Stranger in the Paradise;WT | ナノ
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06:いっしょに痛くなりたい、できるなら同じ強さで


(かなわない願いだとしても)


18歳の春は、基本的にとても物静かで感情の揺れ幅が表面上とても小さく見えた。赤井の死亡を聞いてから、一度感情その他の機能が全停止した揺り戻しなのか、21歳の自分というものにもまるで他人事のようで、淡々と過ごしている。
時折赤井や降谷から入る生存連絡を見る瞬間に、かすかに安堵の色が広がる。
赤井秀一という存在は、八嶋春にとって最終絶対防衛ラインであり、最も安全なシェルターであるのだ。
それでも。
『帰る』と春は最後まで言わなかった。
ぐらぐら揺れる天秤がみえるようだった。これに関しては、高校生の春のほうが幾分がわかりやすかった。



『ユーイチくん』

名前を呼ばれる。髪が長い。これは『春』だ。
手を伸ばしながら、思い出す。肩口でそろえられた短い髪が、迅の首筋をくすぐった感触。おもむろに腰に回される細い腕の感触。
一瞬だけ視線がそれ、次に見たときにはすこし幼い『春』になっている。化粧気が薄く、帝丹高校の制服を着て、そして迅のあげたテディベアを抱えて立っている。

『迅さん、わたし帰ります』

『この熊を返そうと思って』

『トラウマがひとつなくなって助かりました。これでもっと秀兄たちの役に立てます』

『ありがとうございました、迅さん――さようなら』



違う。こんなことは言わない。
春は、熊を探してくれた。見るな、調べるなとは言われたがそれでも気になった迅は赤井にテディベアの絡む事件の詳細をきいた。彼は別件で忙しいらしく、その資料を持って工藤新一が三門にやってきた。春に会うかと聞けば「18の春さんと《工藤新一》は面識がないので」と丁重に辞退された。
酷い事件ですよ、と工藤は目を伏せながら言う。

「・・・・・春さんは嫌がるでしょうけど、よそから余計なこと聞く前に知っておいてもらった方がいいと思うのでお渡しします。けど、読むからには覚悟してよんでください」

工藤新一は、その真実を見抜く瞳で迅を射すくめた。

「酷かったそうです。春さんは全部視えるから。だから、「ユーイチ君にもらった!」とテディベアを抱えた写メが来たときは赤井さん含めて緊急の飲み会がひらかれたくらいで」
からかうように「愛の力ですかね」と付け加えられた。事件の呼び出しで飛び出して行った新一を見送り、一人になって資料を一枚めくるたびに、背筋が凍った。
事件解決のために、春が何度か『同調』して犯人お居場所の絞り込みをしたと書かれていた後に、注記があった。数度にわたって行われた『同調』そのすべてに同調のしすぎによる身体への副作用が記されていた。
なんてものを自分は春に差し出したんだとおもった。あれは悪夢の象徴だ。
『・・・・ありがとう』と熊を渡された瞬間にかすかにあった沈黙と、困惑した声音と。それでもそのあとに春は嬉しそうに笑って熊を抱きしめてくれた。同調には《トリガー》が重要だとよく春は言う。ボーダーで言う所のトリガーとは違う、とっかかりの鍵であり、同調の引き金。不安定な能力だから、よく似たものを認識するとフラッシュバックすることがあるらしい。
迅の送った熊が、今のところ春を苦しめている様子はなかったはずだ。だがそれも、迅の知る限りでは、の話だ。今すぐ撤去してしまおう。何か別のものを。そうだ陽太郎のためにと金にものを言わせて作ったらしい雷神丸の人形。あれがいい。
思い立ったら即座に迅は行動に移した。春の部屋に入って熊を小脇に抱えて、玉狛に戻って雷神丸の人形をとってこよう。そんな算段をしていると、通りがかった何人かの未来が視えて、思わず迅は抱えていた人形を取り落した。
視えた未来があまりにも自分に都合のいい白昼夢に思えた。

春が、自分を抱きしめていた。



『さようなら迅さん』

これは未来でもなんでもない。ただの悪夢だ。
18の春は、21の春よりももっとずっと遠いせいで、自分の中にある不安が勝手な虚像を作っているだけだ。





「――迅さん」

迅は慌ててソファから立ち上がった。すぐそばに、春が立っている。どうも眠っていたらしい。


「こんなとこで寝ていたら風邪ひきますよ」

短い髪、帝丹高校の制服。他人行儀な呼び方。だが、少しばかりこの呼び方にも親しみの色がこもり始めているように迅は感じている。18歳の春が、少しずつ警戒をゆるめてくれている。手渡されたブランケットをありがたく受取った迅は、こっそりと春を観察する。

「ありがと、春さん」
「迅さんはボーダーの重要人物でしょう。風邪をひかせたら大変です」
「重要そうに見えた?」
「見えないと思ってるんですか?・・・・・・そりゃ、何にも『視えて』はないですけど」

むっとした顔で春が抗議した。
みえる、という言葉の意味あいの違いを正確に読み取って、迅は困ったように笑う。


「・・・・・私に親切にしても、無駄かもしれませんよ」
「なんで?」
「起きてから、何にも視えないんです。もう誰の役にも立てないかも。そしたらただの役立たずのごくつぶしにしかならない。不良債権。不渡り手形」
「今はトリオン体の不具合で調子崩れてるだけだよたぶん。前から春さんはトリオン体と自分の能力は折り合いがよくないって言ってたからね」

トリオン体。春は自分の今の身体が生身ではないという説明は何度されてもピンとこないようだった。

「元に戻りますか」

「どっちでも」

迅は言う。

「どっちでもいい。春さんがここにいてくれるなら」

その言葉につられるように春が迅を見上げた。眉をしかめている。

「・・・・・でも今の私は秀兄たちのところに帰りたいんです」
「・・・知ってる。でも帰らなかった」

ゆるりと手を伸ばし、春に触れた。


「年下の春さんも可愛いしね」

「・・・・迅さんは、恐いんですか」

「ん?」

まっすぐに春は迅を見ている。

「21歳の私に『さよなら』を言われるのが」

「・・・・・・・」

迅は沈黙した。なにも、言えない。18歳の春は、おそろしいほどにまっすぐに迅の痛いところを突き刺す。
突き刺すような真似をするくせに、触れている迅の手を拒まない。


「私も怖いです」

「なにが?」と聞いた。春は笑って、最後まで何が怖いのかは言ってくれなかった。
代わりに「うそはだめですよ」と彼女は言う。
嘘。何が嘘だろうか。


「ことばには、力がある。だから本心でもないことは言わないほうがいい。ほんとになっちゃいます」

はじめにことばがあった――と聖書の一節を、そらんじる。聖書に詳しいとは知らなかった。年下の春がかわいいと思うことも、ここにいてほしいと思うことも何一つ、うそじゃない。うそじゃないけれど。
ほんとうは?


春が、困ったように笑っている。
トリオン体のイレギュラーな彼女の未来は、決まっている。
どれだけ迅が、このままどこへもやりたくなくて、いい人ぶって甘い言葉で弱っているところにつけこんでも。

迅がほしいのは。
叫びだしたくなるような、胸の痛みに迅は気が付かないふりをした。











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