Stranger in the Paradise;WT | ナノ
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05:わたしを嫌いじゃないなら、どうか今、抱き締めさせて


(それしかできない、なにもいえないけど。)

目を覚まし、ゆるゆると着替え、S級作戦室の応接セットへ出ていくと、たいてい迅がソファに座っている。
そして「おはよう、春さん」と笑うのだ。だというのに、私と来たらその笑顔を見るたびにもやもやとした気持ちになる。
彼がいれてくれた紅茶は美味しくて、とても美味しくて、私好みの甘さで、私好みの丁度いい温さで。私が知らない誰かが、私を知っていて、私のために、私好みの紅茶を用意してくれていることの不可思議さに私は戸惑うことしかできない。
与えられるものすべて、本当に自分が受け取っていていいものなのかわからない。









ない。
どこにもない。



それがどうしてこんなにも、恐ろしいのかわからない。
春はわけもわからない感情に自分が支配されていることすらも、恐ろしかった。これまでの生活とまるで違う。大人だらけの環境だったのに、いきなり同年代や年下であふれている場所に放り込まれていることも。わからないことが多すぎるし、最悪なのは何も視えないことだった。
いつか視えなくなればいい、早くおとなになりたいなんて思っていたくせに結局は、頼り切っていたのだ。
みえないから、わからないことが一層おそろしい。


春はボーダー中を探し回っていた。ない。どこにもない。なんで、どうして。今朝まではちゃんとあった。なくたって別にいいもののはずだ。たいしたものじゃない。だがそれでも足は止まらない。


「なにしてんの春さん」

声をかけてきた人がいてはさすがに足をとめざるを得ない。振り返ると、いつも姿を見せる迅ではなかった。

「・・・・たちかわさん」
「ははっ、春さんに『さん付け』で呼ばれるとか何回聞いてもウケるな」
「目上の人を呼び捨てになんてしません」
「目上の人ねぇ」

また面白そうに笑っている。

「迅は?」
「さぁ」

今日はまだ見ていない。いつもなら、国近と別れるころあいに迅が顔出すが、今日は来なかった。それだけだ。春が独りで歩いていると、何度か「迅は?」とか「迅さんいないの?」なんて声をかけられるが、そんなにいつもいつも一緒にいるわけじゃない。彼だって忙しいのだろう。

「あの、私は急いでいるので」
「急ぎって?仕事今は全部ないだろ?なにやってんの」
「・・・・個人的なことなので大丈夫です」
「春さんが一人でうろうろして解決する問題それ?こんな変なとこまで来てて」
「・・・・・・・・・くまが、」
「くま?さっき会ったぞ?」

太刀川の言葉に、春はくいついた。

「どこでですか?」
「教えてほしい?」
「・・・・・・・」
「な、春さん?」


取引はするな、向いてない。という降谷の教えを破ることになったのは心苦しいが、背に腹は代えられないので、春は太刀川の要求をのんだ。









つれて行かれたのは人の行き来が活発なかなり広いフロアだ。あちこちに椅子とテーブルが置かれている。
春はかすかに身をすくませた。見られている。視線が突き刺さるとはこのことだ。能力なしとはいえ、さしもの春だってこれだけあからさまに見られていたらわかる。


「慶さん、くまはどこですか」

居たたまれないのが声に滲んでいるのに、春を連れている男は少しも気にした風ではない。見られ慣れているのか。名前で呼んでよ、という太刀川の要求を呑んだのだ、きちんと報酬を支払ってほしい。

「ん〜? さっきまでそこにいた、はず――あ、いたいた。おい熊!」
「太刀川さん?どうかしました?」
「・・・・・」
「春さんがくま探してたから、連れてきた」

違う。誰だこの人は。すらりと背の高い女の子はきょとんとした顔しているが、春だってそうだ。

「すいません、まちがえました、しつれいします」

ぺこり、と頭を下げる。この人を当てにしたのが間違いだった。取引なんて持ちだしてくる人に碌な人間なんているわけがなかった。

「え?」

すたすたと踵を返して、さっさとこのフロアから逃げ出そうとする。後ろから足音が追いかけてくるので、早足にしたがあまり意味はなかった。

「なに?違った?」
「違いました。さっきのひとは、」
「くま探してるっていうから」
「私の探していた熊は女の子じゃありません。熊です。熊の人形。テディベアです」
「なんだ悠次郎の方かよ」

早く言えよな〜と太刀川が言う。そんな誰もが知っているアイテムなのかあれは。

「知ってるんですか?」
「触ると春さんキレるから」
「・・・・・・へぇ」

そんなに大事にしているのか、と意外に思う。

「あれなら、さっき迅が持ってたぞ」
「・・・・・・・迅さんが?」
「玉狛にでももって帰ったんじゃね?」
「なんで・・・・?あれは私のでしょう?」
「俺は知らないけど」
「・・・・・・・迅さんと未来の私って付き合ってたりするんですか」
「そう思う?」
「・・・・ずいぶんと仲がいいなと思います」


自分が誰かと付き合う、ということが想像がつかない。それも、全然違うじゃないかあれは。待っている夢の中の誰かは、彼じゃないはずだ。なら、今もしも付き合っていたっていずれは別れがくることになる。不毛だ。最上宗一のだいじなだいじなジュニアを傷つけることになる?そんなことを未来の自分は許容するのか。最低だ。
こいびとごっこなんてのは、あとくされなく、適当な相手とすればいいのに。


「別に付き合ってはないな」
「・・・・・・・付き合ってもない相手の部屋に勝手に入って、勝手に何か持ちだすのはどうなんですかね」

付き合ってもないのに、あんなに好みの紅茶を入れてくれる人が降谷の他にいるとは思わなかった。もしかしたら、迅悠一も潜入捜査のプロなのだろうか。人心掌握には胃袋をつかむのが一番手っ取り早いと降谷はよく言っているし、実際実践しているところも見てきた。

「付き合ってたって駄目だろ」
「・・・・・・・・・・・」

付き合うなんてことをしたことはしたことがないので、普通というのがどのラインかはわからない。

「付き合ってると思った?」
「くま、探してるんで」
「迅のやった熊ね」
「たちかわさん、レポートやったほうがいいんじゃないですか」
「慶さんって呼ぶって約束は〜?」
「クマいなかったじゃないですか。無効ですよ」

春はさっさと手を放してほしいのに、太刀川が離さない。

「あ、春さんだ」
「こんにちわ、出水くん」
「うちの隊長がまた何かやった?」
「引き取ってもらえると助かります」
「なぁなぁ出水、春さんさ、未来の自分が迅と付き合ってんじゃないかって思ったんだと」
「え」

出水はあからさまに驚いている。これ以上余計な話を拡散しないでほしいので「慶さん冗談やめてください」と太刀川が望んだとおりに名前を呼んだ。すると、また更に出水が目を瞬かせた。

「名前で呼んでるんですか?しかもさん付けで?」
「名前で呼んでほしいと言われたので。年上を呼び捨てにするのはちょっと・・・・あと、出水君、くまを見ませんでしたか」
「公平でいいですよ」
「・・・・・・・・」

太刀川隊は厄介な人が集められている隊なのだろうか。ボーダーA級の1位部隊だと説明を受けたのだが。

「公平くん」
「おおお」

埒が明かない。自分が彼らとは普段どんな付き合い方をしているか知らないのに、向こうはこちらを知っている。それに振り回されていたら、だめだと首をふる。

「そんなに気に入ったのか迅の熊」

背中に、そんな声がかかる。からかうような、面白がるような声音だ。
それをいちいち真に受けていたら駄目だと頭ではわかっていても、感情はうまく制御しきれない。

「迅のことも『ユーイチ君』って呼んでやればいいのに。喜ぶだろ」
「・・・・・・うるさい慶さん」
「お、敬語崩れたな」

ひっぱたいてやろうとした春の手は空ぶった。太刀川がにやりと笑い、それをため息交じりに出水が見て「太刀川さん」と窘めた。


「くまを見つけたらすぐに帰るので、おかまいなく」
「勝手に出歩かれちゃ困るんだって。ここどこかわかってる?」
「見られて困るものがあるなら、どこかに閉じ込めておけばいいじゃないですか」
「見たら『出さない』って言えるよな」
「・・・・・ここは、そういう組織なんですか。降谷さんに報告しておきますね。出水君も、進学よく考えたほうがいい」
「あー、まずいですって太刀川さん。春さん不信感マックスだし」
「あ」

クマがいた。
迅が小脇に抱えてこちらに息をきらして走り寄ってきた。
春は思わずぱっと顔を輝かせて、両手を広げたものだから迅の方が面食らっていた。春としては熊を見ていただけなのだ。
よかった、ちゃんとあったと安心したのに、迅は春の目の前で急停止してしまう。なんで返してくれないのかと、不満げに彼を見た。

「・・・・・テディベア恐怖症だって、」
「その話はもういいんです。熊、返してください」
「でも、トラウマでしょ」
「・・・・・・見たんですか」

迅がぱっと視線を逸らした。見たらしい。ネットで検索すれば出てきてしまうし、仕方ないことなのだけれど。

「検索するなって言ったのに」
「赤井さんに頼んで資料を見たんだよ」

尚悪いじゃないか、と思った。ネットのうわっつらをなぞるような情報でも胸糞悪さの伝わる事件なのに。事件のファイルなんてサイアクだ。全部見られたなんて。

「もしかして、それで今日いなかったんですか」
「・・・・・・」

沈黙は肯定だ。ということは赤井が近くまで来ていたのか。もしくは他のFBIの捜査官が来ていたのだろう。声をかけてくれたらよかったのに。

「今日の夢見は最低最悪ですねきっと」
「春さんは夢見る?」
「・・・・・・今は何もみえません」
「おい、迅。今のは特大の地雷だぞ」
「慶さん、うるさい黙って」
「ひど」
「とにかく熊を、」

返してくれ、と迅に言おうとして言葉が途切れた。なんだ、その顔。見たことのない顔を彼はしていて、今の流れのどこでそんな顔をすることになるのかわからない。隣の太刀川は何故かしたり顔で、春の肩口に頭をのせてくる。正直邪魔なので、片手で追い払おうとするがそれすら楽しげだ。

「投げ飛ばしますよ」と牽制する。いちおう、護身術は仕込まれているのだ。だがそれも知っているのか、
「慣れてる慣れてる」と太刀川が軽く言う。慣れてるってどうなんだ。
「・・・・・へー」

未来の自分と、この人の関係いったいどうなっているのか。

「迅さん?」

固まっている迅に声をかける。それでもフリーズしているので、ひらひらと手を目の前で振ったら、がしりといきなり強い力でつかまれて、今度はこっちが驚いてしまう。

「痛っ、いたたた、痛い!迅さん?!痛いから離してください!」

悲鳴をあげるように抗議したら、慌てて迅の手が離れる。自分でも驚いた、みたいな顔だ。いい加減、熊を返してほしい。解放された手をさする。もしかしたら後で痕になるかもしれない。

「・・・・ごめん、春さん」
「熊、ください」

再度要請するが、迅はまだ躊躇している。変なの。この人、視えているんじゃないのか。
不安そうなのに、どこか何か期待しているような、だがそれに困惑しているような。もどかしい。何をもだもだしているのか。
そもそも春は、迅のこんな顔が好きではない。いつだって、この青い目が嬉しげに見上げてくるのを『視て』知っている。勿論、それは自分に向けられていたものではなく、最上宗一に向けられていたものだ。だが、それにしたって。張り付けたような笑みが鼻につく。散々こちらは酷い顔を見られてしまっているというのに、フェアではない。
ちいさなジュニアの姿がだぶる。青い目をした、天使みたいに可愛い男の子。成長して、天使みたい、という表現はさすがにできないが。あの青い目は同じ色だ。


手を広げた。
迅が、視ている。
かまうものか、と思った。どうせ自分は彼らにとって『過去』だ。通り過ぎてしまったもの。今の自分がどうかなんて知らない。

天秤が揺れているのがわかる。片方の皿に、錘がのる。

最後の距離をつめて、ぎゅっと熊を小脇に抱えている迅ごと抱きしめた。「春さん?!」と周囲からも迅本人からも驚きの声をあげられたが、正直知ったことじゃない。
ただ、こうしたいと思ったからしたのだ。普段なら絶対にしないが、どうせこれは自分にとっては夢みたいなものだ。夢ならもっと見たいものだけを見ていたい。
耳元を、熊のやわらかな毛並みがくすぐった。


「春さんっ?!え、あ、や、」
「視えてたんじゃないんですか」
「視えてた、けど、、いや、なんで?え?」

混乱しきっている声に、溜飲がわずかにおりたので回していた腕をほどき一歩だけ距離をとった。迅はぼたり、と熊をとりおとしたので、すかさずそれを拾いあげて抱えた。

「今日は赤飯だな迅。てか実際視えてたから来たってやらし〜」と太刀川が揶揄する。

「目的は達成したので戻ります」

「ええ?!」

迅がきょとんとして、それから腹をかかえて笑い出した。青い目が、さっきまでと違った明るさになってほっとした。手を伸ばす。これが、今は当たり前になってしまっている。

「迷子になる自信があるんです。なので、とりあえず笑い転げてないで案内お願いします」

「・・・・・・・・・・・・・熊、ほんとに迷惑じゃない?」

「抱えて寝るには丁度いいです」

「・・・・・いやな夢をみたり」

「今は何も視えないですからむしろ思う存分なでくりまわせますね」

未来の自分について思うことは多々あれど。少なくともひとつトラウマが解消されているのは確かだ。それは喜ばしいことで、もとより可愛いものは好きだったのだから、せっかく昔のような恐怖心がないなら愛でたいに決まっている。まだ迅はじっと春を視ている。春が強がりや気遣いで言っていないかを確かめるように。

それから、伸ばした手を迅が取る。「噂になっちゃうよ?」と目を細めた。

「困るのは『21歳』の私で、『今』のわたしじゃないですから」

しれっと答えると、また迅が小さく噴出した。笑うと、昔の可愛さの名残がある。ひとつ年上である人を表現するのに「可愛い」というのもどうかとは思ったが。



 






『ゆーいち、可愛いだろう』

真夜中に幽霊がやってくる。最初は無視していたが、眠れない長い夜の時間をつぶすには丁度いい話相手ではある。幽霊は勝手気ままに現れては消える。性格がゆがんでいるのだ、この男は。厄介で、どうしようもなく人をかき回す。

「・・・・・・・」

『好きになっちゃったか?』

「ここの私は、21歳の私は好きなのかな」

『ユーイチ君は可愛い、くらいは思ってるだろうな。思ってるだろ?』

「私は18歳で、21歳じゃないからわからない」

どちらも八嶋春であるが、それは果たしてイコールなのかは証明しがたい。開発室とやらの人間の説明によれば、いまの自分は記憶の再生のはずだ。だがどうにもしっくりこない。どこか違う。

『そうだな』

「そうでしょう」

いっそまったくの別人だと思った方がしっくりくる気がした。トリオンという未知の領域にはいまだ解明されていない部分も多いと聞いた。世の中にはなんでも起こりうる、というのが春の人生経験から導き出された教訓だ。

「とんでもなく良く似ているけれど誰か別人の人生を間借りしている感覚」それが一番しっくりきた。もしも、これが夢だったら。
ゆらゆらと、揺れている。
眠らなくていいはずなのに、目をしっかりと閉じていると夢でも見ているかのような浮遊感に足元をすくわれてしまいそうだ。

口に出しかけた言葉を飲み込もうとして、だがそれを自分の中に沈めてしまうのは恐ろしくて。

「そーいち」と幽霊の名前を呼んだ。ん?と返事がある。そこにいる。何も視えない、なにもできないのに、ただこの幽霊だけが鮮明だ。

「めをさますのがこわくなってきた」

自分の中に生まれた恐れを、幽霊に押し付けた。
幸せすぎるのが恐ろしいなんて、そんなことがあるのだと春は痛いほどに感じていた。
『ゆーいち、ゆーいち』と最上が呼ぶ。その名前をそっと春も胸の内で繰り返した。

その名前を呼んでいいのは自分ではない。
という事実が、随分ともどかしいと感じる意味を、春は考えることを放棄した。









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