The Bride of Halloween | ナノ
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モガミソーイチ


赤井秀一の偽装死は、トップシークレットだった。
知るべき人は最低限。そして、その最低限に八嶋春は入っていなかった。
そも、彼女の能力上伝える必要もないのではないか、という目算があった。最初の反応は、赤井の死にリアリティをもたらすだろうし、時がたてば『触れる』情報が増え彼女は真実に辿り着くと。
けれど、現実はそうならなかった。
八嶋春は彼らが思う以上に打ちのめされたのだ。あらゆるものを視ることができたはずの目を曇らせてしまうほどに。
彼女は何一つ視えなかった。ただ、その告げられた『死』に彼女のあらゆる機能は停止していた。まるで亡霊のように。
行方をくらました八嶋春を発見したのは、FBIでも赤井の事件の首謀者たる眼鏡の少年でもなかった。赤井を宿敵と定めた男。降谷零が、彼女をどこで発見したのかは語られなかった。ぬけがらのような、食べることも眠ることも、あらゆることを放棄した少女を保護し、部下に世話を命じた。――その役目を与えられたのが、当時降谷の下についたばかりの風見裕也であり、彼の協力者である弁護士の橘境子である。
赤井は生きている。降谷はそう信じていた。死ぬはずがないのだ。
けれど、彼女は固く内側に閉じこもっていた。
天から与えられた一本の蜘蛛の糸が、ぷつんと切れてまっさかさまに落っこちていくように。絶望の底に沈んでいた。

ふとした衝動があった。
なにもかも投げすてたくなるような。
なにがトリガーだったのかは思い出せない。その当時のことは春の中で曖昧なのだ。
定期検査で連れられた病院で、風見達の目をすりぬけて春は屋上にいた。
建物の端に立ち、そして。

あらゆる音が消え去っていた春の目の前に彼は現れた。
ふわふわと宙に浮かんでいる、うさんくさい笑みを浮かべた男。
それが、以来春のまわりをうろちょろするようになった幽霊――モガミソーイチとの出会いだった。








『随分褒めてたな』

幽霊が興味深そうに言った。

「事実しか言ってない。風見さんはすごいよ」

最高速度で走っていて尚さらにそこから加速していく男の背中を、いつだって春は「まぁ、そのうち思い出して振り返ってくれるまで待とう」というスタイルでいる。対して風見はといえば、迷いながらも全力で追いかけ続けている。

「貴重でしょ、ああいう人って」
『そうかもな。なぁ、もしも最強の武器があったら風見君に渡すか?』
「最強の武器?」
『そう』
「・・・・・・・いや、いらないって言われると思うけどなぁ。持ってないから、死ぬほど考えて観察して分析するタイプなんじゃないかな」
『持たざるがゆえに強い?』
「いやいやいや、全然持ってるでしょ風見さん公安だよ?降谷さんの部下に抜擢だよ?極秘任務だよ?降谷さんが規格外のスーパーマンなだけで。どんなヒーローにも、そういう人がいるけど、現実問題としたらすっごい幸運だと思うんだよね」
『追いかけてくれる人がいるって?』
「諦めずにね。すごいパワーいるけど」
『それは自分にはできないって諦めてるってことか』

幽霊はずばり痛いところをついた。諦めて、逃げている自分をまっすぐに幽霊が見ていた。

「だって、わたしだから」
『春だってすごいだろう』
「ありがと」
『まったく響いてないなぁ』
「知らないからだよ。わたしはいつでも間違える」

振り上げられる皺くちゃの手、寒くて暗い中庭。助けられた人、助けられなかった人。無価値な自分に、いつだって絶望している。自分に少しも期待していない。
信じているのは自分ではない。ただ、自分を拾い上げてくれた人の手を信じていた。一緒においでと差し伸べられた手がどれほど嬉しかったか、あの人にはきっとわからない。
ふと、気づいた。
眼の前の幽霊は多分、春にとっては『二人目』のとくべつなのだ。
無価値な、投げ捨ててしまいたい自分を惜しんでくれた。

「そーいち」

名前を呼んだ。
ハロウィンもお盆も関係なく、絶望に目の前が真っ暗になった、あのすべてを投げ出そうとした日に、屋上で出会った――死にたくなんてなかっただろう人。

「なんで私を助けてくれたの?」
『なんでだと思う?』

食えない幽霊だ。
質問に質問でかえして、笑顔でごまかすなんて。
突然現れて、口先だけでうっかり丸め込まれて、なんだかんだ今日まで来ていた。死者は大概が現世に現れる時は思い入れのある場所、未練のある場所に現れる。地縛霊、と一般的には呼ばれるものだ。家付き幽霊はイギリスではもう少しファンタジックに受け取られているが、どちらも『縁』が第一にある。
三門市の、ボーダーと呼ばれる組織に深いかかわりを持つソーイチが何故あの日、自分の前に現れたのかについては未だに謎だった。聞いては、はぐらかされて――答えは三門にきてみてのお楽しみ、と勧誘されていた。

「最近は三門に誘わなくなったよね。ポンコツ具合がわかったからなんだと思ってたんだけど」

最初は体を乗っ取られでもするのかと思っていた。好きにしたらいい、もうどうでもいい。投げやりだった春を宥めすかして、ゆるゆると生かし続けて。一体どんなメリットがこの幽霊にあったのか。

『酷いな。三門にというか、ボーダーにはいつでも大歓迎だぞ?きっと、楽しい』
「・・・・・そりゃ、いいとこなんだろうけども」

ソーイチの語るその場所は、きらきらしている思い出話ばかりではなかったけれど、それでも確かに美しいと思えた。

『未来は、無限に可能性があるだろ?あの時、全部捨てるくらいなら俺が貰って大事にしてくれるとこに持ってこうと思ったんだよ』
「今は違うの?」
『傷ついてる女の子の隙に付け込むのはずるかったかなと反省してた――それに、』

考えるように、一瞬言葉を区切った。

『春はもっと自分に期待したほうがいい』
「・・・・むりだってば」
『俺が拾ったんだぞ?できるよ』
「なんだその理屈。謎理論すぎる」

モガミソーイチは、困ったように頭をかいてそれから大事な打ち明け話をするようにそっと春に顔を寄せた。間近にある丹精な顔に触れようと右手を頬に伸ばして、寸前で辞めた。

『狡い話なんだけどな、』
「うん」
『俺は期待したから、春を助けたんだよ。打算があった』
「そうなんだろうね」
『今だって、俺の大事な奴らの味方になって欲しいって思ってる』

春を見つめながら、遠くを見ている。
だいじな弟子のことをきっと考えているのだ。

「置いていくって、つらい?」
『ああ』
「そばにいてあげたかった?」
『勿論』
「でも、だめだったんだね」
『・・・・・・ああ。その通りだ』

どうしてこんな所にいるのか。
この出会いが、彼にとって必要だなんて欠片も思えない。彼の大事な人たちにとって、自分はどんな顔して会えるというのか。投げ出した未来を、拾ってくれてありがとう?
逃げてばかりの自分の、最初の罪があの場所にあるのに。

「ソーイチの弟子は、ちゃんと泣けたかな。わたしが、ソーイチに泣かせてもらったみたいに」

春の一番は、帰ってきてくれた。嬉しいと思いながらまだ、どこか心の底で恨みに思っている。素直になれない。あの絶望が、じくじくと心のどこかで消えずに倦んでいる。

『確かめに行ってくれ、とは言わない』

「そうなの?」

『結局、俺はお前を俺の目的に利用しようとしてた。けど、春は別におれの思惑なんて考えなくていいんだよ――好きに生きてけばいい』

「なんだか、今生の別れみたいな台詞いうね・・・・・成仏するの?」

ソーイチは困ったように笑った。答えをあいまいに濁して、

『俺がいなくなったら寂しい?』
「――っ、」

答えは、言えないままだった。
ただ、漠然と、あの屋上から続いていた守護霊みたいにいつも当たり前に傍に彼がいる日々が終わるんだろうという予感だけがあった。
慌ただしいハロウィンがやってきて、プラーミヤと名乗る爆弾魔の事件が漸く解決し平穏が戻ってきたとき、やっぱりどこにも彼はいなくなっていた。







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