも手洗いをした。濡れたマントを手にして脱衣所を出たところで、壁に凭れるようにして立っている彼を見付けた。
いつも通りの服装を纏い、いつものような元気を取り戻しつつあるイリスに、彼は少し笑顔を見せた。
「忙しなく連れてきてすまないな」
「いいえ。それに、この服まで……ありがとうございます」
「よく似合っていたからな」
彼の言葉にまた胸がどきりと高鳴った。彼はきっと何も意識せずに言っているのだろうと思うと、勝手に意識している自分にまた少し罪悪感を覚える。
「状況を説明しよう」
彼はこちらの手を引いてどこかへ向かい始める。コックピットの方向ではない。
やや狭い通路を抜けると、廊下の両サイドに部屋がずらりと並ぶところへ出た。彼はそのうちの一つの扉を開くと、中へ招き入れられる。
「わ……可愛いお部屋ですね」
「私たちにあてがわれた部屋だ」
"私たち"というのは、彼と自分のことを言っているのだろうか。決して狭くはないが、造りを見ればそれが一人用の部屋だということはわかる。第一、ベッドもひとつしかない。
「さあ」
彼はベッドに腰かけると、また手を引いて隣に座るよう促した。緊張に身をかたくしながら隣に座ると、マントを纏っていない彼との距離がいつもより近く感じた。
思わず黙り込み沈黙に陥ってしまう情けなさに、飛空艇のエンジン音が聞こえてきてよかったと初めて思った。
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