SWAN LAKE BULLET:WT | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



≫ 唯我 尊


自分の海外留学を両親が考えているらしい、と知ったのかなり早い段階だった。
じいや、と呼んで尊が懐いている国木田が「坊ちゃま、坊ちゃま、国木田はお供できません」と外国語をもっと学んでおくべきでしたと泣くものだから、ああもう決まっているのだなぁとうっすら思っていた。
しようがない。

( ボクは唯我の跡取り息子なんだから )

じいやに泣くなとハンカチを渡してやると、泣き止むどころか「お優しい坊ちゃんが遠い異国へ!」と一層涙をこぼしていた。
けれども国木田は次第に冷静な視点を取り戻しつつあったらしく、近頃はむしろ日本の方が物騒ですから海外へ行かれるのは良いことやもしれませんねと言った。
物騒。そう、日本はいまや世界中から注目を集めている。日本の、三門市。これまでこの地がこんなにも注目されたことなんてなかっただろう。せいぜい、唯我財閥の本社が何故か東京ではなくこの地にあることが珍しがられはしていたかもしれないが、それくらいで。あとは近隣の人間たちが「あそこのみかんは美味しい」と口を揃えるくらいだ。

丁度大型のテレビがニュースをやっていた。『ボーダーは新規入隊者を募集しています』と、広報らしき男がしきりに呼びかけていた。じいやは恐ろしい恐ろしいと身を震わせた。もう歳なのだ。セントラルヒーティングが今日は使えないらしく、随分と冷え込んでいる。まったく不便極まりない。計画停電なるものが、いまだにこの三門市では希に行われるのだ。
しかたない。
誰もがそれを受け入れている。未曽有の事態に直面したばかりで、傷だらけの街は、ゆるゆると自らを癒やそうとしている。

大規模侵攻。
未知の化け物が、ぽっかり開いた穴からやってきた日のことを今でも唯我も覚えていた。
すぐさま屋敷のシェルター(これは祖父の代に核戦争が来ても大丈夫なよう作られたものらしい)に避難を促された。画面の向こう側の景色を幼い尊は震えながら見つめていた。

断続的に得体のしれぬイキモノが姿をあらわす街がおそろしくないかといえば、正直おそろしい。だが、そこから自分だけが尻尾をまいて安全なところへ逃げ出すというのも唯我のプライドに触る。

――別に問題なんてない。怖くない。ボクは唯我尊だ。
――おそろしい、にげだしたい、すこしでもとおくに。

二律背反する感情は少年の中で渦巻いている。




***



危険なのは別に三門だけじゃないじゃないか!

唯我尊少年は心の中で絶叫した。口には布がまかれてしまっていて、声が出せないのだ。両親に連れられて東京へと足をのばしたホテルで「これはこれは尊坊ちゃま!当ホテルのとくべつなおもてなしをさせていただきたいのですが・・・」とホテルマンらしき男に声をかけられた。こんなことはよくあるし、尊はもてはやされ、歓待されることに慣れていた。両親はまだ戻らない。口うるさい連中も姿が見えなかった。
僕をもてなしたいというなら、やぶさかではない。と彼は男についていった。
結果がこれである。
拉致、監禁。
まったくもって世界は危険だらけである。
尊本人はようやくそれを認識した。元々、彼には多くの護衛が常日頃から影に日向に彼を守っているが、それだって万全ではない。だとするならば、尻尾を巻いて逃げるほうがかっこうが悪い。彼の少年期特有の飛躍思考はくるくると回りだす。


『唯我は留学?逃げるんだ』
『お坊ちゃんはいいよな』
『さっさと行けよ俺達を見捨てて』


そんな声が妄想の中で膨れ上がる。唯我尊が。このボクが。そんなことを言われて許されるべきはずもない。逃げる?どこへ?どこだって危険なのだ。なにせ僕は《唯我尊》なのだから、どこにいたって危険である。

男たちは別室でなにやら相談をしている。あたりが随分と騒がしい。どうも逃げる場所を間違えただのと喧々囂々と話していた。この隙に逃げなくては、と思うが両手足を縛りあげられている。芋虫のように這いつくばっている自分の姿は屈辱だ。
じわじわと涙が目の端にたまりだしている。先ほど男に無理やりかがされた何かが今更のように身体に回りだして意識まで朦朧としてきた。死にたくない、まだ死にたくない!腹の底から叫びたいのに、ことばは出てこない。

すると、そっと静かに扉が開いた。するりと誰かが部屋へと滑り込んできて、唯我は体を固くした。また何かおかしな薬を与えられるのではないかという恐怖に、震え上がる。
足音を立てずに近寄った人影が、唯我の真ん前で膝をついた。覗き込んできたのは、女性のようだった。どこかで見たことがある。そう、前にもこんなことがあった。攫われて、酷いめにあって、それから――それからどうだったのか、考えようにも思考がぐちゃぐちゃでまとまらない。
ぐらぐらゆれる思考で、震える唯我に、そっとその人物は頭を撫でてくれた。優しく触れる手は、ヒーリング効果でもあるかのように唯我を少しばかり落ち着かせてくれた。この手の持ち主は敵ではない。

「・・・・・・」

じっと女性は唯我を見下ろしている。どこか困ったように頭をかいて、それから「猫じゃなかった・・・」とため息をついた。なんでだ。
その雰囲気から、自分を攫った連中とグルではないようなのはわかったので唯我はうっかり大粒の涙をこぼしてしまった。相手が大きく目を見開いて、困惑しているのがわかったけれど、しようがない。くやしい。なさけない。身を守れない自分が。安堵している自分が。

「また、つかまってるのか・・・・」

頷いた。あんまりにも首をふりすぎたせいで、薬がますますまわっている気がした。両手足のロープを手際よく切り、口にかまされていたハンカチもとってくれた。ようやく楽な姿勢になれて、ぐったりと唯我は床に転がった。身体はちっとも言うことを聞かない。

(また・・・・・?)

またつかまっている、とそう言った。
唯我だって、早々そんな目にあっているわけじゃない。きちんと護衛だって普段ならいる。また。
その声が、ひとりの人につながりかける。答えをもとめて、かすれる声でといかけた。

「あ、・・・だ、れ・・・?」

部屋の明かりが逆行になって、顔は見えない。だが、耳はきちんと声を拾った。

「――《ボーダー》だよ」

《ボーダー》界境防衛機関。
なんでそんなところが?唯我の中で焦点を結びかけていた人の姿がぐにゃりとまがった。
疑問は霞のように消え去って、唯我はそこで、ぶつりと意識を失った。







にゃあ、と鳴き声がして部屋の隅から猫が姿を現した。なんとも恐ろしいまでの偶然だ。
目の前に転がっている少年を放っておいたって春は一向にかまわなかったのだが、最終的には良心が勝利した。ここで見捨てていけるほどには外道になりきれない。猫を下げ鞄に入れる。つぶしてしまわないようにしないとな、と注意深く「いいこにしてなよ?」と猫に言い聞かせる。猫は「にゃあ」とかわいらしくないた。

「・・・かわいい」

どうにもこの猫ちゃんは可愛いすぎる。もらっていきたいくらいだった。よほどきちんと飼い主が躾けているのかいい子である。まったくもって、こんなところに逃亡してきたのが不思議なほどだ。

「《ゆーいちくん》はいい子だなぁ」

青いリボンが目印の、茶色毛並みで青い目をした《ゆーいち》くん。安室透として引き受けた迷い猫探しの最後の一匹だ。そっと撫でてあげてから、床に転がっている少年を反対側からかついだ。重たい。が、まぁ赤井たちなんかよりは軽い。と、思って担ぐよりほかにない。
この少年は前にも助けたことがあった。大財閥唯我のお坊ちゃんだ。何年も前に、この子を含めた連続誘拐事件を解決したのは何年前の話だったか。まったくもって変な所で縁のある子もいるものである。そうだ。この子は。あの猟奇的で陰惨極まる事件の中では唯一、傷一つなく助けることができた稀有なケースだった。

5月と言えどももう既に暑くなりつつある異常気象にため息しかでない。猫と、少年をかついでそっと今来た道を戻る。

(ボーダーだ、ってなんであんなこと言っちゃったかなぁ?)

さて、最上宗一はこの少年を助けさせてどうしたかったのか。あれほどぱったり姿を見せなかった癖に、と少しばかり詰りたくもなる。勝手な大人はほんとどうしようもない。
まだわずかばかりに子供の領域にいる春は、それよりも更にまだ子供である少年を連れて逃げ出した。唯我。そういえば、あの一族の本拠地は三門市だった。
テレビでやっていた《スポンサー撤退》のニュースを思い出した。だからつい。口をついてでたのかもしれない。助けてくれたのが《ボーダー》だとこの少年が思い込めば、恩義に感じてスポンサーについてくれるのでは?それを、最上宗一は狙っていたのではないだろうか?

公安の面々の顔がよぎる。今すぐに、彼らに応援を要請するべきだ。普段ならばすぐそうする。だが緊急事態が重なっているし、既に自分は《ボーダー》だと虚偽を語ってしまっている。いますぐこの場所を離れることを優先するべきだと本能は言っているから歩みは止めない。重たいし、割とひきずっているが、それは我慢するほかない。
汗がうっとおしくてしょうがない。

背後から騒がしい声がした。逃亡に気が付かれてしまったらしい。舌打ちして、歩くペースを小走りくらいまでにあげた。大荷物をかかえて全速力で走れるほどの体力はなかった。

(追いつかれる?)

ああ、もう駄目かもしれない。なんて弱気になる自分を叱りつけて、それでも愚痴はやっぱりこぼれた。

「・・・・・っ重い!!もう捨てていこうかなっ!!」

暗がりからわずかばかり灯りの下に出ると、こんな場所だというのに人がいた。

(だれっ?敵?)

自分の中の警報は鳴らない。敵か、そうでないのか。じっと上から下まで眺めていく。足を止めている時間すら勿体ないから素早く視線を動かした。背の高い男だ。まだ学生だろうか?年齢は降谷という前例があるので、見た目からは判断しかねた。
敵ではない。視て、視て、視て。そして自分の感を信じた。


「あのガキどこ行きやがった?!」
「なんで鍵を締めとかなかったんだテメェ!」

数人の声と、足音が近づいてくる。もうすぐそこまで追手が来てしまった。

「げ、もう気づかれた・・・いや、でも気づかれなさすぎるのもよくないけど早すぎるというか」

呻くように言う。あそこにいるのはよくない、とそればかりが自分を急かすので、犯人たちを放っておけなかった。時間差で爆発するおかしな機械を阿笠博士に先だってもらったのを思い出してしかけてきたのだが、どうにも彼らの足が早かったらしい。
「持って!」と荷物を渡すように唯我少年を押し付けた。
あたまのすみっこで『ぴんぽーん』と音が鳴った。なんだこれは。正解なのか?少年を小脇に抱えた男の手をひっぱった。

「行こう、追いつかれる!くそっ、靴かたっぽすっぽぬけた!!もうやだ!お気に入りだったのにっ!!」

「え、いや」

「はやく!止まったら駄目!」

靴を取りに戻る時間も惜しかった。

「こっちだ!居たぞ!!」
「逃がすな」

物騒だがどうにもチープなセリフが背中から追いかけてくる。逃げるのは慣れている。もっと怖い人を知っている。

「おにーさんっ、どこのひと?」

走りながら息せき切って問う。


「《ボーダー》だ」


かえってきた答えに、思わず笑いだしそうになった。まったく、世界ってやつは都合よく回っている時は回っているものだ。なんのめぐり合わせだろうか。神様っていうイキモノは酷く意地悪い時もあれば、これでもかというほどのサービスをする時もある。
神を信じるのか?という問いをしばしば公安でするが、そういうものが『いる』のであろうとは思っている。


「・・・・・・三門市の? ああ、なるほど、それでか! どうりで、――『ソーイチ』が出てくるわけだ!」


ならこれで本当に正解だ。
唯我少年はボーダーに恩義を感じてくれるといいのだが。子供の主張だけでぶれることもないかもしれないが、一因くらいにはなればいい。世界は小さな積み重ねで、時に驚くほどに姿を変えるのだから。


「三門っていいとこですか?」
「今そんな話をしてる場合じゃないんじゃないかっ?」
「はははっ、たしかに!」
「いいとこだよ」

走りながら帰ってきた答えに、春は笑った。その答えに、笑った自分の声と、どこかで誰かの自慢げで満足げな笑いが重なったのが聞こえてますますおかしかった。












目を覚ますと、そこは病院の一室だった。
「坊ちゃま、ご無事で!」と国木田がハンカチを濡らしていた。起き上って当たり前だろう僕は唯我尊だぞ、と言ってやるとますます涙腺は決壊した。ご立派になられて!!と感激のあまりである。

誘拐事件の犯人は無事に逮捕されたらしい。あれこれと事情聴取もされてうんざりだったが、仕方ない。正直変な薬で意識はもうろうとしていたし、攫われる時もうしろからいきなり殴られたのでほとんど証言らしい証言なんてできようはずもない。
覚えていたのは。


「じい、留学はやめだ!」

「ぼっちゃま?」

自分ほどの存在である。まったくどこにいたって危険なのだ。何せ唯我尊なのだから。

「ボーダーに入るぞ!!」

「はっ?!?!」

国木田は目をむかんばかりに驚いた。それは得体のしれない胡散臭い輩の集まりにしか、彼には思えない組織だった。そんな場所に坊ちゃまが?なぜ?!混乱極まる国木田をよそに、唯我尊は決意していた。

――『《ボーダー》だ。』

そう。その言葉。
それだけは確かに覚えている。薄れる意識の中で、その言葉がどれほど心強く感じたかも。少し髪の長い女性だった。気がする。意識を取り戻した時に傍にいた人たちは皆男性だったが、確かにそういう人がいたはずだ。
ボーダー。界峡防衛機関。三門市の正義の味方。
端的に言えば「かっこいい」から。唯我尊はシンプルに、その一言で入隊を希望した。









いい話と悪い話がある場合、唐沢としてはまずいい話をすることを優先することが多い。いい話を聞いた状態を通常値を100と設定すると50の効果があり150になったとする。そこから悪い方を聞いてマイナスに触れたとしても、逆の場合よりは損害は小さいはずだからだ。先に悪い話をすると、あとからするいい話の効果は半減する。

「なんと《唯我》が全面的にスポンサーについてくれることになりました」

にこやかに唐沢はこの喜ぶべき一報を告げた。会議全体が喜色にあふれる中で、城戸は静かに「見返りに何を?」と至極冷静に返した。もう少し喜びを味わってほしかったが、致し方ない。

「息子さんがボーダーに入隊したいそうで」

これには根付が苦い顔をした。お坊ちゃんというイキモノのろくでもなさを彼は知っている。たたき上げて出世した彼は生まれ育ちだけでふんぞり返る人種に何度も煮え湯を飲まされてきたのだ。この面倒ごとしか発生しない組織における唯一といってもいいほどの利点はそうした厄介極まる人種がいないことであった。だが、唐沢はにこやかに、さらなる爆弾を投下した。

「それから、入隊するからにはトップチームに入りたい――とのことだそうです」

忍田が頭を抱えた。現在のトップチームは東の隊であるが、これは解体の予定が既に立っている。そして、次期トップチームに最も近いであろう人間は、彼の弟子であった。
まだチーム自体は未結成だが、太刀川個人の能力がずば抜けているうえに、東が育成にまわってしまえば向かう所敵はない。

「ま、そう悲観しなくても。すぐにでも、という話じゃないみたいですし。入隊の暁には、ってことで」

だが数年後にはその難解なミッションが確実に訪れるわけである。

「・・・・使えるかどうかもわからないのに」

「そのときは使えるように《する》ほかない」と城戸が言う。

「・・・・・・・・」

反対です、と忍田は食い下がる。元より体育会系の気質のあるこの人は、そういう裏口めいたものを好まない。が、太刀川の大学進学について既に一度目をつぶろうとしているのだから、二度も三度も同じであろうと唐沢あたりはスルーしている。彼も一応はスポーツマンではあるのだが、ラグビーをやってたならチームにそういう輩がいるのは嫌じゃないんですか?という忍田の恨めし気な視線にもにこやかにほほ笑んだだけである。

「スポンサーには変えられませんし」

ざっくりと。弧月よりも切れ味のある一言だった。

「三門を本拠地にする一大企業ですよ?ここを落としておけば、その傘下や影響下にある中小企業も口説きやすくなる。逆に言えば、ここに見捨てられたらおしまいです」

「・・・・・・・・」

「もしかしたら、そのお坊ちゃんがとんでもないトリオンの持ち主で大活躍してくれる可能性もないわけではないですし」と希望的観測を口にした。
数年後、唯我少年がボーダーの門戸をくぐることになったとき、再度この議題が持ち上がった。最終的に「別にいいよ?」という太刀川のあっさりとした態度に大人たちは全力で甘える形になるが、今はまだ先の話であるので割愛する。










prev / next